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『ニュー・アース』省察⑬ ‐ 思考と感情の悪循環による苦痛の集積

第五章 ペインボディ――私たちがひきずる過去の古い痛み (前編)

さて、ようやく省察も第五章に入りました。
私がある意味いちばんまとめておきたかった『ペインボディ』という概念について、語られ始めるのがこの章です。

『ペインボディ』とは私が知る限りエックハルト・トール氏による造語です。
まずはその意味・定義について、本書からいくつか文章を引用しておきます。

・人間には古い記憶を長々とひきずる傾向があるから、ほとんどの人はエネルギーの場に古い感情的な苦痛の集積を抱えている。私はこれを「ペインボディ」と呼んでいる。
・ほとんどすべての人がもっている古くからの、しかしいまも生き生きと息づいているこの感情のエネルギー場、それがペインボディである。
・ペインボディはほとんどの人間のなかに息づいている半自立的なエネルギー場で、感情から作り上げられた生き物のようなものだ。

『ニュー・アース』第五章

…これらを読んだだけでは、ちょっと何のことだか??という感じですよね。
その内容を紐解いていくのに、本章ではこれまで多面的に論じてきた『思考』に加えて、『感情』にフォーカスし詳しく見ていくことになります。

まず『思考』についてですが、ここでは『思考』とは人が意図して行うことというより、血液循環や消化活動と同様、人の意志とはかかわりなく勝手に起こる事象である、と説きます。
自分が能動的に行っているように感じられても、大概は取り憑かれたかのように過去の出来事に反応する頭の中の声に振り回されている状態、と。
取り憑かれて勝手に起こっているにも関わらず、『思考』と同一化している最中はそのことに気づけず、私たちは「自分が考えている」と思いがちで、そこにエゴが発生するのです。

そんな『思考』の流れに加えて、『感情』というもう一つのエゴの次元がある、というのが本章の解説の出発点。
もちろんすべての『思考』や『感情』がエゴなのではなく、ポイントは自分がそれらに完全に同一化してしまっているかどうか。

それら『思考』『感情』と、さらに『身体』『心』『知性』との関連性について、本書での文章を概略図に起こしてみました。

そもそも人間は原初より、その『身体』に本能的な『知性』を宿しています。
人間が何らかの脅威や挑戦にさらされると、『身体』の『知性』が反応して恐怖や怒りという本能的な反応が起こり、大きなエネルギーを生み出しながら、戦うか逃げるかという選択で対応します。

この本能的な反応は、原初の『感情』と考えても良いのですが、私たちの考える『感情』とはやはり少し違います。
私たちの『感情』は、外的脅威という状況に対してではなく、『心』から生じた『思考』に対する反応を指します。

『身体』はとても”知的”なのですが、残念ながら状況思考の区別がつけられません。
つまり、恐れや不安がどこから生じたかによって反応を分けることが出来ないのです。

たとえ『身体』は安全な環境に置かれていたとしても、頭の中の声が語る不幸な物語をあたかも現実であるかのように信じ、『心』から発する恐れや不安に反応してしまう。
その反応を『感情』と呼び、これも自覚的でなければエゴであるというのが著者の主張です。

そして実際の外的脅威であれば、戦うとか逃げるとかの実際的な行動につながるものですが、この『感情』はリアルな何かではないので、発生したエネルギーの捌け口がありません。
したがってそのエネルギーは元の『思考』へ還流し、さらなる感情的な物語を生み出すという悪循環につながってしまいます。
またそんな『思考』の流れは、調和の取れていた身体機能へも有害に働いていくことになります。

こんな状態を引き起こす『感情』について、第一にはもちろんネガティブな感情を想定していますが、ではポジティブな感情であれば問題ないかというと、そういう訳でもありません。
エゴが生み出すポジティブな感情には“反対物”が含まれていて、瞬時にそちらに変化する可能性があるからです。

例えばエゴがと呼ぶものには独占欲や依存的な執着が含まれているから、あっという間にそれらに変化しかねない。
これからの出来事に対する期待は未来へのエゴの過大評価だから、その出来事が終わってしまったり、エゴの期待通りにならなければ、簡単にその反対物 ~ 落胆や失望 ~ に変わる。
賞賛承認を受ければ、いっときは生きていてよかったという幸せな気分になるだろうが、批判や無視にぶつかるとすぐに拒否されたと暗い気持ちになる。

『ニュー・アース』第五章 P.152

外部要因に自分を同一化させて生じた『感情』は、善悪や好悪といった二項対立の領域にあり、そもそも不安定で当てになりません。
そんな『感情』よりもっと深いところには、『感情』ではなく「いまに在る」という状態が存在し、それは人の内部から愛や喜びや安らぎとして発せられている、というわけです。

人間はなかなか過去を手放すことが出来ません。
手放せず、あるいは手放す意志を持たずに、過去の状況を心の中に溜め込み積み重ねていくのが、おおかたの人々の人生です。
ただし、その積み重ねる記憶自体は問題ではありません。
その過去の記憶という『思考』に完全に支配され、重荷に変わったとき、その記憶が問題になってくるのです。

記憶が自己意識の衣をまとい、あなたの物語があなたの考える「私」になる。
この「小さな私(little me)」は幻想で、時も形もない「いまに在る」状態というあなたの真のアイデンティティを覆い隠してしまう。

『ニュー・アース』第五章 P.155

頭の中の記憶=『思考』に古い『感情』がまとわりつき、さらに還流して延々と『思考』が、エゴが、膨らんでいく様は、上記の概略図でも表現したとおりです。

古い感情的な苦痛の集積 ‐ それが「ペインボディ」です。
感情的な『思考』を自己と勘違いしているから、それを強化するために敢えて古い『感情』にしがみついてしまう…。

しかし、そんな「ペインボディ」の巨大化を避ける方法はある、と著者は説きます。
心の中の映画作りに延々といそしむ代わりに、つねに自分の関心をいまに引き戻すことを学ぶ、つまり「いまに在る」ということをアイデンティティとしていくように努めるのです。

あなたが「いまに在る」ことを妨げる力を持つほどの過去の出来事など存在しない。
エックハルト・トール氏はそう力強く言い切ります。

≪巻頭写真:Photo by Philippe D. on Unsplash

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。