【INTJ】事実と意見を区別することの話

情報はできるだけ発信源から直接入手することが望ましいことは誰でも知っているはずだ。
超訳より原著、切り抜き動画より元動画だ。だが仕事をしていると、そう簡単にもいかない。誰かから聞いた情報で仕事をしなければならない。
そんなことがよくある。その時に困ることがある。

誰にどの情報が必要かわからない人だ。
私に不要な情報をダラダラ話されると、心底ウンザリする。なぜ一度頭の中で整理して話せないのかと、不思議に思っていた。
Twitterでポロッと愚痴ったら「世の中的には何が必要な情報かを区別するのは難易度が高いらしい」と聞いた。その話をもう少し詳しく調べたい、と思っていた時、ふと思った。

もしかしたら、事実と自分の意見や解釈を区別することも意外と難易度が高いのかもしれない。
おそらくできる人は自然にできるようになるのだろうが、できていない人は事実と意見が混ざっていることすら認識できていないのかもしれない。
私としては必要なのは発信源から出た情報であって、間に入った人の解釈ではないのだ。

「A社からの書類いつ届くか確認した?」
「今日か明日にはたぶん届きます」
「いつ発送したって?」
「聞いてないですけど、多分送ってくれると思います」
この手の会話だ。書類がいつ届くか尋ねられた人がやるべきことはA社に書類をいつ発送したのか、いつするのかを確認することだ。自分の解釈を言うべき状況ではない。
こういうことが、よくある。

解釈の妥当性についても、事実を正しく知らなければ判断が下せない。妥当性の検討は本人の実績を元になされるから、すぐに「今すぐ確認しろ」と指示が飛ぶ。上記の例ではせめて前例などから今日明日に届く根拠を言ってほしいところだ。
創作の解釈は無限にあっていいと私は思うが、仕事はそうではないのだ。他人同士の会話を聞いているだけなら、仕事できない人で笑える、と他人事でいられるが、当事者になったらたまったものではない。

私は若い頃、それで同僚と喧嘩をした。
事実だけを言って、相手が何と言ったかだけ話して、あなたの解釈や意見は聞いていない、何が起こったのかだけ客観的に話して、と私は言った。
相手は、そんなこと言われたら何を言えばいいのかわからないと言い放った。見聞きしたことをそのまま話すのがそんなに難しい話だろうか。どうすればよかったのか、私は今でもわからないままだ。

私自身も完璧に事実と自分の意見を分けられているわけではない。自分のバイアスで事実自体を歪めてしまうこともある。だが、事実と自分や誰かの意見の区別をつけようと努力することは、間違いなく必要だ。
報道などを見ている時に何が事実なのか、何が意見なのかがわからないと、情報を正しく掴むことができない。事実を正しく報道しているとも限らないが。

事実と意見の区別がつかない人は、本を読む時などどうしているのだろうか。客観的なデータのある事実は信じるに値するが、作者の解釈がいつでも正しいとは限らない。
だから、本を読みながら自分なりに解釈する。考える。それが楽しいのだ。それが読書の醍醐味なのだ。
作者の意見や解釈をそのまま受け入れているのだろうか。自分の意見は考えないのだろうか。

もし私が先輩から「事実と意見は分けて考えないといけない」とアドバイスされたら、そんなことわかってると逆ギレしてしまいそうだ。
だが、仕事では大事なことだから、できるだけ後輩たちには伝えていこうと思う。私の後輩は優秀なので言う必要はないのだが、本当に聞かせたいのは先輩だ。実は上記の会話例は上司と先輩だ。
本当に困ったことだ。

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