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ビクトル・エリセ監督「瞳をとじて」

3月×日
ヒューマントラストシネマ渋谷で「瞳をとじて」(ビクトル・エリセ監督)2回目。

同じ監督の「ミツバチのささやき」と「エル・スール」という映画が好きだったこと、そしてこの監督の31年ぶりの新作長編映画、ということもあって、観る前に期待を膨らませすぎてしまったように思う。
最初の鑑賞では、正直少々退屈したのだが、自分がこの映画をどう捉えればいいのか上手くつかめないうちに終わってしまった、という気もした。
と同時に、SNSなどで絶賛の声を見ると「ホントかね?」という気持ちになったのも事実。
「ビクトル・エリセ監督31年ぶりの長編新作にして、集大成!」ってことで、最初から「これはスゴイんだ」って思って見たんじゃないの?とか。

まあそんなことをnoteにも書いたのだが、

どうにも消化不良な気持ちが残っていたので、もう一度見てみることにした。

以下、箇条書き的に2回目の感想を。

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今回は落ち着いて、全体像が分かっている上で見たこともあって前回よりはずっと楽しめた。ゆったりとした描き方と169分という上映時間も「老いと記憶をめぐる映画」としては必要だったのかな、とは思う。

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しかし169分はやっぱり長すぎると思うな。
「31年ぶりの長編新作にして、集大成!」である作品の上映時間が83分とかだったらカッコイイと思うんだけどなあ。

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「ミツバチのささやき」や「エル・スール」には「生活」が、「その土地に根付いた生活」が魅力的に描かれていた。
そしてそれが「瞳をとじて」には無い。
これは映画の題材というよりは時代の問題かもしれない。
映画の中盤で描かれる主人公の生活の場・・・それは少人数(プラス犬一匹)での共同生活で、主人公は自分の仕事(翻訳)をやりつつ仲間と一緒に畑仕事をしたり海に出て魚を獲ったりする。
この共同生活は非常に魅力的に描かれてはいるのだが、どこか地に足がついていないようなところがある。
実際、土地の所有者の意向で立ち退かなければならないかもしれない、という話も出て来る。
あるいは終盤の舞台となる高齢者施設。
ここでの生活もまた、どこか借り物のような生活である。

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犬は良かった。
カウリスマキの「枯れ葉」の犬に負けないくらい良かった。

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主人公が昔の恋人に会いに行くシーン。
昔話をして、それから女性がピアノを弾きながら懐かしい歌を歌う。
そのシーンの最後、女性がピアノを弾き終えて、そしてピアノのフタを閉じる。
ピアノに向かう女性を後ろからとらえた、全身が映るショット。
そしてフェイドアウト。
1回目に観た時もとても印象的だったこのシーンがやはり良かった。
昔話をして、歌を歌って、とても懐かしい気持ちになったけれども、でもこれでおしまい、そんな感じがあのピアノのフタを閉める仕草から伝わってきて、ああ、と思った。

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「瞳をとじて」は、映画についての映画でもある。
そして、最初に観た時のnoteでも書いたのだが、「映画についての映画」にはどこか胡散臭さがある。
それに「夜の人々」だとか、ドライヤーの「奇跡」だとか、「なんちゃら駅への列車の到着」だとかを出してこられても正直ピンと来ないんですよ、こっちは「映画的教養」とやらを持ち合わせていないので、という気持ちになった。

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「ミツバチのささやき」で幼い少女を演じた俳優がこの映画にも出てくる。
そして「ミツバチのささやき」の中の重要なセリフを「瞳をとじて」の中でも口にするのだが、これは最初に観た時も2回目に観た時も、あまり良い趣向だとは思わなかったな。

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ただラスト近く、登場人物たちが映画を観るシーンで、登場人物たちがスクリーンを見上げる顔に「ミツバチのささやき」の少女がスクリーンを見上げる顔がダブってこれにはちょっと心を動かされたのだけれども・・・。

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