【INTJ】ネガティブな人を通して見る私のSNSの使い方の話

私はネガティブで根暗な人が好きだ。
私が過去付き合った男性は、全員ネガティブ思考の持ち主だった。依存されるのは真っ平ごめんだが、自立したネガティブさが好きだ。
薄暗い世界観にどっぷり浸かっている人といるのが好きなのだ。

私がネガティブな人を好きな理由はあるし語りたいのだが、ただの性癖開陳記事になってしまうので、今回はやめておく。
私はリアルではネガティブな人やネガティブ思考が好きなのだが、SNSの世界では真逆だ。大嫌いなのだ。ネガティブな人自体は好きだから、ネガティブな人が書いたネガティブなnoteなどは割と読むし、嫌いではない。
ネガティブな人の解像度が上がるし、「こういう考え方好きだなぁ(私は絶対しないけど)」という丁寧な無関心さを保てる。
noteならばタイトルを見て、ある程度内容を予測して見る記事を選べる。だが、Twitterでは話が別だ。
見る気のないポストでも目についてしまう。
単純に私がTwitterに合っていないだけかと思っていたが、最近別の理由に思い当たった。

まず第一に、私はネガティブな人が好きなのだが「ネガティブ思考」が好きなだけで「ネガティブ感情」は好きではないと気づいた。
心の中にある不安や恐怖や悲しさや怒りや辛さや苦しさといった感情は好きではないし、寄り添う気もない。話は聞くし、思考の整理や発展にはいくらでも付き合うが、感情には付き合えないし、付き合う気もない。
Twitterで流れてくるネガティブさは思考だけなのか感情も乗っているのか、判別しずらいがおそらく感情が乗っているだろう。ネガティブな思考にネガティブな感情が乗っていないことがあるのかと思うかもしれないが、ある。

私は何かを始める時には、必ずネガティブ思考から始める。徹底して失敗パターンを洗い出し、一つづつ潰していく。どんなことがあっても対応できるように策を考えておくのだ。この時私の心の中はやる気で満ちている。失敗する方法を大喜びで探している。
私は、自分自身がネガティブ思考をするのでネガティブ思考には付き合えるが、ネガティブな感情は好きではないと知った。

もちろん、嫌なことがあったその時限りのネガティブな感情くらいではなんとも思わない。なんと言えばいいのかわからないが、骨の髄までネガティブな感情で満たされている人を見たくないのだ。
ミュートなりブロックなりすればいいじゃないかと思われそうだが、見たくないのにおすすめ欄に表示されたりするとウンザリするのだ。
最近ネガティブな感情に紐付きやすい言葉をよく検索していたので、おすすめ欄が埋め尽くされてしまう。

私がSNSを使う理由は一つだけではないが、自分の内面を整理するという目的がある。noteはまさにそれだ。自分がなぜそう考えたのか、どう感じたのかを知りたいから使う。
ネガティブな感情を見ると、自分の内面にまで相手の絶望的な感情が入り込むような気がしてしまうのだろう。と、結論づけた。

もちろんネガティブな感情を吐き出すなと言いたいわけではない。SNSなど自分の使いたいように使うのが一番いい。他人にどうして欲しいというより、自分の内面が知れたのでそれでいい。
ウンザリするのは自分の心の動きであって、他人のせいではない。ウンザリしたくなければ、ウンザリしない心に入れ替えればいいだけの話だ。

ここからは余談だが、私にとってSNSは思考のスイッチを入れる役割もある。
いつも以上に考えたいことがある時に、SNSを利用してスイッチを入れる。特定のテーマで検索して考えるのだ。これ以上に思考のスイッチを入れるのに適しているのが、将棋だ。
私は見る専門の見る将が基本的なスタンスだ。指す方はからっきしだ。だが、将棋を指したり詰将棋をやると、INTJのNiが活発に動き出す。
そして将棋とは全く関係ない閃きをもたらす。下手くそなりに一生懸命考えるので疲れるのだが、閃いた時の快感がとてつもない。いわゆる、脳汁が出る。
INTJは将棋が向いていると言う人もいるが、変な思考のスイッチが入ってしまう人は将棋は強くならないだろう。

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