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なぜ、そこまでして歩くのか?僕が100キロを歩く理由③

こんにちは ウエノです。

今日は「なぜ、そこまでして歩くのか?僕が100キロを歩く理由」の3回目です。1回目と2回目を読まれてない方は、先にこちらをご覧ください。

もう歩けないと思う痛みだった。55キロも歩いてきたのだから、きっと脚を痛めたに違いないと確信する激痛だった。なのに、リタイア後30分で痛みが消えるとは、これはいったいどういうことだ?

大会後に痛みの原因を考えてみた。記憶をたどると、リタイアした時、脚は腫れ上がったりせず、いたって普通だったことを思い出した。

この体験から、僕は、人間にはセーフティ機能が備わってることに気づいた。身体が壊れてしまうかなり手前の段階から、これ以上動くとケガをしてしまうよと、脳が痛みというシグナルを発して自身を制御していたのだ。

次回は絶対に完歩することを心に誓い、来年へ向けて行動を開始した。

歩ける自信があれば多少の痛みに気持ちが負けるはずもなく、結局のところ、痛みの原因は練習不足に尽きるとの結論に至った。大会直前だけでなく、前年の秋口から週末に5キロから10キロを歩いた。また、大会の2ヶ月前には、長時間動く事に足を慣れさせるために20キロ以上を数回歩いた。

こうして、万端な準備の下、僕は再び110キロのスタート地点に立った。

1周目は順調なペースで歩き、計画通りのタイムで40キロ地点のチェックポイントに到着した。チェックポイントの責任者 友人のOさんから「ウエノさん、今年は完歩できるよ。明日の朝また会いましょう。いってらっしゃい!」と勇気をもらい、チェックポイントを後にした。

ところが、昨年リタイアした到着した55キロ地点まで来ると、昨年同様に脚が痛み出した。
今度は、騙されるものか!
冷静に脚の状態を見ると、腫れている様子はなく、痛みを我慢しながら1時間も歩くと、先ほどまでの痛みがウソのように消えた。仮説が証明された瞬間だった。

痛みが消えるとスイッチが入ったようにペースも速まった。エイドステーションで友人たちに励まされながら、真夜中の糸島半島を歩き通し、夜明けを迎えた。

二見ヶ浦を過ぎれば、Oさんが待つファームハウスまではあと少しだ。

ファームハウスに近づくにつれて、誰かが声を出している事に気づく。

間違いない、Oさんの声だ!

Oさんは、チェックポイントの入り口で、夜通し歩いてきたウォーカーひとりひとりに声を掛けていた。

「ウエノさん、お帰りなさい。あと18キロです。頑張りましょう!」

思わず、目頭が熱くなった。

Oさんとの約束を果たし、ホッとしたのも束の間、直ぐに苦しい道のりが待ち受けていた。100キロを歩き続けた身体に、日差しが容赦なく降り注ぎ、体力がどんどん奪われていく。

こうなってくると、もはやゴールのこと以外は考えられない。
ただ脚を前に一歩ずつ踏み出す作業を繰り返すだけだ。

ファームハウスから4時間。
ようやくゴールが近づいてきた。

ゴールまでの1キロでは、苦しかった道のりの記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

待ち構えていた多くの友人たちからの歓声を浴びながら、ゆっくりとゴールラインを越えた。達成感よりも、もう歩かなくてよいという、安ど感の方が多かった。

友人からおごってもらったビールの旨い事。
今までの人生で最高のひと時だった。
自宅に戻り、ゆっくりと湯船に浸かりながら110キロの道のりを思い返したら、今まで感じた事がない達成感が体中から湧いてきた。

来年は大会を手伝おう。

ひとりでも多くのウォーカーに完歩してもらうため、Oさんのようにウォーカーを励まそう。

翌年、再び110キロを歩く事になるとは、この時点で夢にも思ってなかった。

(次回へ続く)

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