なぜ、そこまでして歩くのか?僕が100キロを歩く理由④
こんにちは ウエノです。
今日は「なぜ、そこまでして歩くのか?僕が100キロを歩く理由」の4回目です。1回目~3回目を読まれていない方は、さきにこちらからご覧ください。
スタッフウォーク
瞬く間に1年が過ぎ、翌年の3月に。この年は大会を歩かずにボランティアとして参加する予定だったのですが、実行委員から「スタッフウォークといって大会の3週間前に大会コースを歩くんだけど、一緒にどう?」と誘われて、ふたたび、110キロに挑戦する事になりました。
スタッフウォークは、大会の3週間前の3月下旬に、大会と同じコースをスタッフが歩いて道路状況などをチェックする仕事です。道中にエイドステーションは当然ありませんし、回りを歩いている大勢の参加者もいないので、精神的にもかなりハード。
「チェックだけなら一周でいいじゃないの?」という疑問が湧くかと思いますが、ハードと言いながらも、実行委員が一番歩きたがりの人たちなので、大会で歩けないものだから、下見と称してスタッフウォークを毎年実施しているわけです。
私は、昨年完歩しているので、余裕で歩けると思っていました。
ところが、スタート直後は足取りが軽かったものの、30キロを過ぎた辺りから遅れ出し、日が落ちたころには独りぼっちになってしまいました。
気温が下がったのも想定外でした。本番の4月と違い、3月下旬の夜は冷え込みます。日が落ちると気温はつるべ落としで、薄着で歩いていた私は寒さとも戦う羽目に。
寒さに耐えきれなくなり、自宅からウインドブレーカーとセーターを持ってきてもらいました。凍えながらも再スタートしたところ長い休憩が悪かったのか、今度は膝が痛み出しました。
それでも55キロまでは、なんとか我慢しましたが、ここが限界でした。膝の痛みは一昨年、大会をリタイアした時の状態よりも厳しく、ここでリタイアしました。
膝の痛みは2週間ぐらい残りました。この時はリタイアして正解だったのかもしれません。防寒対策をしてなかったことと、休憩を長く取ったことで膝を痛めてしまったことを心に刻み、私は大会のボランティアに臨みました。
ボランティア
第5回大会は、初めてスタッフとして関わった大会です。この時は二見ヶ浦近くのファームハウスで記録係と誘導係を担当しました。
ファームハウスは、当時のコースで唯一の一周目と二周目の両方に設けられたチェックポイントでしたので、運営時間は土曜日の夕方から日曜日の午前中までと非常に長く、スタッフにとっても過酷な仕事場でした。
日が落ちる頃になると、ウォーカーが続々とファームハウスに到着します。私はひとりひとりに「ようこそ!ファームハウスへ」と声を掛けながら、チェックポイントの中へ誘導します。また、出発するウォーカーには「行ってらっしゃい。明日の朝、お会いしましょう!」とお声掛けして送り出します。
ひと通りウォーカーを送りだしたら、しばしの休憩です。この年は朝まで仮眠を取らせてもらいました。
夜が明けてきた頃に目が覚め、ふたたび仕事です。ウォーカーが歩いてきた距離は優に90キロを超えていますが、早い時間にファームハウスへ到着されるウォーカーは、まだまだ気力、体力ともに充実されている様子。
私はそんなウォーカーさん達に「お帰りなさい。またお会いできましたね。」と声を掛け続けました。
ところが、制限時間が近づいてくると、ウォーカーさんたちの様相が変わります。制限時間ぎりぎりのウォーカーは、体力はすでに限界を超え、ゴールに一歩でも近づこうという強い思いだけで歩いています。
「お帰りなさい。あと少しです。ここからはたった18キロ。もう5時間もかかりません。」
ひとりでも多くのウォーカーさんに、ゴールして欲しい。そんな想いで、私はウォーカーさんたちに、声が枯れるまで声援を送り続けました。
(次回へ続きます)
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