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【※ネタバレ注意】舞台『やがて君になる。』【レビュー】

1.はじまり

 5月11日、東京は新宿。駅から歩いて10分もしないところにある全労済ホール/スペースゼロ。
 今回は、そこでやっていた舞台『やがて君になる。』のソワレを観劇したので、その感想を記事にしたいと思う。
 私にとって、舞台の観劇というのは自発的に行ったものは、日本語だと少女歌劇レヴュースタァライトの♯2を二回ほど見に行ったことがあるだけで、ミュージカルしか行った経験がなかった。
 そういった意味では、舞台観劇そのものがまだ新鮮だと感じられる。
 今回、この舞台を見に行こうと思ったキッカケも、スタァライトの方で大場なな役をやっている、小泉萌花さんという舞台役者さんがヒロインの七海澄子役をやると知ったからだ。
 その後に、予習をしておこうとdアニメストアにて、オンタイムでは逃していた「やがて君になる。」を視聴し、まんまとハマり、満を持して舞台に足を運ぶことになった。

2.あらすじ

 さっそく、舞台の内容をおさらいしておきたいのだが、実は今回の舞台は私が事前に仕入れていた情報とは少し違った内容になっていた。
 私はてっきり、舞台ではアニメの後の話。つまりは、生徒会劇とその後を描くストーリーだと思っていたのだが、実際は2時間間休憩なしのぶっ通しで、アニメの復習と生徒会劇とその後までを全て詰め込むなかなかハードな内容だった。
 最初は、まず小糸侑の恋愛観を紹介するところから始まる。前回のNoteでも書いた諸々の素晴らしいセリフ群を、また舞台で同じ空間にいるキャストから聞けるというのは、とても感極まる体験をできた。
 そして、生徒会を手伝うようになった話や、告白シーン、生徒会長選挙の立候補演説の前後や、その後役員となってから、生徒会劇の一悶着まで、アニメ12話約6時間かけてやった内容を、おそらく1時間ほどで終わらせる超高速展開の総集編で駆け抜けた。
 ここを超えたところで、ようやく本番だ。と気を引き締め、本腰を入れて見始めたのだが、そこから先の展開はまさに文句なしだった。
 生徒会劇をフル尺で、実際の舞台の上でやる構図は、あたかも、自身が文化祭の観客になったかのような錯覚すら覚えさせる。
 そして、侑が改訂した「君しかしらない。」の脚本を七海先輩が侑のことを信じたいと、魂を込めて演じきったことにより、舞台を通し七海先輩が過去の呪縛から解き放たれる流れは、圧巻だった。
 また、七海先輩が過去の呪縛から解き放たれたことにより、侑も七海先輩の「私が嫌いな私のことを好きにならないで」という呪縛の言葉から解き放たれ、七海先輩に「好き」を伝えたラストシーンも実に素晴らしかった。
あのシーンの後に流れた、ヘクトパスカルのインストルメンタルは、まさに大団円という感じで、実にキレイな締まりだったように思う。

3.アニメとの比較

 特に前半の復習パートに関して言えば、既に知っている内容であったこともあり、内容そのものという寄りかはどちらかというと、舞台の表現についてアニメ表現と比較して見ていた。
 やはり、やが君のアニメの素晴らしさの一つには、映像美というものが実に大きく占めており、これをいかにして、舞台の表現に落とし込むのかというのは、実に面白い点だった。

3-1.水の表現

 やはり、アニメで一番印象に残る映像表現というのは、水のメタファーだろう。これはアニメならではの表現でまさに、スクリーンがいかにコントローラブルなものなのかを感じさせる表現だった。
 その意味において舞台というのはアニメ表現と対局の場にあり、実に不確定要素、アンコントローラブルなものが大きい。舞台の上で起こっていることを、観客の頭の中で再解釈させ観客一人一人の頭の中にもう一つの舞台を作らせるVR感溢れる表現こそが舞台の魅力だ。
 しかし、まあ最近の舞台というのは、デジタル化が進んでいて、私はスタァライトが特殊なのかと思っていたが、やが君の舞台でも舞台装置にプロジェクションマッピングが効果的に使われており、脳内補完の助力をしていた。
 水の表現も実際の距離感と、照明と、プロジェクションマッピングによる水面やSEなどで実にうまく再現されていた。

3-2.星の表現

 そして、これはアニメではそこまで気にならなかったが、舞台で実に光っていた表現で、星の表現というのがあった。
 七海先輩から侑に贈られた室内プラネタリウムを眺めるシーンだ。
 プロジェクションマッピングが実に効果的に使われていて、実際の星空を薄暗い劇場の中で、舞台に投影する様は感動的だった。
 また、この星の表現は、最後に侑が七海先輩に告白するシーンでも登場する。
 あの、踏切の前で告白をするのだが、そこに誘い出す侑の一言が「星が綺麗ですね。」なのだ。
 そのシーンの、息を呑む星の美しさは、その後の告白への会場の緊迫感を演出する素晴らしい一手だった。

3-3.七海澪の死亡シーン

 また、このシーンも舞台ならではの表現でアニメ以上に衝撃的な演出がされていた。
 ある意味これは、舞台という限られた表現しか出来ない場であるからこそ、死の衝撃を観客の想像を掻き立てるカタチで表現できたものだろう。
 トラックのブレーキ音とともに、背景の白のカーテンがプロジェクションマッピングにより、真っ赤に染まる。救急車の音とともに聞こえる声は、周りの人間たちによる「かわいそうに」「お姉ちゃんの分も生きるんだよ」「お姉ちゃんの分も」「お姉ちゃんみたいに」。
 励ましのつもりだが、鋭く刺さる声が耳を塞ぎたくなるように重なって聞こえてくる。
 音のぼやけ方や、色のキツさまで、当時の澄子の胸の苦しさがダイレクトに伝わってくる舞台独特の表現だった。

4.感想『星が綺麗ですね。』

 これは余談なのだが、実は、「星が綺麗ですね。」というこのセリフには、告白のメタファーが隠されている。日本には夏目漱石の有名な言葉として、「月が綺麗ですね。」という告白のフレーズがある。
 それと同じように、「星が綺麗ですね。」にも、告白の意が込められているのだが、それ以外にも2つの意味を含んでいる。
 一つは、タロットカードから取り、「あなたを尊敬しています。」の意味、そしてもう一つは「私の気持ちはあなたには分からない」だ。
 プラネタリウムを贈った時点で、七海からのそのようなメッセージが含まれていたのかは分からないが、侑からの告白の切り出しにはこの意味が大きく含まれているであろう。
 つまり、侑はこの時点で七海先輩が変われたことに対するアンサーとして、ケジメの意味も含めて拒絶されることも覚悟の上で、七海先輩への告白を断行したのである。
最後のラストシーンで、侑から先輩にキスしたあのシーンは、実に素晴らしかった。二人にとって、最善のカタチが、侑の不安や優しさを超えた勇気から導かれたことは実に感動的であった。

5.おわりに

 今回の舞台というのは、初めてのミュージカル以外の演劇で、また新鮮な体験だった。
 舞台表現というのは、小説の読書体験に次いで、観客側の想像力が求められるVR感がでやすいコンテンツだなと改めて感じ、定期的に見に行くのも良いかもしれないと思うことができた。
 『やがて君になる。』も舞台がキッカケで、見ることになった作品ではあるが、実に面白く、アニメ、舞台と次いで見てきたので、次は漫画もそろえたいなと感じてきている。
 このような、コンテンツに出会うキッカケとなってくれた、もえぴには感謝しかない。
 また舞台を見に行く機会があることを願って、実に楽しみだ。

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