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第三話/修繕師グレシャムの復讐④【ペンドラゴンの騎士】

 四章/騎士の誇りを


「本当に、本当に好きにやらせてもらいますからっ!」

「……どうぞ?」

 グレシャム工房に来てからしばらく経過した頃、突如パメラは家中の物置をひっくり返すと宣言した。ヘイデンは訳も分からず、言われるがままに手伝いをさせられている。

「ヘイデンさん、これと……それとコレ。使いますか?」

 パメラは出自のよく分からない花瓶と、東欧風の皿を指さし尋ねる。

「いいや。数年見たことがなかったな。処分してもいいかも」

「じゃあ、売りに出して仕舞いますね。では次、こちら。まだまだありますよ」

 物置の肥やしを並べたダイニングで、二人は何やら選別を始めていた。

 紅茶のおかわりを淹れようと扉の前を通りかかったアガサは、彼らの行動に首を傾げる。

「二人とも、一体何をしているの……?」

「不要物の整理です。ほら、ここの家は物が多い、でも驚くほどに一級品ばかり。売りに出せば、まとまったお金が手に入ること間違いなし! と思いまして。ヘイデンさんに手伝って貰っている次第です。アガサさん、この時計はどうしますか」

「いいえ、いらないわ。すごいわ。戸棚の肥やしが、お金になるだなんて……一体どこに売りに行くの?」

「うちの馴染みの骨董屋に売りに行きましょう。いい目を持っている方です。信頼もできる。きっと、悪くない値段で引き取ってくれますよ」

「へえ……画期的なのね」

 いえ、こういった流通は昔から存在していまして……なんて説明をはじめれば、アガサは何で何でと続けて質問することだろう。ペトラは頷くだけして作業を再開する。

 おおかたの荷物を纏め終えると、パメラは木箱一杯に、骨董品を詰め込んだ。

「さ、行きましょうか。残念ですが、ヘイデンさんはお留守番です。代わりに夕飯をお願いしてもいいですか」

「ああ……だろうと思ったよ。うん、任せて。とっておきのを作って待ってる」

 力瘤を作ってみせるヘイデンの隣に立ち、アガサは手を小さく振った。
「行ってらっしゃい、気をつけて頂戴ね」

「何を言っているんですか、アガサさんも一緒に行くんですよ。支度をお願いします」

「えぇ!」

「なんで自分が留守番だと思ったんですか。たまには外に出ましょうよ」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするアガサをよそに、パメラはコートを手渡す。

「でも、私には作業が残っているのよ。それに、当番のシャワー室の掃除だってまだ手をつけてないわ」

「姉さん、最近ずっと閉じこもっているでしょ。僕が家のことやっておくから。早く」

 ヘイデンは、戸惑う姉にコートを着せた。暫く袖を通していなかったようで、やや埃っぽい匂いが鼻をつく。

「貴方も一緒に企んでたの」

「はは、実はね」

 どうやら、一連の出来事はヘイデンが仕組んだとのこと。家の中に閉じこもりきりな姉をつれて行く口実として、骨董品を引きずり出す計画だったらしい。見事、大成功だ。

「どうしましょう、お外に出るなんて久しぶりだわ。変じゃないかしら」

 くるくると回り、スカートを何度も見やる。

「気にしていたら、埒があかないですよ。人って意外と通行人のこと気にしませんから。さあ、外出てください。早く!」

 急かすようにパメラは木箱を押しつけた。相当重いだろうと踏んでいたそれだが、実際抱えてみると、まるでクッションのように軽い。拍子抜けしていると、パメラが誇らしげに言った。

「必要救急の魔術です。少しだけ、使わせて頂きました」

 パメラはこの木箱に、自身の得意とする『重量の反転』の魔術を使用したそうだ。この箱の中に物が入れば入るほど軽くなる。そういった仕組みらしい。

「すごいわねぇ。魔術も得意なの」

「魔術騎士団に口説かれる位には。さあ、行きましょうか」

 外に出ると、分厚い雲越しの日差しが日光になれないアガサに降りかかる。彼女は、薄目を開き、影を踏むようにして小さくとぼとぼと足を進める。

「うぅうん……」

 うめき声を上げるアガサに、パメラは「やっぱり」と肩をすくめた。
「結構曇っている方なんですよね、今日。眩しいですか」

「ええ、眩しい……太陽ってこんなにもキラキラしているものだったかしら」

「夏になったら干からびて死んでしまいそう……なら骨董品を売りに行ったらそのお金で帽子でも買いましょう。家にあったもの、どれもぼろぼろでしたから」

「お帽子を?」

「アガサさんは背が高いから、大きなつば広帽が似合います。いいなぁ、私も背が高ければなぁ」

 背伸びをしつつ、パメラは言った。彼女は同年代の学生の中でも背が低く、パブによっては未成年と間違えられて仕舞う程に小柄だ。

「つば広帽子が似合わなくても、他にぴったりのが見つかるわ。カンカン帽子なんてどう? 大きなリボンのついた」

「駄目です。もっと大人っぽくて、格好良く見えるくらいじゃないと。例えば、舞台の花形になれるくらいに」

 二人は雑談を交わしながらイーストエンドを抜け、ロンドン中心部の静かな通りへと出てきた。ここは古書店や魔書の古本が並ぶ地区らしく、掲げられた看板には二人のよく知る名が幾つも見てとれた。

「まあ、有名なお店ばかりだわ」

「目的地はもう少し先です。ついてきてください」

 パメラは慣れた足取りで煉瓦道を進み、人一人通れる細さの裏通りへと出た。表と同じ閑静な雰囲気ではあるものの、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。

 まさか、危なげな店ではないか。

 アガサは一抹の不安に駆られるが、パメラを信じ、大人しく小さな背についていく。

 通路の突き当たりまで来ると、細い扉が一つ、目の前に立っていた。店名は『アークライト・アンティーク』と品のある金文字の小さな看板が掲げられている。

「なんとも不親切なお店でしょう? 客が来ないわけです。でも長年マクィーン家が世話になっている、由緒ある骨董屋なんですよ。辺鄙なところにありますが、店の質は折り紙付きです」

 パメラは、扉を開く。瞬間、目の前に広がった世界に、アガサはぽかんと口を開けた。東洋の陶磁器に、巨大な古木、有名彫刻家の名残を感じさせる巨大なレリーフに、一度目にしたことのある絵画。それらが雑多に並べられている。だが、雑多と言っても、配置はどこか整えられており、美的センスを感じる。言うなれば、有象無象の標本箱。なんとも目を奪われる空間だった。

「素敵ね、これが骨董屋さん。なの。まるで小さな美術館のようだわ」

「お褒めにあずかり光栄ですね」

 美術品の奥から、杖の音と共に一人の老人が現れた。すっかり腰が曲がり、足取りは覚束ないが、どこか少年のように澄んだ瞳が印象的だ。パメラは彼を見つけると、小走りで駆け寄る。

「クリフおじさま。お久しぶり」

「おお、パメラお嬢様。よくぞいらっしゃいました。またまた、立派になられて。はていつぶりかのう」

「最後に会ったのはアカデミーに入る前よ。大きくなるに決まっているわ」
「いやはや、時が流れるのは早いものだ。ついこの間までキャンディー一つで跳ね回っていたのに」

 クリフと呼ばれた老人の視線が、アガサを捉えた。

「おお、話は聴いておりますよ。彼女がグレシャムの……」

 杖をつき、唖然とする彼女の元へと歩み寄る。そしていぶかしげに眉をひそめる。

「ご、ごきげんよう……」

 もしかして、彼はグレシャムを……。

 すっかり萎縮しきったアガサに、クリフは柔らかく微笑んだ。

「ごきげんよう、素敵なレディ。まるで夏の葉のような、美しい瞳だ。失礼した。どうしてもこの年になると、目が悪くなってしまいましてね。ささ、紅茶と茶菓子を用意した。召し上がってお待ちくだされ」

「だって、行きましょアガサさん!」

 待ちきれない、と言わんばかりの急足に誘われ、パメラは店の奥へと足を踏み入れる。二人は案内されたテーブルに腰かけ、甘い茶菓子を楽しんだ。その間クリフは、二人の持ってきた骨董品の数々に目を輝かせている。

「なんて素晴らしい、このような品がまだ英国に存在したとは」

「そんなに良い代物なの?」

 ああ、とクリフは声を弾ませる。

「まず、偽物は見当たらないね。どれも正真正銘、本物だろう。これはダイヤモンド並みの値段がつくやもしれない」

「本当!」

 パメラの歓声に応えるように、クリフは小切手を取り出し、値段を書いて見せた。そには、少なくとも半年はゆうに暮らせる金額が書いてある。

「夢のようだわ。まさか、こんなになるなんて。感謝いたします」

「お嬢さんが保管してくださったお陰だよ。こちらこそ、老いぼれに素晴らしい品を見せて頂き、ありがとう」

 小切手を受け取ったアガサは、嬉しげな反面どこか表情が暗い。

「どうしたんですか」

「……いいえ、今の私には不要な品だと分かっていても、少し寂しいと思ったの。素敵な思い出そのものではないけれど、小さな頃からずっと持っていた物だし」

 すると、クリフが「ご心配なさらずに」と説くように微笑む。

「こちら、一度当店で『お預かり』と言うことにさせて頂きましょう。ですから、もし恋しくなったらまた買い戻しなさればいい。いつでも、お待ちしておりますよ」

 アガサの目が煌めいた。

「いいのですか」

「ああ、マクィーン家の皆様にはお世話になっているからね。それに私は骨董屋ではあるが、蒐集家でもある。貴殿から預かった品は、元より手元に置いておくつもりだった。どうせ老い先は短いんだ。少しの間、楽しませてもらいますよ」

 クリフは今一度、アガサの手に握らせる。冷たくしわくちゃな掌に、思わず彼女は笑みをこぼした。

「本当に嬉しいわ。なんてお礼をすればいいのでしょう」

「では、パメラお嬢様のことをよろしく頼みます。とってもお転婆ですから」

「ちょっと、クリフおじさま!」

「ほほほ、事実ですからねえ」

 蓄えた髭を撫で、クリフはどこか満足そうに目を細める。

「まだあと少し、実習期間が続くのでしょう? どうかこの子が立派な修繕師になるよう、手伝ってあげてくれませんか。小さい頃からの夢なのです」

 小さい頃からの夢。

 ずっと、ずっと。忘れていた言葉。アガサはもう既にそれを手放してしまったけど。彼女は、瑞々しいパメラはこれを持っている。

「夢……」

 自分のそれはもう叶わなくても、どうか彼女の夢は。叶えたい。

 クリフの言葉に、アガサの表情は決意に固まった。

「はい。お任せください。この私では不十分かも知れませんが、彼女が無事修繕師になれるよう、責任もって送り出させて頂きます」

「あ、アガサさん……!」

 思わぬ発言に頬を赤らめるパメラに、満足げにクリフは頷いた。

「そうかそうか、ならば儂も安心だ。まだもう少し茶が残っている。時間の許す限り、ゆっくりしていくといい」

 三人は暫く紅茶を楽しみ、店を後にした。帰り際、コートに手間取るアガサの横で、クリフはそっとパメラに耳打ちする。

「素敵なお師匠さんだね、パメラ嬢ちゃん」

「……はい。素敵で可愛くて、誰にも負けない師匠です」

 お師匠さん。こそばゆい響きに照れ隠しをし、「さあ、帽子を買いに行きましょう」とアガサの手を引いて店を出た。穏やかな視線は二人を見守ると、店の奥へと消えていった。

・・・

 大きな買い物袋を下げ、二人はイーストエンドへと帰ってきた。アガサは新しいコートと帽子を身につけ、気恥ずかしそうに裾をいじる。

「お帽子だけじゃなく。コートも買ってしまったわ。大丈夫なの?」

「元々そのつもりでしたから。アサガさんは一応、グレシャムの当主なんですから、ちゃんと外に出ても恥ずかしくない立派な服のひとつ、用意しないと駄目ですよ! とっておきの一張羅さえあれば大丈夫です。これから沢山、公の場に出てもらいますよ。貴方も代表者としてしっかりと気を張って貰わなくちゃ!」

 ふんふんと鼻息荒く主張するパメラに対し、アサガの表情は暗かった。

「……そうね。ある程度の身なりは整えておく必要は、あるわよね」

「? どうしたんですか?」

 不意に視線を感じた。誰かと周りを見渡せば、道の隅に寄りかかる二十代か三十代の男性。「ほら、あいつだ。あの女」と指を向けている。こちらを見やる目が、やけにいやらしい。アガサもそれに気がついているようで、下唇を小さく噛む。

「ああ、見たことあると思えばグレシャムの女だ。隣にいるのは誰だ? 子供か?」

「使用人でも雇ったんだろ。まあ、その金も、あの卑しい仕事で稼いだんだろうがな」

「ふん、折角なら娼館にでも落ちればよかったんだ。姉弟そろっていい面しているんだからよ」

「でも、言い身なりをしているな。知らない間に客でも取っているのかも知れない。あの荒屋に毎晩人を呼んでさ」

 瞬間、パメラの脳が薬缶のように熱くなった。

 侮辱だ。彼らは今、アガサとその弟を侮辱している。

 体の中で、怒りの熱が僧服していくのが分かった。パメラはきつく拳を握り、押さえるように静かに告げる。行きます、と。

「パメラさん? だめよ、ああいうのに構っちゃ。ろくなことがないわ」
「いいえ。我慢なりません。あのクソどもに一発お見舞いしてきますね」

「待って頂戴、騎士として私闘は……」

「何言ってるんですか。これは、他でもない人間としての名誉を守るための戦いです。問題ありません。ああ、帽子借りますね」

「帽子?」

 キッと眼光を血走らせたパメラは、アガサから帽子を受けとり、下品に笑う男達の元へと向かった。

「おい、こいつ」

「グレシャムの付きの娘じゃないか。何だ何だ、俺たちはガキなんかとヤる趣味は」

「貴様ら、よくも私の師匠にやらしい言葉を吐いたな!」

 パメラが吠えると、男達は一瞬驚いたような顔をしたが、ニヤついた顔を引っ込め威圧するように見下ろした。

「随分と威勢のいい女だ、豆みたいに小さい癖し、」

 て。そう言い終わる前に、男の左頬にパメラの拳が突き刺さる。洗練された無駄のない一撃だ。とっさの出来事に、魔術防壁も発現できなかった彼はそのまま飛ばされ、地面へと顔面を打ち付ける。あの小柄な体格からはまず考えられない怪力だ。鼻血を吹き出し痛み悶える姿を見て、もう一人は手に魔力を込め始めた。

「畜生、何しやがる!」

「フンッ、心の正当防衛だ!」

 刃のような旋風を躱し、もう一度拳を構える。今度は顔面ではなく鳩尾を的確に狙い、打ち込んだ。嘔吐物を吐き散らし地面に疼く舞えるのを見届けると、パメラは踵を返し一目散に戻ってくる。

「あっはははは、最っ高に気持ちいい! 胸がすく! 魔術使わなかっただけでも感謝して欲しいわね!」

 そのまま、アガサの手を引いて、走り出す。顔を覗き込むと先ほどまで暗雲がかっていた彼女の表情も、徐々にだが晴れやかになっていく。

「ふふふ、あ、駄目。笑ってはいけないのに。悪いことをしたはずなのに」

「名誉を守る戦いですってば! 罪じゃない。ノーカウントです」

 ええ、そうだったわね。

 僅かに血のついたつば広帽を被り、晴れやかに笑うアガサは、パメラに手を引かれ、物騒な町の中心を駆けた。

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