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36歳→37歳 ~おめでとう、俺!~

このnoteを書いてるのは5月15日。
例年通り、誕生日の前日に過去や未来に思いを馳せる散文を書き散らす。


カオス

長い、長い、長い1年だった。
子どもの成長、移住、DIY、外国人のホスト(10人以上は泊めたな)、色々な出会い、撮影有料化、コーチング。

細かいことを書くときっと1万文字を超えてしまうので、ここには書くまい。

1年間育休を取り、(色々あって)そのまま延長線のような形で退職した。

時間にはゆとりがあるような、いや色々なことがあり過ぎてカオス状態になっているような、そんな1年だったし、これからももう少しそういう感じの日々が続きそうだ。


自由

やるべきこと。やりたいこと。時間の使い方。人生の使い方。

人は自由だ。
誰かに「あなたはこういう風に生きなさい」と言われ、それに従うような時代は終わったし、そもそもそんな昔であったとしても本来人は自由だ。
心も、在り方も、そこから生まれる行動も、誰かが決められるものではない。
自分で決めるものだ。
”ショーシャンクの空に”の主人公アンディもそんなこと言ってましたよね。


10年前の今日

僕は世界一周の途中で、1ヶ月間トルコの酪農場で働いていた。
誕生日の直前に「5月16日が誕生日なんだ」と伝えたもんだから、サプライズでケーキを用意してくれたものの、「でももっと早く言ってね」と小言のようなことを言われたのが27歳の始まりの日だった。困らせてごめんよ。

あれが10年前。
本当にたくさんのことがあり、辛いこともあったし、充実した時間でもあった。
人は大人になってからもこんなに成長したり、変化できるものなんだと驚く時間でもあった。

10年というのは長い。
だけど、たった10年前か、という感覚にもなる。


20年後にほぼ死ぬ

仮に今後の20年がこれまでの10年の2セット分の長さの感覚だったとして、それで僕はあっという間に57歳になっている。
だけど、一般論から考えて、今後これまでの10年の2セット分の長さの感覚を味わうには、きっと20年では済まない。多分、30年か40年かかるんじゃないだろうか。

40年経つとどうか。
僕は77歳になっている。

ちょいとググってみると、2019(令和元)年の平均健康寿命は男性72.68歳らしい。

40年後には多少延びてるかもしれない。
だけど、計算上、これまでの10年を2回繰り返したくらいの感覚を味わったところで、僕の人生の95%は終わりと言っても過言ではないかもしれない。


短い。
あまりにも短い。


僕は死にたくない。
死ぬのが怖い。

死の先を想像すると、いつも宇宙の彼方に一人取り残されるような、闇に飲み込まれるような、そんな感覚になる。

それが、感覚レベルではたった20年分後にやって来るかもしれない。


根源

未来を思う。
死を恐れる。


これが、僕が人生を豊かにしたいと願う根源にある。
だからこそ人生全体を俯瞰するようにしているし、今のタイミングで大切にしたいことを大切にする選択を取っている。今で言えば子育てだったり、10年前で言えば世界一周だったり。

そして、同じく人生は何にも代えられない大切なものだから、本当に充実した人生を送って欲しくてコーチとして活動している。


これから

今、これからの人生を見たとき浮かんでくるのは「やりたいことをやろう!」という自分の内側にベクトルが向いた感じではなく、「自分の生をこの世にどう活かしていこうか」という、アドラーで言うところの共同体感覚的な感覚。


自分の生をどう活かすか。
一つには子育て。自分よりも先の時代を歩んでいく子どもを大切に育てていくことが一つの活かし方。

もう一つは何だろう。大学時代には環境系のことを専攻していたけど、それは世界全体が少しでも良くなればと思ってのことだった。
コーチングを通して人と世界をより豊かにしていく。それ以外にも、何かささやかであってもプラスの影響をもたらせることがあると思う。

後世に何かを残すことが、ある意味で自分個人単位での死を超えることなんだと思う。


そんなところに視点を向けて、これからの37歳を歩んでいこうと思います。
(誕生日の前日に何回タヒってタイプしとんねん)


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