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『ニュー・アース』省察① ‐ 人間の機能不全、狂気への認識

たまに、とてもお堅い本を読みます。
深い洞察や示唆に富んだ内容に出会うと、心の底からなるほどと感心して、今後の生き方に生かそうとか心に誓うのですけれど…
実際にはどんな言葉で何が書かれていたのか、詳しく記憶しておくことは出来ていないのが実情です。

思い起こしたければ再読するしかないわけですが、この手の本は読むのに結構時間がかかる。
もちろんその繰り返しの中で再発見があり、自分へのより深い浸透が起こるのですが、この本についてはちょっと趣向を変えて、自分なりの理解や未来の自分に共有しておきたいことをここに書き記していってみようと思いました。

この本とは、エックハルト・トール著/吉田利子訳の『ニュー・アース』。

日本では2008年に初版が出版され、今年で18刷まで増版されている名著です。
ものすごく深いところに働きかけてくる本ですが、非常に密度が濃くて、じっくり読むことでようやく自分の中に浸透してくる感じがします。
この浸透してきた感じを今の自分の言葉で残してみることは、もちろん第一には自分のためなのですけど、ひょっとしたら他の方にも参考になるかもしれないと思い、どのくらい時間がかかるかわかりませんけれど、まずは始めてみようと思った次第です。
自分向けなので、表現が分かりにくかったり、どこかに間違いがあったりするかもしれませんが、優しく見逃していただけますと幸いです。

第一章 私たちはいますぐ進化しなければならない

まず、筆者がこの本を書いたいちばんの目的について、冒頭にはっきりと記されています。
それは、読者の意識を変化させること、つまり目覚めさせること
決して、読者の頭に新しい情報や信念を付け加えることでも、何かを説得することでもない。考え方や概念を頭のなかでもてあそび、同意したり反論したり、つまりおもしろがらせることではない、と。

前段はともかく、後段の記述にはドキリとしました。
巷にはいろいろな言葉や概念が乱舞していますが、その中でも大切に扱いたいと思っている言葉や概念に対して、私はもてあそぶように扱っていないかどうか。
もてあそべるのは、自分自身を対象から外して認識できているから。他人事だから。
ここ、少し意識しておけるところです。
今回、省察を進める上ではどうしても書中の概念を整理して、自分が認識した過程を残したいので、まさにもてあそんでいないか意識しながら進めていきたいと思います。

そして、こう続きます。

目覚めに不可欠なのは、目覚めていない自分を自覚すること
エゴイスティックに考え、話し、行動する自分と、そういう目覚めていない状態を持続させている、人間に刷り込まれた思考プロセスを意識すること。
人間はそのままであればエゴを認識することすらできず、ずっとその支配のもとで操られてしまう。
まずは、仕組みを知ること

古来より、宗教やスピリチュアルな伝統の多くには、表現は多少違えど共通の洞察が認められるといいます。
その一つが、<ほとんどの人間の「ふつうの」精神状態には機能不全、もっと言えば狂気と呼べるような強力な要素が含まれている>という洞察です。
ヒンズー教では「集団的な精神病、妄想のベール」、仏教では「ドゥッカ、苦」、そしてキリスト教の「原罪」も元の意味は人類の機能不全のことを指すのだそう。
これまでのめざましい科学的な発展や芸術の進化を見れば、人類に知性があるのは明白です。
でも、それは狂気を帯びていて、歴史を紐解いてみても自然災害より人類お互いが引き起こす厄災の苦しみの方がはるかに大きい。
それは、狂気に仕える知性…。
そしてその狂気は、人類だけではなく他の生命体と地球そのものにも限りない暴力を振るい続けている。

狂気…私は日頃、人間を苦しめている原因として、コアビリーフとかマインドセットとかいう言葉を使いますが、これらも明らかに人間の機能不全の一形態です。
そして、基本的にはこれらを個人の認識に属しているものとして扱いますが、集団意識からの影響を多分に受けているのが通常です。
その極端なものが、狂気…狂気があるのが今の人間の”普通の”精神状態…。
ゾッとする言葉ですが、確かに自分の中にも狂気と呼べるような機能不全をいくつも見つけてきました。
見つけるたびに本当に驚きましたし、知らぬままでいたら今頃どんな風に生きていただろう、と思います。

そんな機能不全、狂気に対してどうすればよいか。著者はこう続けます。

恐怖と欲望を捨てよう、という試みは上手くいかない。良い人間になろうとしても、当人の意識に変化がない限り上手くいかない。
良い人間になろうとするのもまた同じ機能不全の一部。
エゴイスティックな高揚感、自意識や自己イメージの強化を求める欲だから。
良い人間には、なろうとしてなるものではない。
すでに自分の中にある善を発見し、その善を引き出すことでしか、良い人間にはなれない。
それが意識の根源的な変化、である。

この人類の機能不全という洞察(悪い知らせ)は、その先に人間の意識変化の可能性についての洞察(良い知らせ?)も生み出しています。

ヒンズー教の「悟り」、キリスト教の「救済」、仏教の「苦滅諦」…「解放」や「目覚め」という言葉も使われますが、ブッダや老子のようにこの仕組みを見抜いた人々が少数ながら遠い昔から存在する、と論じています。
つまり、人間はこれら機能不全や狂気に気付くことは可能、と。

しかし、残念ながら多くの宗教では、これら狂気から脱出する方法を示しながらも、その教えが歪められ、むしろその宗教自体が狂気となり、分断する力になってしまった歴史が存在する、とも指摘されています。

ここでもう一つの大切なキーワード、同一化が出てきます。
宗教やイデオロギーに代表されるような信念体系やその他特定の思考と、自分自身を同一化するのは、自分のアイデンティティを守り、強化しようというだけの行為だと、バッサリ断じています。
そして、自分が「スピリチュアル」かどうかは何を信じているかではなく、どんな意識の状態にあるかによって決まると、もう多くの人が知っている、と。

特定の思考や形あるものとの同一化によって自らの価値を高め、あるいはアイデンティティを守ろうとする意識を、どう手放せるか。
そのエゴの仕組みと同一化、そこからの解放については、次章以降で詳しく述べられていきますので、ここではこの辺で。

この人間のエゴイスティックな機能不全が、地球上の生命の存続を脅かし続けているわけですが、今かつてないほどの緊急性で、自らが自らを滅ぼすかどうかの重大な選択に迫られています。
より多くの人々が目覚めのプロセスに入ることが、世界の準備につながり、世界を変えることができる。

本書のタイトルは、聖書の預言にある「新しい天と新しい地」から取っているのだそう。
ここでいう「天」とは空間的な場所ではなく人間の内面の集団的意識の領域のこと、「地」とは外側の形、つまり地球をはじめとした物理的な領域のこと。
人々の内面における古い意識を解体することによって、地球の多くの場所で地理的にも気候的にも大きな変化が起こる ‐ すでに起こってきている ‐ というところで、第一章が結ばれています。

ただ、本書が書かれた2008年に比べ、2020年現在の地球の状況は…起こってきている変化は、むしろ壊滅の方に傾いていると感じています。
こんなネガティブなフレーズをここに書き記したくはないけれど…。
古い意識を解体しつつある人が増えているのも間違いないと思いますが、いかんせん時間が…。

≪巻頭写真:Photo by Louis Maniquet on Unsplash≫


長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。