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映画「SHE SAIDシー・セッドその名を暴け」「そして僕は途方に暮れる」のことなど、

1月×日
TOHOシネマズ日比谷で「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」(マリア・シュラーダー監督)
マリア・シュラーダーという名前になんとなく聞き覚えがあってちょっと調べたら、去年観た「アイム・ユア・マン/恋人はアンドロイド」の監督だった。
派手さは無いが丁寧に撮られた映画で、「スゴイ!」とか「面白い!」とかではないが最後まで飽きずに観ることができた記憶がある。
いちおうSF映画になるのかもしれないが、どちらかというと「ある程度人生経験を積んだ女性が自分を見つめなおす」みたいな話で、去年話題になった映画「わたしは最悪」なんかに近いテイストの映画だった。
個人的には「わたしは最悪」よりも良かったと思っている。
この「SHE SAID/シー・セッドその名を暴け」も「派手さは無いが丁寧に」撮っているところに好感。
散歩の途中で偶然映画の撮影現場に出くわして目を輝かせ、やがて映画業界で働くことになった女性が、泣きながら街中を走る一つのシーンだけで、直接的な性被害の場面は描かないけれども何か酷いことが起こったことを見せ、この手の映画でよくある「取材者に対する脅し」の場面は描かないけれども、主人公の一人が後ろからくる車を意識して思わずハッと身を固くする一つのショットでそういう可能性/恐怖があることを見せる。
そうやって煽情的なシーンを避けつつも描くべきものは丁寧に描いていくことで、「結局は取材してるだけ」という話を129分、緊張感を途切れさせずに見せる手際はなかなかのものだった。
キャリー・マリガンは相変わらず良いが、他の役者も皆良い。

× × × × × ×

しかし、製作者でも監督でも役者でもいいのだが、なにか倫理的に問題があることをやった場合に、その人が関わった作品をどう扱うのか、ってのは難しいな。
未だにはっきりとした考えは自分にはない。
「SHE SAID/シー・セッドその名を暴け」にはサマンサ・モートンも出ている。
サマンサ・モートンといえば「ギター弾きの恋」。
大好きな映画だ。
監督のウッディ・アレンが何をやったにしても・・・。

1月×日
高齢者と同居している&知り合いにワクチン未接種者がいる、ということもあって、最近のコロナ対策の急激な緩和の流れにはちょっと恐怖を感じる。
一時期「正しく怖がりましょう」なんてことが良く言われたが、今本当に「正しく怖がる」事が出来ているのかな。
もう経済的に無理なんだ、ということであればある程度仕方ないのかな、と思うところはあるし、タイミングとしては冬場の感染の山がひと段落する4月あたり、というのは悪くないんだろうけど、少なくとも、思いのほか厳しい結果が出たらすぐに方向転換できるくらいの柔軟性は持っていてほしい。

1月×日
TOHOシネマズ新宿で「そして僕は途方に暮れる」(三浦大輔監督)
この監督の映画を観るのは「ボーイズ・オン・ザ・ラン」「何者」に続いて3本目。
人間の情けなさ、みじめさ、卑怯なところを描いて面白いところもあるのだが、なんかすごく狭い範囲の話を一つの方向からだけ見ているような感じがして、正直苦手な作風。
しかし逆に言うと、好きじゃないのに3本も見てしまうほどある種の魅力はある、ということか。
まあ今回も好きにはなれなかったけど。
今作を見て思ったのは、この監督はやっぱり舞台の人なんだなあ、ということ。
主人公が後ろを振り返るシーンを何度も見せるとか、映画ならではのことをやろうとしているのもわかるのだが、それでもなんかやっぱり舞台っぽい。

あとこれはすごく重箱のスミをつつくようなイチャモンなのかもしれないけれども、この映画の前半、主人公が盛り場の路地裏にしゃがみこんで電話をかける場面で、その路地裏が妙に清潔なのが気になった。
汚れたポリバケツは置いてあるし、ゴミをあさる浮浪者もいるのだが清潔。
ああいう場所には実際は、汚らしい何かがこびりついていたり、なんかよくわからない黒っぽい水が流れていたりして、とてもじゃないがしゃがみこむ気になれない、どころか足を踏み入れるのもためらう汚さだと思うのだが、この映画の中の路地裏は自分でもここなら躊躇なくしゃがめるだろうな、というくらい清潔感があった。
それもまた舞台っぽいな、と。

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