INTJとmbtiとバイアスとインテリジェンスの話

先日、Twitterのフォロワーさんと、ある漫画のキャラについて話していた。そのキャラのmbtiのタイプはなんだろうという、類型界隈らしい話だ。

話題はゴールデンカムイの尾形についてだったが、勇作殿に話が及んだ。
尾形のタイプの時点で予想は分かれていたのだが、勇作殿のタイプ予想が真逆に割れた。勇作殿自体が登場話数が少ない上に回想でしか出てこないキャラだから、そもそも考察がしづらい。
だが、まさかそこまで人物像の捉え方に違いがあるとは思っていなかったので、驚いた。

私は元々、花沢親子に対して批判的な気持ちがあった。物語の登場人物で尾形の話を聞く姿勢を見せていたのは、アシリパさんと土方さんくらいだと思う。
他のキャラは対立関係もあるから仕方ないとしても、勇作殿は尾形に邪険にされながらも近づこうとしていたのだから、尾形の気持ちに対してもう少し配慮があってもいいのではないか、と思っていた。
その批判的な考えが、タイプ予想にバイアスをかけてしまった。

キャラの人物像の捉え方など読者の数だけあって当然だ。だからこそ、創作の考察は面白いのだ。
だが、こういう現象は当然現実でも起きる。嫌いな人の言動にありもしない悪意を見出してしまったり、好きな人からの言動を好意的に解釈してしまう。
人間が人間である以上、主観やバイアスを取り除くことなどできるはずもない。取り除くことが必ずしもいいとも思わない。

要は、自分がどんな主観を持っているか、どんなバイアスがかかっているかを知ることが大事なんだろうと思っている。
INTJは人間関係に難があり、かつ批判的に物事を考えるタイプだ。自分にどんなバイアスがかかっているか気づけないままだと、人間関係の難易度が相当高くなる。社交性が高いINTJの場合は人の考えと自分の考えを比較する機会も多そうだ。
結局は自分を正しく見れないと、他人も正しく見れないと言うことだろう。

情報の裏側にある本当の狙いを読み取れるのがインテリジェンスだと、どこかで読んだことがある。
例えば、相手のmbtiを知っていれば、相手にかかっているバイアスもある程度は見えてくる。だが、相手のタイプを予想するに当たって、結局自分のバイアスが邪魔になってしまう。
どれだけフラットに見たところで、相手の思う自分と私の見る相手は、全く違うのだ。相手のバイアスを見ているつもりが、自分のバイアスを見ていたなんてことになってしまう。

主観やバイアスを捨てることはできないからこそ、客観的な情報分析が必要になる。
よく「発言者を重視するか、発言内容を重視するか」と言う議論がある。S型は誰に注目し、N型は何に注目しやすいらしい。
「誰が言ったか」は非常に大事だ。発言者のバイアスが必ずかかっているからだ。発言内容自体も大事だが、発言者を知る手掛かりになる。相手が誰に何をどう見せたいか、伝えたいか、それを考えるのも大事なことだ。
そういうことを考え続ければインテリジェンスというものが身につくのかもしれない。

話は尾形に戻るが、勇作殿のタイプを予想していた時にふと思った。尾形の回想は信用していいのか、と言うことだ。
ゴールデンカムイは回想が多い漫画で物語の根幹にも関わるのだから、全ての回想の信憑性を疑ったら話にならない。だが、尾形は自身の罪悪感に苦しみ勇作殿の幻影まで作り出している。
杉元の回想に出てくる勇作殿は、回想自体が花沢勇作の人物像に焦点が当てられていない上に、杉元自身も勇作殿に因縁はない。
だが、尾形は違う。尾形の回想の勇作殿に、尾形のバイアスはかかっていないのだろうか。

さらに話は変わるが、自分が書いた記事を読み返すと、具体例が少なく抽象的になりすぎて非常に読みにくいと感じる。具体的に書こうとすると長くなるし、短くまとめようとすると抽象的になる。
どう書けば伝わりやすいか、悩み中だ。

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