INTJの嫌がることと本音の話
「INTJが嫌がること」「INTJに言ってはいけないこと」
INTJは「無駄な慣習を嫌がる」「軽薄な雑談が嫌い」「根性論が嫌い」などなど書いてある。
確かに私も嫌いだ。昔からそうだからと思考停止でそのままにしてしたら、人間としても組織としても向上どころか現状維持も難しい。無意味な雑談に付き合わされるのもごめんだ。
確かに、それらを嫌ってはいる。だが、社会人をしていると、それらが真価を発揮する時も目にしたりする。
「昔からの慣習」が実は従業員ではなく、役員に対する制約だったこともあった。たった1人の困った役員の動きを封じるため、一見すると無駄なルールを設けていた。慣習ができた背景まで知らない人にとっては、無駄な慣習でも実は意味があったのだ。
無意味な雑談だからと一切参加しないと、本当に重要な情報が入ってこないことがある。些細な雑談を覚えていて、ふとした時に役に立つこともある。
だから今は、そう毛嫌いするものでもないな、と思っている。
感情論や突然のお誘いも、たまにならありだ。
感情論の使い手達の話は、私が思いもつかない方向から思いもよらない光をもたらすこともある。突然のお誘いは、非日常を感じられる。年に一度程度にしていただきたいが、たまになら楽しめる。
私が本気で嫌なこと。ぜひ他のINTJの意見も聞きたい。
「何が悪いかわかっていないのに謝られること」
これが致命的に嫌いだ。自分に対してだけではなく、他人同士でも嫌悪してしまう。いわゆる、相手が怒っているから怒りを収めるためにとりあえず謝っておこう、という行為だ。
INTJあるあるのようなページでどこかで見たことがあるが、INTJは怒っていてもその理由は話すことが多いそうだ。私もそうだ。
怒りながらでも「〇〇だからやめてくれ、やってくれ」など、理由と併せて話すことが多い。きちんと理解してほしいからだ。
だが、話の内容ではなく、怒りという感情そのものにスポットを当てられてしまうと、「とりあえず謝っておこう」が発生する。
極論を言えば、私は自分の怒りに対して謝って欲しいとは思っていない。「ごめんなさい」より「次はこうする」と言って欲しい。
怒りは私の勝手な感情だ。だから私が怒ったことの責任は私にある。それに対して相手が申し訳ないと思う必要は微塵もない。私の感情にではなく、自分の言動を振り返ってほしい。
私の感情に責任を取れるのは私だけだ。怒りたくないのならば、怒らないように考え方や心の持ち方を変えればいいだけの話だ。それを他人のせいにしてはいけないと思っている。
だから、私は「いいから謝ってよ」と言う人の気持ちがわからない。その場で謝っても、怒った理由がわからなければ、結局また怒らせることになると思うのだが。
きっとそういうことではないのだろう。よくわからないが、きっと謝ってと言うからには謝るのがいいのだろう。
私は、新人や後輩に指導をする時に、ミスをした時私に謝る必要はないと伝えている。若手のうちに人が想定できる限りのミスをした方が成長すると思っているから、ミスをすることを前提に指導している。仮に誰かに迷惑をかけてしまったのなら、それは私の責任だ。
次はどうしたらいいかを考えるように促す。もちろん絶対にしてはいけないミスは予防する。人によって指導の仕方は違うだろうが、それが私のやり方だ。
ところが、いるのだ。言われたことを聞かずにとりあえず謝ってしまう先輩が。新人や後輩なら考えるように促せるが、私の5倍の社歴を誇る人なのだ。
あぁ…困った…
私は他のnoterの記事に「ご意見ください」と書いてあるのをよく見る。だが、「それな!」しかない場合、コメントしづらい。
だが、自分が「それな!」だけでもコメントをもらうととても嬉しいので、これからは積極的にコメントしていこうと思う。
ぜひ他のINTJの方のご意見がお聞きしたいが、「それな!」「あるあ…ねーよ!」でもとても嬉しい。
スキもコメントもとても嬉しい。鬱陶しいですか?
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