空白の5年を語ります
これはドン底を経験した後の空白の5年について物語。
殴り書きなので、誤字脱字があったらすいません。
ドン底時代の話をまだ見てない方は、これを見る前に目を通してほしい↓
僕は離婚の危機から復活し、妻に最後のチャンスをもらいました。
離婚しない条件は2つ。1つ目は子どもが成人したら離婚すること。2つ目は今すぐアパートを借りてくること。
1つ目の条件は見ての通り。2つ目の条件の理由はこれから説明します。
少し長くなりますが、見てください。
当時は子ども2人の家族4人。ただ妻の実家に住んでいました。
結婚する前は名古屋に妻と2人暮らし。結婚の条件として、子どもが生まれたら実家に帰るというのがありました。
妻が長男を妊娠し僕は転職して静岡に行きました。
初めての子どもということで、妻の実家でマスオさん生活をすることに。
僕は妻が子育てをしやすい環境であれば何でも良かったです。
ただ、離婚の危機になった。
想像していただければ分かると思いますが、家の中は地獄状態です。
このような状況を作った張本人がいる。
妻は発狂している。
子どもたちも義理親もいる。
そんな状況の中、子どもたちを連れて家を出て行くと叫び、身支度をしだす。
僕はパニックになり、頭が真っ白になった。
人生が終わる。何も耳に入ってこない。
なぜか息もどんどん荒くなる。
思うように息が出来なくなり、声を発することも出来なくなった。
ついには過呼吸になり、救急車を呼ぶ事態に。
僕が過呼吸で苦しんでる横で妻は僕に「死ね」「死ね」と連呼してる。
今思い出しただけでもこの世の地獄です。
義理親は「落ち着け」「何をバカなこと言ってるんだ」と妻にさとすが、それが逆効果になりさらに発狂。
義理親は妻の味方になってくれれば良かったのですが、僕をかばってくれた。
おそらく、長男でもある僕が地元を離れマスオさん状態になることを受け入れたことに対して申し訳ないと思ってる節があったからだと思う。
ありがたい反面、火に油を注ぐ形になった。
妻と子どもたちが家を出るなんてことは何としても避けないといけない。
パニックになりながらも本能的に感じていました。
声すらほぼ出ない状況の中、なんとか絞り出して「俺が…出て行くから…」と伝えました。
その夜、病院から帰宅し僕は長男と寝ました。
当時3歳だった長男。妻との初めての子。
可愛くて可愛くて仕方なく本当に愛してました。
僕はもう子どもたちに会えないかもしれない。
そう思うと胸が苦しくなり、長男の手を握り頭を下げ、泣きながら「ごめんなぁ…ごめんなぁ…」と連呼したのを今でも思い出します。
そんな僕に向かって長男は「大丈夫だよ」と言ってくれました。
まだ3歳になったばかりの長男がです。
僕は子どもに一体何を言わしてるんだ…
悲しくて苦しくて申し訳なくて、感情という感情がぐちゃぐちゃになり、ベットの中で長男を抱きしめながら気持ちが崩壊しました。
今日で最後になるかもしれない。そう思うと寝るなんて出来ず、長男が起きるまでずっと隣で寝顔を見ていました。
そして朝を迎え、僕は出て行くことになりました。
これが僕が出て行くまでの状況です。
帰るまでの間はそれはもういろいろしました。
仕事は上の空で何も身が入らない。
ただ帰りたい一心でしたので、毎日職場近くのコンビニ食事コーナーでB5の用紙に妻宛に手紙を書いてました。
書いては消してを永遠繰り返し、書き終わればポストに投函する。
今思えば逆効果かもしれないし、相当きしょいことをしてたと思います。
帰ってこいと言われたのは良かったのですが、妻は実家に居たくなかった。
僕に味方した両親にも怒りの矛先が向かっていたからです。
それも分かっていたので、僕はもう落ちるとこまで落ちました。
妻と両親との関係までも崩壊させてしまった。
これが2つ目の条件、アパートを借りてこいです。
僕は翌日には不動産屋に向かってました。
当日に部屋を決め契約の話へ。
家賃4.6万の1DKのアパート。
当然お金がないので、敷金礼金と家賃1ヶ月分を僕の両親に借りました。
この頃には僕の行動力に少しびっくりしたのか妻は落ち着いてました。
引越し作業もすべて僕1人でやりました。
丸い1日使って実家とアパートを5往復しました。
妻と子どもたちはただ来るだけの状態。
我ながらよくやったと思います。
そして、新しい生活のスタート。
僕は今ある奇跡に感謝しながら「絶対やってやる」という気持ちでいっぱいでした。
とはいえ、借金がある状態。
まずはその借金を返済することが先決でした。
当然、本業の収入だけでは返していけない。
なので仕事終わりにアルバイトの求人を調べていたところ、妻が声をかけてきました。
「アルバイトはしなくていい。もう返済してきた」
僕は目が点になりました。
そんなお金があるとは思わなかったので、親に借りたのかと思ってました。
でも実際は我が家の貯蓄でした。
安月給の中、月3万を家計のやりくりでなんとか捻出して3年間貯め続けてくれていました。
総額100万ほど。僕は改めて妻に感謝する気持ちと迷惑しかかけてない自分に死ぬほど腹が立ちました。
本当にクズみたいな人間。もうこれ以上悲しませたりは絶対しないと誓った日でした。
妻からは「また0からやっていこう」と言われました。
僕は嬉しくて涙が溢れて止まらなかったです。
とはいえ資産がゼロになったわけですから、ここからどう巻き返していこうかを考えました。
まずは固定費削減。無駄を徹底的に省きました。
次に変動費。コンビニ通いは一切やめて、おにぎりを握って会社に行く毎日。
浮いたお金を投資に回せば、将来の子供の学費を確保できると思い。即つみたてNISAをはじめました。
ただ、収入が上がることがない。今の会社はほぼ年功序列体質。
投資は入金力ゲー。ちまちまやってても増えるにも増えない。
今の生活を我慢しまくって子どもの教育費のために頑張る。
僕はそれで良かったです。
唯一希望があるとしたらボーナス。
僕は営業職でしたので、成績次第でボーナス額が変わってくる。
となるとやることは1つ。
今まで以上に仕事を頑張ってボーナスをもらう。もうこれしかなかったです。
そこからは遮二無二になって働きました。無駄な飲み会はすべて断り、その時間をすべて顧客との打ち合わせ時間に当てました。
夜20時とかにも平気で打ち合わせを入れてました。もちろん土日も働きまくりました。
クソみたいなクレーマーの対応も一切断らず、メンタルすり減らしながらもとにかく必死に頑張りました。
それを半年間繰り返して社内でぶっちぎり営業成績1位を取りました。
売上でいうと1.2億円を1人で売り上げました。
僕の職種からしても県内トップクラスだったと思います。
僕は嬉しさと高揚感でいっぱいでした。
これでボーナス額も昇給額も一気に上がる。
6月のボーナスが待ち遠してくてワクワクしてました。
そして待ちに待ったボーナス日。
その額手取り100万。僕はこんな大金を見たことがなかったので興奮のあまり即妻に電話をしました。
「ボーナス100万もらったで!!!!!」
妻は喜んでました。
「頑張ったね!!」そう言ってくれた時は本気でやって良かったと思いました。
そして、次のボーナスに向けてまた同じように必死に取り組みました。
身体がぶっ壊れてもやり続けてやろうと。
ただおかしなことに、妻の元気が少しずつなくなっていってるのが分かりました。
僕には理解ができなかった。
これだけ一生懸命働いてるのになぜ?
でもその理由が少しずつ分かってきました。
それは、僕が家にほとんどいないことで育児に疲弊し育児ノイローゼになってました。
ボーナスはもらっても月収は安いままなので、今まで家賃を払ってなかった分ボーナスで補填するしかない。
結局貯蓄は増えないという状況でした。
家計のやりくりをしながら家事育児をすべて1人でこなす。
子育て世帯の方ならわかると思いますが、とてつもなくキツいです。
想像以上にキツいです。ブラック企業の100倍ブラック企業。
仕事してる方がよっぽど楽です。
でも4月になれば大幅な昇給が期待できる。
だからもう少しの我慢やからと僕は妻に言ってました。
そして待ちに待った4月の給料日。
僕は朝起きて即スマホの銀行口座アプリを開きました。
僕は目を疑いました。
その額22万…
会社のパソコンを開いて内訳明細を確認しました。
昇給額は2,000円でした。
前年の昇給額と全く同じ。
さすがに絶望しました。
これは何かの間違いかと思い、会社の上層部に直談判しにいきました。
そこで衝撃の事実を聞くことになります。
なんと僕の成果を上司が根こそぎ持っていってました。
ボーナスはあくまでも数字でのみの判断。
昇給に関しては取り組みや過程を評価される。
僕の取り組みはすべて上司の指示に従って行動しただけ。要は言われたことをやってきただけで主体的に行動していないという判断になってました。
僕はほぼキレかけておかしいと訴えましたが、変わることはなかったです。
そらそうですよね。会社としては払いたくないから。
ぷつりと緊張の糸が切れる音がしました。
どれだけ頑張っても会社とはこんなもんなんだと。
家庭を犠牲にした結果がこれかと。
転職するという選択肢もありましたが、収入がない期間が少しでもあると生活苦しくなる。
子どもたちも居たのでなおさらです。
投資の方も入金力がないので増えない。
投資でなんとかするのは現実的に厳しいと感じてました。
本業にも期待できない。投資への入金力もない。
これはもう働き方を変えるしかないと思いました。
ここで初めて副業に取り組もうと決心しました。
もともと興味はありましたが、会社が副業禁止でもあり、20万以上稼ぐと確定申告をしないといけないからという理由で躊躇してました。
今思えばどうでもいいことです。
たぶん心のどこかでめんどくさいと思ってた。
やらない理由を作ってただけでした。
しかしながら、そうは言ってられないのでとにかく今できる副業をネットで調べました。
最初の取り組んだのはせどりです。
ネットの情報や本を買って調べながら取り組みました。
本業終わりにホームセンターやドンキホーテ、老舗のおもちゃ屋など寄りながらアマコードで売れる価格帯を調べる。
その時はパソコン持ってなかったので電脳せどりをやる選択肢がなく、店舗せどり一本。
おそらくスマホでもできるとは思いますが、そこまで考えれる余裕はありませんでした。
なんとか売れそうなものを仕入れては梱包して発送。
当時はアパート住まいでしたので、狭い部屋に物が溢れる。
それでもって労働型の副業でしたので、結局家族の時間を犠牲にする。
しかも薄利多売で何も収益が上がらない。
家庭にも迷惑をかけるし稼ぐこともできない。
諦めました。最初の挫折です。
次に取り組んだのはクラウドワークスでした。
スマホで登録して案件をこなそうと思ってました。
でもいろいろ試しても案件を獲得できない。
僕の中ではサクッと獲得してこなしさえすれば稼げると思ってましたが、考えが甘かったです。
次にポイ活とメルカリ転売をやりました。
最初のせどりで学習したはずなのに。
これもうまくいかず挫折。
もうこうなれば最終手段と思い、アルバイトをしました。
もうヤケクソになってるので、家族時間を優先しながら稼ぐという本来の目的を忘れてました。
やってることは本業ゴリゴリやってた頃と同じ。
何も変わってない。
結局、2年間という時間こんな感じで過ごしました。
何か結果が出たかというと何もです。
アルバイトで小銭稼いだだけ。
さすがに自分に絶望しました。
本当に何もできない人間なんだと。
1週間くらい思考停止になってました。
もう諦めようと思ってYouTubeをダラダラ見てたら、たまたまYouTubeで両学長を見ました。
知ってますかね?ライオンのアイコンしたYouTuber。
そこでブログが稼げるという話を聞きました。
当時の僕は、ブログはただの日記だと思ってました。
そこではじめてアフィリエイトという言葉を知りました。
在庫もいらない。パソコン一台で月5万も目指せる。
一度書いた記事から収益が発生する自動販売機が作れる。
僕には衝撃で夢のようでした。
もうこれしかないと思い、長年使ってた時計や家にある不用品を売りまくって5万を作りました。
その5万でどこのメーカーか分からないパソコンを購入。
そして、ヒトデさんの本をAmazonで購入しブログをスタートさせました。
パソコンなんか会社で触るくらいで家ではほとんど使ったことなかったです。
とにかく見よう見まねでブログを開設し、記事を書き始めました。
まともな文章を書くなんてことは小学生の読書感想文以来の勢いです。
最初はもうめちゃくちゃでした。
酷すぎて最初の記事はほぼ消してます。
でもやるしかないのでとにかく書き続けました。
途中、マナブさんのブログに憧れ真似して書くようになりました。
いつか収益化できるはずだと信じ書き続けました。
10ヶ月間ひたすら書いては消してを繰り返してました。
それでも稼げなかった。
なんで。なんでこんなにやってるのに。
副業に当てた時間はトータル2年10ヶ月になろうとしてました。
正直悔しくて情けなくて泣きました。
またかとも思いました。
大学受験ですべて落ちた時のデジャブでした。
母親に「なんでこんなに頑張ったのに…」と言って泣き崩れた時と一緒。
失敗だらけの人生。何もうまくいかない人生。
妻にも「もうあかんかもしれない」と言いました。
でも妻は言ってくれました。
「よく頑張ったよ」って。
副業は諦めて本格的に転職活動をしようと転職サイトに登録しました。
もう黙って転職活動しよう。
そう思ってた時にたまたま当時のTwitterでおでんさんを見ました。
当時、おでんさんはTwitter0→1講座のローンチ中でした。
Twitterはただの見る専門で別に何も活用してなかったです。
おでんさんの存在も知らなかったのですが、同じサラリーマンで同じ子育て世帯。
条件は同じなのにものすごく稼いでることに衝撃を受けました。
ただ、僕の心の中は「どうせエリートだから自分には無理な話」
一部の優秀な人だけが稼げるものだと本気で思ってました。
でも気づいたらタイムラインを過去から遡って見ていました。
僕の理想を体現されていたので純粋に憧れました。
僕もこうなりたい。家族を大切にしながらこんな生活を送ってみたい。
これまでの僕は自己投資という概念がなく、すべて自己流でやってました。
まぁ当然と言えば当然です。
なんせお金がないから。お金を借りるということに対して異常に抵抗があるのでなおさら。過去の経験があるので。
でもどこかで「覚悟が足りないのかも」とも感じてました。
もう直感でした。ここで逃げたら本当におしまい。
二度と副業で稼ぐことはできない。本気でそう思ってました。
気づいた時には妻に「0→1講座を受けたい!」と懇願してました。
お金がないのは妻も承知でした。
でも妻は「頑張れ!」と一言。
僕の心の中でメラメラと燃え上がるものがありました。
絶対成功してやる。絶対結果出してやる。
そんな気持ちで人生初の自己投資をしました。
そこから全てを吸収する気持ちで取り組みました。
そして、Twitter運用を開始して半年。
Twitter×ブログで月116万を達成しました。
妻に報告した時は泣いて喜んでくれました。
これまでの3年弱が報われた気持ちになりました。
そしてちょうどこの時期、新築の話が復活しました。
ていうのももうとっくに売りに出されてたと思ってた土地がまだ売られてなかった。
僕は不思議に感じ、地主さん聞きに行きました。
聞くと、僕たちのために売らずにいてくれたとのこと。
僕はびっくりしたのと感動で、「ありがとうございます!!」と涙ながらに伝えました。
そして妻に言いました。
「家を建てよう」
妻は泣いて喜んでました。
そして再びあの工務店へ足を運びました。
僕の足取りはとてつもなく軽かったです。
ワクワクが止まりませんでした。
家を建てることが嬉しいのではなく、妻や子どもたちの喜ぶ顔が見れると思うとニヤニヤせずにはいられませんでした。
そして憧れの工務店へ。
当時に担当が出迎えてくれました。
そして僕ら家族に向けて一言。
「お待ちしておりました」
僕と妻は感動のあまり、涙と嬉しさが溢れ出てきました。
担当者もうるうるしてる。
この瞬間に思いました。本当に諦めなくて良かった。
ドラマみたいな話ですが、実話です。
もうここまで来たら副業をさらに頑張って今の生活も豊かにするしかない。
そんな思いで「X×アフィリエイト」に取り組んできました。
そしてまさか自分のコンテンツを出すまでになるとは想像もしてなかったです。
X運用をスタートさせて1,400万以上の収益を得ることなんか想像もしてなかったです。
妻にもよく褒められるようになりました。
子どもたちにも好きなものを買ってあげれるようになりました。
好きなことをさせてあげれらるようになりました。
妻に仕事辞めてももらうこともできました。
会社の給料に依存しなくなりました。
当時買ったパソコンがMacBookに変わりました。
人生って本当に諦めなければ何とかなると思いました。
今できることを必死にやれば必ず好転すると実感してます。
だから絶望しても歯を食いしばって生きることが大切です。
諦めたらダメです。必ずやれます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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