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良い人って、全然良くない


良い人って言われてる人は、実はあまり得をしていない。
人から良い人って言われると一見良いことに思える。
でも実に意味深に「良い人」と言う言葉を、人は使っている。

・あの人いい人だよね(ちょっととろいけど)
・あの人いい人だよね(男性としては見れないけど)
・あの人いい人だよね(可もなく不可もなく)
・あの人いい人だよね(性格は良いけど、他にはあんまり褒めるとこ無いよね)

良い人だよね、の後にかっこ書きがついてることが多いのだ。多分。

別にこれを言いたくて書いているわけではない。

「良い人」って言うのが、私の場合も「良くないな」と気づいたからだ。
もちろん社会的な枠組みの中で、約束、時間、信頼を守ると言うことは最低限大事なことだ。
それらを基礎にした上での「良い人」はいらないな、と思ったのだ。

良い人だと、相手の言うことが違うな、と感じているのに「相手が正しいのかも」「世間ではこれが普通なのかも」「一般的にはこうだよね」と、頭で考えて、感じたことをねじ伏せてしまう。
それは、全然いいことではない。

さらに、その「妥協」や「ごまかし」がいつの間にか自分の考え方や生き方に反映されていくことは、もっと怖い。
自分を貫く、という記事を書いたことがあるが、まさに自分を貫くことが自然とできている人に会ったことは何度もある。

https://note.com/uenohiromi03/n/n9717a05d6b3d

古くは音楽仲間、最近では身近な家族だ。そんな人たちに会うと、「ハッと」気付かされる。
相手がどう思うかよりも、自分を貫くことを大事にしている姿勢に。
そして、何より今取り組んでいる「作品を作る」ということに、大きく影響することに薄々気づいていたが、いよいよ認めざるを得なくなった。


さあ、いよいよぶっちぎる時がきた。
いい人をやめる時だ。
少しづつ変化していく人もいると思うが、私は一気に変えたいタイプなので、今後周囲に何をどう思われても、自分を貫いて行こう。
そう思ったら、心がスーッと軽くなった。選択肢がたくさんあることも知った。
楽しくなった。
苦しいこともあるが、それは「楽しい中の苦しいこと」であるべきだ。
苦しい中の楽しさではいけない。それでは、苦しさは変わらないからだ。

うん。
なんかいい感じ。

今日も5000文字を書いて、ジムに行き、その後は遊びに行くぞ。
楽しいことに集中できる環境を整えることも、私の大事な仕事。
それは、時間を捻出したり、居心地の良い執筆場所を作ることばかりではない。
何より、自分の精神の面倒をしっかりと見ることが大事なのだ。


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