INTJが店員に敬語を使わない人を批判する人を批判する話

かなり昔から気になっていたから書く。
ネットでたまに見る「店員に敬語を使えない人は〜」と批判する声だ。私も店員をやったことがあるのでわかるが、若い女性店員だとタメ口率は高いように思う。

露骨に横柄な態度を取ったり、反論できないのを良いことに言いたい放題だったり、カスハラする人は論外だ。出禁にしてしまえと思う。
店員に敬語を使うのはそんなに必要なことだろうか。私はレストランで店員をしていた。どれくらいの割合の人が敬語を使ってくれていたかは覚えていない。だが、よく覚えているお客さんがいる。
私を見るたびに「姉ちゃん元気か?」「今日もビールくれや!」「今日はパスタにするわ!」と元気に笑顔で話しかけてくれた方だ。

その方は私に敬語を使ったことはない。
店員に愛想を使ったところで値下げできるわけでもない。彼は自然に笑顔で話しかけてくれていたのだろう。別の店でも別の店員にも、明るく元気に挨拶をしていたのだろう。
私がその店を去って長い時間が経っても彼を忘れないのは、店員という言わば黒子の存在を1人の人間として尊重してくれたからだと思う。
彼は敬語は使わなかったが、間違いなく敬意はあった。

大切なのは敬意を持つことであって、敬語を使うことではない。
言ってしまえば、敬語など幼稚園児でも使えるのだ。正しい敬語ではなくても、それらしい言葉は話せるだろう。そもそも、正しい敬語を完璧に使えている大人もどれだけいるのだろう。
その気になれば幼稚園児でも使える形としての敬語より、本人が相手を尊重したい、尊重しようとする気持ちが大事だ。幼稚園児でさえ使える敬語をなぜ使わない、と思う人もいるかもしれない。

これは完全に私の個人的な意見で、正しい意見だとは思っていないが、なぜ店員ごときに気を使わなければならないのか、と思う。
私は過剰サービスには反対派だ。レジが正しく打たれているなら椅子に座っていても構わない。飲食店の店員は料理を運んで精算してくれれば良い。他の小売店は多少商品の知識を知っていればそれでいい。
服屋で話しかける店員を露骨に避ける客が私だ。

たかが客と店員という間柄であって、友達でもなんでもないのだ。客がその店から出たら、それで関係が終了する間柄だ。そうであってほしい。
私は、定食屋などで気さくに話しかけてくる店員が苦手なのだ。話をしたくて定食屋に入ったわけではない。ただ定食が食べたいだけだ。
お互いに気を使わない間柄でいたいのだ。

だからこそ、気の利いた一言や対応ができる店員のサービスに感動し、感謝するのだ。
店員が客である私に敬意を払い尊重して対応してくれた時、本当に心の底からのありがとうが出る。みんなそうなのではないか。店員の型通りの敬語ではなく、仕事を全うしようとする姿勢や態度に感謝をするのではないのか。
型通りの敬語にどれほどの価値があるのか。

私はそんな風に考えているので、型通りの敬語を求める人の気持ちがさっぱりわからない。
社会通念上、敬語を使った方がいい場面があるのはわかっているし、私も使う。敬語を使わなくて硫酸をかけられた人もいるのだ。敬語で面倒を避けられるなら、いくらでも使う。
好きって言ってと相手に求めて好きと言われて、その気持ちを本心からの好きだと思えるのだろうか。

これは批判ではないのだが「返事くらいしろ」という店員の声も聞く。店員からの問いかけに無反応だと困る。それはわかる。わかるのだが。
私は声が小さい上に低いので、聞き取りにくい声質だ。よく聞き返される。声質については仕方ないが、声が小さいのは間違いなく私の責任だ。相手が聞き取れる声量を私が出すべきだ。
だが、店員側も客のリアクションを見落としている場合は多いように思う。

忙しいのはわかるが、質問をしたのは店員側なのだから、レジを打ちながらでも視界の端で頷く客がいないかどうかくらいは気にしておいてほしい。
聞き取りにくい声質だとわかっている私は、視覚でも確認できるようわざわざ頷いているのだ。リアクションを見落として困るのは店員なのだ。客側を責める前に反応を拾い上げる努力くらいはしてほしいものだ。

これはカスハラだろうか。

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