私がおしゃべりな人が嫌いな理由の話

手短にも理論的にも書けないが、書く。

私はおしゃべりな人が嫌いだ。多弁な人は大抵、会話が下手だ。人の話を聞かず話したい衝動で話してしまう。
乱暴に表現するなら「ロジカルな会話」ができないのだ。言っておくが「ロジカルな話し方ができない」ではない。お互いにロジカルに話を進めることができない状態だ。

銀河英雄伝説から会話を引用しよう。
「軍務尚書に、伺いたいことがある」
「伺おう、ビッテンフェルト提督、但し手短に、かつ理論的に願いたい」
「では単刀直入に伺おう。(略」
伺いたいと言われた軍務尚書は「手短に理論的に話せるなら聞くよ」と言っている。
「伺おう、但し手短に、かつ理論的に願いたい」ここまでで、ワンセンテンスだ。ビッテンフェルト提督はそれを理解したから、単刀直入に伺うことにした。ビッテンフェルトなら理解しなくても単刀直入に聞くだろうが。

おしゃべりな人は「伺おう」の時点で話し始めてしまうのだ。だからこちらの言いたいことが伝わらず、余計な会話が増えることになる。「手短に、かつ理論的に」という条件を聞く前に話し出してしまうのだ。もちろんこれは例なので私はこんな話し方はしないが。
ワンセンテンス、文のまとまりとしての意味。これが大事なのだ。

以前、人と子持ち様のニュースの話をしていた。なんのニュースかは忘れたが「私も子どもうるさいから嫌いだけど、これを子持ち様と言うのは違うと思う」と言いたかった。
だが「子どもうるさいから嫌い」の時点で、相手がなんでそういうこと言うの?と話し出してしまった。私からしたら、なんで最後まで聞かないの?だ。

だからロジカルな会話にならないのだ。
文のまとまりを無視して感情的に反応してしまう。その態度はロジカルさとは程遠い。頼むから落ち着いてくれ。
ちなみにこれは女性に限ったことではない。感情的に反応するのは確かに女性が多いが、男性は自分語りが始まる。さらに言うと、会議中などに感情的に反応する女性は少ないが、求められてもいない自分の意見を話し始める男性は割といる。

休憩室の雑談程度なら、私が引くようにしている。雑談程度で誤解されずにどうしても伝えたいことなど、ほとんどない。
そもそもそういう相手とまともな会話を期待しないから、相手が勝手に話しているのを聞くふりだけして空想の世界に飛ぶ。今日も人の話を聞くふりして、頭の中で様々な国家元帥にカーリングの投げるポーズをさせて楽しんでいた。
空想としても意味がなさすぎる。

人の話は接続詞の後に本当に言いたいことが出てくるのだ。頼むから最後まで聞いてくれ。
「この前温泉に行ったんだけど」の時点で、どこに?と反応しないでほしい。そこで大谷翔平と会った話がしたいのかもしれないではないか。もちろん会ってないが。
「登別なんだけど、それでね」と続けようにも、登別いいよね、どこの旅館?と聞かれてしまう。
助けてくれ。登別に行ったことはないが。

私は、基本的に会話ではなく対話をしたい。
そもそも、会話の時点で苦手なのだ。あっちこっちに話題が飛び跳ねる躍動的な会話ではなく、一つのテーマでじっくりと意見の交換をしたい。
だから、私はおしゃべりな人が嫌いだ。

私はあまり喋るのが得意ではない。だから聞き役に回ることが多い。それはいい。
私の話を聞けとも言わない。おしゃべりな人にはそもそも望まない。だが、一拍間を置いてくれ。センテンスの意味を理解してくれ。長々と話すわけではないのだから、一瞬だけ待ってくれ。
そしたら私も言えるはずだ。
「伺おう、ビッテンフェルト提督、但し手短に、かつ理論的に願いたい」と。

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