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感性が鈍る時


最近これを感じていた。

「忙殺」という言葉があるが、まさに忙しさに殺されるほどの仕事ばかりの毎日を送っていると、確実に「感性が鈍る」。

世の中の悲惨なニュースを見ても、何も感じなくなるし、
身近で起きていることでも、スルーしようとする。
なぜなら、「それに関わっている時間がないから」と本能的にわかっているからだろう。


でもそれは果たして幸せなことなのだろうか?


昨日久しぶりにお休みを取って、海を見に行った。
海辺のカフェで、ぼーっとお茶を飲みながらただただ海を見る。
すでにサーフィンやセーリングをしている人たち、犬を連れて散歩に来ている人たち、足だけは水遊びをしている人たちもたくさんいて、まるで夏の気配だった。

そんな様子を含めてぼーっと見ていたら、だんだんと自分の心の中にある、空っぽ近くになっていた湖のようなものにどんどん水が入ってきて、満たされてきたのだ。

これは、スピリチュアルな感覚なのかもしれないけど、海だけ見て、風を感じ、ただただその瞬間を感じることだけにしていると、じわーっとわかってくる感覚なのだ。


でもそこで悪い癖が出る。

満たされ始めると、「じゃあこのあとどうする?せっかくだからもう少し足を伸ばして、○○に行こうか」と思い始め、スマホで調べ始めた。

でも、「はっ」と気づいて、「これじゃダメじゃん」と思った。


だって、「今」を楽しんでないから。
すぐに次の予定を考えているから。

こんなに幸せで、こんなに満たされているのに、もう次のことを考えている。
確かに仕事では段取りができている人が好まれ、重宝され、仕事ができると言われている。
でも今日は仕事おいてきたじゃん。
この瞬間を楽しもうよ。

そんな両者のせめぎ合いの中、私は「今を心ゆくまで楽しみ切る」ことに決めた。


人間って不思議。
仕事の癖が、私生活にまで顔を出す。
仕事の癖と、私生活は切り離さないといけない。

元々私は、のんびり、ぼーっとしているのが好きなのだ。
1人でも全然平気で、小さい頃はお気に入りのバッグにお菓子や好きなものを
入れてお腹が大きかった母と一緒に病院に行って、診察中の母が診察室に入っても、私は待合室で1人で待っていられたらしい。(記憶はないけど、お気に入りのバッグは覚えているし、その絵も描けるくらいだ)

でも仕事によって新たな才能を追加したことが、悪い影響になって出てくることがある。

テキパキと仕事をこなす私も自分。

ぼーっと美味しいお茶を飲みながら海を眺めているのも自分。

こうして自分を認めると、感性はさらに鋭くなり、気づくことが増える。

感性が鋭くなると良い点と悪い点があるのだが、今度これについても書いていこう。


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