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おかあさんがくれたもの。#清潔のマイルール

清潔であるということ。

清潔であるという感覚がどこからくるのか…と考えてみると、
私にとっては子供の頃に母親の価値観からの埋め込みをはじめとし
成長に従って自分ならではのその状況ごとの意味づけを行い、
現在の自分自身の価値の一つとして存在しているという感じがする。

そう考えると、母からもらった清潔の価値観がスタートライン。子供の頃は従順にそこに従っていたことを思い出す。


小学生になると玄関の掃除と階段&廊下の掃除が、毎朝学校に行く前のお手伝いとして始まりました。弟と週替わりで行っていた記憶。
…あれ?いつからやらなくなったのか…記憶がない(笑)


弟は喘息持ちだったので、入院すると母が付きっきりになることもあり、私は出来るだけ迷惑をかけないように生きる事を頑張っていたように思う。玄関をきちっと綺麗にしておくと褒められる。それが嬉しくてまた頑張る。そんな世界だった。

母自体がものすごい綺麗好きかというとそこまで厳しいことはないが、彼女ならではの『美のルール』みたいなことは伝えられていた様に思い出す。例えば玄関先の雑草を放置しない。みたいなこと。商売をしていたので、お客さんが来る前提で玄関を整えるという作業だった。


時は流れ…私は34年ぶりに母の生活を日常的に垣間見る生活となった。
(スープの冷めない距離生活)
会社は別な土地に社屋を構えたが、相変わらず玄関先は綺麗に整えられ、人を迎えるという環境が整ってると思う。

そこに大切にされていることは清潔感。である。



マイルールというのは、自分が大切にしている価値観。


母の玄関周りを整えておくというマイルールは、
私の中のマイルールにもなっている。


キッチンがいつもピカピカ?と聞かれると自信がないけれど…
玄関はいつもピカピカです。



あれ?書こうと思っていた着地じゃない(笑)

写真の背景
会社猫が寒そうだったので、スヌードを巻いてみたけれど…
全く動けなくなり…あげたかったのに受け取ってもらえなかった。

#清潔のマイルール

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