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仕事は人を幸せにするのだろうか~生き方も、働き方も自分で選択できる~

「独立した」と言ってはみたものの、実情は育休の延長みたいなもので。
仕事は基本的に午前中にしかしないし、しかも直接的にお金を生む時間はその内の半分くらいしかない。それ以下かもしれない。

昨年秋に庭に埋めたコンポストが良い感じにふかふかの土になっていたので、今日はそこにナスとトマトの種を植える。という予定だったのだが、「パーマカルチャーに興味がある」と少なくとも口には出している庭担当の妻が「まずはポットに種を入れて、苗にしてから植えるだった」ということで、結局雑草を抜いたり土を耕して今日の作業は終わった。妻が。
僕はただ、風通しの良い部屋の中で娘と戯れていた。

午後には業務委託で(安いお手当てで)請け負っている法人の役職者の方とのコーチングセッションが1本あるだけだった。

このnoteの内容を元に、動画、音声でも撮ってみました。
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Podcast

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仕事は人を幸せにするのだろうか。
という疑問が僕の中にある。

一生懸命働くことで充実感を感じ、人生全体が豊かになっている人は、どの程度いるのだろうか。割合にして何%くらいなのだろう。

勝手な個人的な思い違いなのかもしれないけど、どうもそうした”仕事をとにかく一生懸命やるのが正解”みたいなことに抵抗感を感じる。
もちろんそういう人が一定数いるのはむしろ自然だし、それはそれで良いと思う。
もしかしたら、それが叶わないことによる負け犬の遠吠えなのかもしれない。

だけど、「(自分に合ってるかわからないし、結構辛いけど)一生懸命取り組むことが良いことだ」と思ってしまって、むしろ自分をすり減らしたり、喜びよりも辛さが勝ったりしている人は、正直少なくないと思う。

僕が言いたいのは、身を粉にして働く以外の道もあるよね、ということ。

確かに努力の先の充実感という蜜は美味しい。
僕にもそれはよくわかる。僕自身も、そもそもは忠犬ハチ公タイプで、一生懸命物事に取り組みたいという気持ちは強い人だった。

だけど、ゆっくり真っ直ぐに自分の心に尋ねてみても、まずは自分を整え、時間のゆとりを持ち、家族を大事にすること。これが優先順位の上位に来る。
そして、そうやって自分を良い状態に整えた上で、本当に好きなことや価値のあることをやりたい。それに、その方がスペースが少なくて疲弊している状態よりもパフォーマンスは高いと思う。

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コーチングを提供する者としても、自分の人生としても、仕事だけに焦点を当てるのではなく、人生全体の豊かさを目指していきたいと思ってる。
もちろんその選択は人それぞれで良くて。

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歴史は、ミルフィーユのように積み重ねられていくと思ってる。
親の親の親の親の、、、の親の代から受け継がれ、変化してきたものが、今の僕らの価値観にも残っていると思う。

明治維新から一気に西洋化した日本、それから多くの戦争で勝利し、第二次世界大戦で大敗し、高度経済成長を過ぎ、失われた30年が幕を閉じようとしている日本が、どの程度丁寧にミルフィーユ的な何かが重ねられてきたのか、それともWW2の爆弾で過去の価値観のほとんども吹っ飛んでしまったのか、僕にはわからない。

だけど、歴史が重ねられてきたからこそ、行き着く価値観があるのだと思う。(もちろんそれも最終形態ではないのだろうけど。)

そういう意味では、経済的にも状態が良く、歴史も長いヨーロッパの人たちが家族を大切にしていることからは、僕らも何か学ぶべき点があるかもしれない。

偏見かもしれないけど、やっぱり歴史が浅い国や、大きく掻き乱された国の価値観は、あちらにもこちらにも揺れ動きやすいように思う。
日本も、武士から軍隊から24時間戦えますか?からゆとりに至るまで、凄い極端な変遷を遂げてるように思う。

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複雑な時代です。
何が正解かわからない。きっと正解なんてない。
今、多くの人が普通だと感じてる価値観だって、たった5年後ですら古いものになっているかもしれない。

価値観は、自分の中にある。もちろん、それだって変わっていっていい。
生き方も、自分で決めていい。

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独立した、というよりは、会社員ではなくなったという方が表現として正しいかも知れない。

だけど、僕は僕を信じているし、ここで生まれた時間やこうした(きっと)ユニークな生き方から、何かに繋がっていくような予感も感じてる。

生き方も、働き方も自分で選択できる。

だから、暗い顔すんな。
死んだ魚みたいな目になるな。
つまらない大人になるな。

自分らしく生きていこうぜ。


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