INTJと不安と感情の話

INTJは人の心に寄り添うのが苦手なタイプだと解説されることが多い。共感が下手だとも言われる。
かくいう私もそうだ。共感しているフリなら多少はできるが、心に寄り添うという意味が私にはよくわからない。INTJは感情的な人が嫌いだとも苦手だとも解説される。

怒りや悲しみを抱えている人も苦手ではあるが、他人の怒りや悲しみに貢献することは既に諦めている。余計怒らせたり悲しませてしまうのだ。何もしない方がマシだと思って見守ることにしている。
私は数ある感情の中でも「他人の不安」と相性が悪い。他人の不安に対して怒りや悲しみと同じように、私は積極的には関与したくないと思っている。

遡ること数年前。コロナが流行り始めた時。
私の周りに極度の不安を抱えていた人がいた。毎日飽きもせずに感染者数を見つめ、感染者マップを眺めては近くまできたと怯えていた。
口癖のように「怖い、不安、どうしよう、どうなっちゃうんだろう」と言っていた。私も鬼ではない。最初は真剣にとは言えないまでも、話は聞いていた。が、諦めた。

自分の不安を感じる心に向き合わず、陰謀論やフェイクニュースにまで手を出し始めた。流石に全てを信じていたわけではなさそうだが、バカらしくなった。
なぜ自分が不安を感じるかを考えずに、さらに不安を煽るような情報に接しているのだ。自ら不安になりたがっているとしか思えなかった。

全員がそうとは言わないが、怒りや悲しみに比べて、不安を自力で乗り越えようとする人は少ないように思う。外部からの刺激を受けて感情が反応しているという意味で、不安は怒りや悲しみと同じだ。
なぜだろうか。よくわからない。不安を自己解決できる人は不安だと口に出さないから、私が気づかないだけなのかもしれない。

私は昔から納得できない言葉があった。
「2人なら喜びは倍になり悲しみは半分になる」という言葉だ。喜びも悲しみも同じ感情なのだから、喜びが倍になるなら悲しみも倍にならなければおかしいのではないだろうか。
私はあまり他人にネガティブな感情の話をしたくない。話している内にどんどん感情が増幅していくからだ。怒りも悲しみも不安も口に出せば出すだけ、増えていく。私は愚痴に向いていない人間だ。

私は自分の感情の原因を自分の内に求める。
感情は外部からもたらされるのではなく、心の中から湧き出るものだ。外部からの刺激で反応するから、アレルギー反応と同じようなものだと思っている。
未知の状況に陥った時、未来を正確に予測できる人などいない。結果として予測が当たる人はいるが。コロナ禍で不確実な情報が氾濫する中ネットなどで情報を集めるのは、花粉症の人が杉林に入るようなものだ。待っているのは更なる不安だけだ。

いい大人が毎日毎日怒鳴り散らしたり泣き喚いていたらみんなに呆れられると思うが、なぜ不安は気軽に話せてしまうのだろうか。不思議でならない。
「自分の機嫌は自分で取る」という言葉がある。不機嫌さや怒りを自分で処理すべしというのなら、不安も一人で処理すべきだろう。
大人なのだから。

喜びや幸せというポジティブな感情も、毎日毎日テンション高く聞かされたらウンザリしそうだ。いいことがあった報せを聞くのは好きだが、浮かれてはしゃいでいる人も好きではない。
文字にしてみると私の考え方は冷たい印象を受けるが、もしかしたら実際に冷たいのかもしれない。
だからと言ってどうということもないが。

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