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障害者虐待(リワークセンター日本橋)

 「リワーク」の実態を書きました。 

 私は「うつ病」のため、2020年7月末から東京都中央区にある就業支援施設「リワークセンター日本橋」に通所し始めました。そこでは昨年10月から復職、再就職を想定した「模擬業務」がスタートしました。スポーツ新聞社勤務の私が任されたのは「広報担当」のリーダー。いわゆる「広報紙」を発行するため、リワークで行われたプログラム紹介や、日本橋周辺のグルメなどを取り上げ、管理責任者・Kのリスペクトもあって、2020年内はスムーズに進められ、3か月間で第7号まで製作できました。

 しかし、2021年に入り、Kが新宿南口に移籍し、日本橋の管理責任者がYに代わってから、展開は急変しました。「誰も傷つけない広報紙作りを」という超保守的な考えのもと、記事執筆・編集作業のペースは一気に鈍化していきました。広報の担当スタッフであるSもYの言いなりに動くだけで、相談相手にもなりませんでした。例を挙げれば、日本橋に「シークレットシューズ店」があることを一人の男性利用者が発見し、彼が実際に履いて通所し、話題となったので、私はそれを広報紙第8号で取り上げようとしました。しかし、記事に彼の身長を書いたところ、SはOKを出したのに、1月14日の紙面掲載直前にYが確認し、「身長はプライバシー情報だから止めてくれ」「身長が低い人が読んだら、嫌な気分になる可能性がある」として、記事の大幅差し替えを命じられました(その結果、掲出は利用者出席が少ない金曜日の翌15日に…)。私は「どうせやるなら良いもの、面白い紙面を作りたい」と思ってきただけに、ショックでした。また、掲載直前まで紙面の共有をしていなかったS-Y間の関係性にも不信感を持ちました。

 広報担当は当初、4人いましたが、私以外の3人は1月末までに退所されました。そのため、人数減による執筆量増加の負担を抑えるため、私なりに知恵を絞り、写真を大きく使った紙面作りを第9号で発案しました。その中で、利用者の一人が「それなら、ぜひ私の愛犬を紹介してください」と名乗り出てくれたので、データを拝借し、紙面上では犬の写真を大きく使いました。これまでにない紙面映えに利用者間では好評でしたが、担当のSに見せたところ、がっくり肩を落とされ「これじゃ意味がない」「リワークと全く関係ない」と全否定されました。私は上述したように、人数減による負担の回避の意向や、プログラム紹介だけでは、マンネリ化を呼ぶなどと主張しましたが、彼女は全く聞く耳を持たず、愛犬紹介の紙面はお蔵入りとなりました。

 その後、スタッフと利用者の間で週に一度行われる「週面談」では、2021年から新たに加わったWから、こう言われました。「模擬業務は過程が大事であって、極端な話、成果物なんてなくてもいいんですよ」。私は猛烈な怒りを覚えました。成果物=広報紙がなかったら、何をモチベーションに広報担当は活動すればいいのか。全く受け入れがたい発言でしたが、その場では特に抗議することなく振る舞いました。

 広報担当は1月途中から2月にかけ、2人の利用者が加わりました。そのタイミングで、YとSから「1から広報紙のルールを見直しましょう」として、ゼロベースでのマニュアル作りを要求されました。年明けから転職活動を並行していた私は、この頃から心身のバランスが崩れ始めました。それでも、担当のリーダーとして、新しく加わった2人のためにも何とかしなければという思いで、何とか踏ん張っていました。1月末のミーティングでは、「マニュアル作り」に向け、別の利用者が議事録を作成し、Sは紙にマジックでメモを取っていました。私はそれらを合わせて、マニュアルを仕上げました。

 ところが後日、このマニュアルを巡り、Yが食ってかかってきました。「マニュアルを読みましたが、議事録に書いてあることと違うじゃないですか」と。この時点で、YはSのメモを見ていなかったのです。だから私は、メモのコピーを引っ張り出して、「これを見ましたか? 私は議事録と、このメモを合わせてマニュアルを作ったんです」と反論しました。Yは「あ、あ、確かにこれはSの字ですね」とたじろいでいました。Yは勝手な先入観だけで、私が議事録から都合よく書き換えたと思い込んでいたのでしょう。怒りを露わにした私に対して、Yはこの件については直後に謝罪してきました。

 それでも、マニュアル作りは難航しました。2月に入ってからのミーティングで、Sは東京都の広報紙を持ち込み「都はこういう感じで作っていますからね」と言いました。それは暗に、これまで私が中心になって発行してきた紙面を否定するもので、私のプライドはズタズタに傷つきました(※東京都の広報紙が悪いという意味では決してありません)。また、Sは「二枚舌」が酷く、同一ミーティング内で発言が180度変わることもあり、私を含めた広報担当利用者の混乱と怒りを誘発してきました。さらには、スタッフ間での共有が遅いことを指摘すると「他にもやることがあったので」と、社会人失格にあたる弁解を口にして、我々の怒り、不信感を倍化させました。

 私は新しく広報担当に加わった2人の利用者が、不毛で不快なミーティングに参加させられるだけで、広報紙作りに携われない状況を鑑みて、2人の自己紹介を掲載する形で、第9号の紙面を埋めようと考えました。ラフを作り、Sに頭を下げ、「この形で紙面を進めさせてください。このままでは、新しく加わった2人が可哀想です」と懇願し、何とか認められました。第9号の発行・掲出は2月19日。前号第8号の発行(1月15日)から1か月以上も経過していました。

 2人の利用者に対して、やっと顔を立てられたという安ど感からか、私の心身は限界に達し、5日間ほど寝込むほど、体調が悪化しました。その期間、予定していた転職活動の面接も全てキャンセル・延期させてもらいました。このままでは自分自身の今後の社会人人生が切り開けなくなると思い、私はY、S、Wを除く2人のスタッフに対して、「模擬業務を一旦外させてくれ」と伝えました。本音を言えば、まだ広報業務に不慣れな利用者2人が、仕事の流れを掴むまでは、リーダーを続けたかったです。断腸の思いでした。見た目からも辛さが伝わったのか、私の体調を案じた2人からは、許可されました。

 そして、“事件”が起きたのは、3月4日。私は午前9時台のフリータイム中に、壁に掲載されていた広報紙第8号が、利用者の座席位置から近く、読む方も気を遣ってしまうという声を以前から聞いていたこともあって、場所を反対側の壁の出っ張っている柱に貼り替えました。すると、まずはそれに気づいたSが広報担当の利用者に尋ねたが、当然該当者はなし。その流れで、Yが立ち上がり、施設の真ん中で「これ、貼ったの誰ですか?」と声を張り上げて、犯人捜しに出ました。貼ったのは私なので、名乗り出たところ「何でこんなことするんですか?」と、これまた大声で詰め寄られました。「位置を変えた方が、利用者さんも読みやすいかなと思いましたから」と答えた私に対して、Yは「ていうか、もう引退されましたよね?」と声を張り上げました。前段落にも記しましたが、私にとって、模擬業務の離脱は、やむを得ない事情(体調、転職活動など)があり、断腸の思いで訴えたものでした。願わくは、広報担当以外の利用者には、そっとしてもらいたかったのです。でも、Yはそんな私の気持ちを踏みにじるように、隠しておきたかった事実を暴露し、“吊るし上げ”行為に出たのです。「利用者のプライバシー保持」を理念・方針に掲げてきた人が、わざわざそのプライバシーを公然と漏らしたのです。

 その後、Yから「ちょっと10時から話いいですか?」と強制的に面談部屋に連れていかれました。午前10時からの個人プログラム時間で、私は転職活動の資料作り等を進めたかったのに、その時間を奪われました。面談では、ネチネチと私の広報紙貼り替えについて、問い詰められました。第8号は私が中心となり製作し、執筆した利用者は3月4日時点で、私以外ゼロでした。それでも、Yには「あれはみんなのものです」と食って掛かられ、模擬業務を離れた私は、張り替えるならSの許可が必要だと説かれました。

 Yがセンターの管理責任者として、その施設空間を私が勝手に“動かした”という点を注意してきたことに対しては、私にも非があるとは感じました。ただ、そのやり方が随分と配慮を欠き、卑劣だなと思います。わざわざ私を利用者の面前で、吊るし上げる必要があったのか、と。Yは重ねて「こういう勝手なことをするから、あなたは現職でも人間関係のトラブルがあったんじゃないですか?」と畳みかけてきました。私自身、3年前に先輩社員からパワハラを受け、約1年間休職し、復職先部署では所属長に腫れ物扱いされ、仕事をまともに与えてもらえませんでした。そのストレスから所属長とトラブルになったことは事実ですが、社内での出来事と関連付けられたことは、はっきり言って心外です。

 Yはさらに広報紙を「チラシ」呼ばわりしてきました。最初は「チラシ」が何を指しているのか分からなかったのですが、話を進めていく中で、広報担当の成果物を意味していることが判明しました。それまで心魂を傾けて作ってきた紙面を「チラシ」扱いです。私を侮辱しているとしか思えません。私は部屋の中で、怒号を上げて反論しても良かったのですが「ここでキレたら負けだ」と言い聞かし、何とか耐えました。Yは面談の最後、「次やったらアウトですよ」と言い残しました。これは脅迫に相当する言葉じゃないでしょうか。

 地獄のような面談後、私のもとには複数の利用者から、こんな声が寄せられました。
「Yさんのあの言い方、やり方、私もすごくイラっとしました」
「聞いているこっちも嫌な気分になりました」
「何様のつもりなんですかね」

 これらを聞いて、私は「あ、これは俺だけの問題じゃないな」という思いが沸きました。

 そして翌3月5日。意を決して、リワークセンターを運営する「ロディーナ本社」(広島県広島市南区)に電話しました。対応したのは、管理本部のO。私はOに対して、模擬業務における年明けからの一連の流れと、前日4日に受けたYからの侮辱的仕打ちに関しての報告と相談をしました。Oは「お客様に対して不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありません」と謝罪を繰り返しました。そして、リワーク事業部統括者のKを通じて、しかるべき対処をすると言ってくれました。この時点では、私は本社側の対応に期待をしたのでした。

 翌日の6日。私は土曜プログラムに参加するために通所すると、壁には次週の週面談予定表が掲出されていて、私の担当スタッフ名に「Y」の名前がありました。私はYへの怒りとともに、「9日の週面談で、Yに潰される」という恐怖感も覚え、その日の訓練日報には「(Yとは)顔も見たくない」と記しました。

 週明けの8日月曜日(転職活動のためセンターは欠席)。時間が合わず、Kからの電話に対応できなかった私は、Oからの電話で「Yとは当面会いたくないので、明日(9日)の面談は勘弁させて欲しい」と懇願し、その旨は受け入れてもらいました。ただ、この背景には、Kが同日、Yに対して9日の面談で、釈明と謝罪をせよ、という厳命があったとのことです。私が6日の訓練日報で記した「(Yとは)顔を見たくない」という意向は、全く反映されていないことが明らかになりました。そして、結果的に、私は3月6日が日本橋への最後の通所となりました。

 Kとは電話で9日に初めて話をしました。Kは私の将来を案じ、新宿南口への移籍を勧めましたが、私としては「何で被害者の俺が異動しなきゃならないんだ! 動くのは加害者のYの方だろ!」という思いだったので、Yへの処分を求めました。しかし、Kの返答は「そんなことできるわけない」でした(私が勤める企業であれば、まずは自宅謹慎処分が下されるのが自然な流れなので、驚かされました)。通話時間は約30分間。声だけで一連の問題のすべてを説明するのは不可能だなと判断した私は、電話の後に、それまでに日本橋のスタッフに手渡していた書面(私の悩み、葛藤、ストレス、本音を記したWordファイル)を添付して、メール送信しました。ちなみに、これらの書面は、センター内での改善・解決を求めて提出したものですが、効果はありませんでした…。

 翌10日。Kからの着信に対応したところ、彼は謝罪よりも先に「いや~、凄いっスね。やはり新聞社さんの作るものは凄い」と笑い声を上げながら、私の書面について言及してきました。その後も終始、軽い口調で「とりあえず一度、東京で会いませんか? 会って話して分かることもありますから」として、通話はあっさりと終わりました。この時点で、私はKに対して、「軽い」「厳粛さが感じられない」「頼りになるのか」「結局はスタッフ寄りで、利用者の立場に立ってくれるのか」という印象を持ちました。

 Kと初対面したのは16日午後、センター新宿南口の面談部屋でした。この席上で、私は改めて模擬業務から起因する一連の経過を説明しました。Kは、SとWの件は「初耳」と言いました。Kは私がメールに添付した文書を、流し読み程度でしか目にしていなかったのでしょう。失望させられました。

 Kは「部下の責任は、上司である私の責任なので」と繰り返して謝罪してきましたが、私はY、S、Wからの直接的な謝罪(対面に限らず、電話、メール、手紙含め)がなければ、納得できないと強く主張しました。初対面の人間から、どんなに謝られても、私には響きません。これを受けて、Kは「確実なお約束はできませんが、Yと私で謝罪する形なら検討します」と切り出してきました。とことん部下をかばう上司だなと、辟易しましたが、管理責任者のYにS、Wの分も謝ってもらうかと思い、私は妥結しました。Kに「S、Wにも聴取は必ず行いますので」と約束させて。

 Kからは19日に、24日午後に新宿南口にYを連れていくという連絡がありました。しかしその後、私は24日午後に転職活動の面談が入ったため、23日夕方にセンター日本橋を通じて、延期のお願いの連絡を入れました。その時に、対応したのがSでした。私は電話の流れでSに「Kさんからヒアリングを受けましたか?」と聞きました。返答は「いいえ」。「電話でも何も聞いてませんか?」と重ねて尋ねると「はい」と返されました。この時点で、KがS、Wに対して何のアプローチもしていないことが分かり、私はKにメールで、24日の面談延期へのお詫びとともに、「約束を果たしてください」「『部下の責任は私の責任』と言うのなら、それ相応の対処をしてください」と伝えました。

 Kからは翌24日に返信が届きました。「ヒアリングの件ですが、前回のお話でもお伝えさせていただきました通り、本日から東京におりますので、内容等は確認してまいりますので、ご安心ください」。16日から1週間以上経過しているのに、日本橋に電話一本も入れずにいた拙く、遅い対応に、私は心底がガッカリさせられました。

 ちなみに、私は23日に、東京都社会福祉協議会「福祉サービス運営適正化委員会事務局」への相談とともに、東京都福祉保健局「障害者支援施設担当」の東京・中央区担当者にも連絡致しました。福祉協議会のM様と、保険局の担当者には、当日中にセンター日本橋に電話してもらいましたが、管理責任者のYが休日だったため、M様からは「24、25日は別件があるため、26日に連絡を入れ直す」という折り返し連絡をいただき、保険局担当者は「24日にYさんに改めて伝えます」と言っていました。

 そして、24日はロディーナの総合受付に電話し、「そちらに第三者機関に相当するコンプライアンス組織があるのなら教えて欲しい。Yを告発したい」と伝えたところ、電話口はOに代わりました。Oは私が前日に東京都社会福祉協議会「福祉サービス運営適正化委員会事務局」、東京都福祉保健局「障害者支援施設担当」に話を持ち掛けたことを指摘し、「こちらにも適正化委員会、福祉保健局から連絡があり、東京都に対しても対応に追われています」と明かしてきました。Kを含め、ロディーナ上層部の対応の拙さに苛立っていた私をなだめるためか、「実は、すでに社長が東京に行き、Yに対して直接説教をしています」という新たな“情報”を提供してきました。この時点では、Oのコメントを信じたのですが、私はこの日のうちに、リワークセンターを退所する決意を固めました。近々にYに処分が下される可能性はなさそうなこと、私が仮に新宿南口に移籍したとしたら、日本橋に通所するよりも通所時間、交通費もかさむことを考えてのものでした。

 翌25日に私はリワーク本社宛のメールにて、「リワーク事業部」への不満をぶちまけるとともに、退所したい意向を伝えました。Oからは電話の着信があったが、タイミングが合わずに出られなかったことから、メールで「退所の手続きを弊社側で取らせていただきます」などという旨の返信がありました。私は岡田へは折り返しの電話をかけ、「退所はするけど、引き続き、加害者スタッフからの直接謝罪は要求し続ける」ことを強調しました。ここで、Oは24日から25日にかけてKとYが社会福祉協議会と福祉保健局を直接訪れ、両団体に対して謝罪と経過説明を行ったという旨の発言をしてきました。私は疑念が深まりました。「社会福祉協議会と福祉保健局の担当者も、Y含めセンターの人間を呼び出すなんて言ってなかったよな…」と。この時点ではスルーし、Oとは4月2日午後に、私がセンター日本橋を訪れて、退所の手続きを行うことで、話をまとめました。

 一夜明けた26日。午前中に貴局のM様から電話で「先ほど、Yさんに電話で、(私の)意向をお伝えしました」という報告をいただきました。その流れで、私はM様に「ロディーナ本社の管理本部が、YとKというリワーク事業部統括者の2人が、そちらを訪れ、直接謝罪に来たと言っていたのですが、本当ですか?」と尋ねました。返答は「いいえ」でした。この時点で、Oが虚偽の報告してきたな、と確信した私は、すぐに東京都福祉保健局「障害者支援施設担当」の担当者にも確認の電話をかけました。「ロディーナ本社の管理本部が、YとKというリワーク事業部統括者の2人が、そちらを訪れ、直接謝罪に来たと言っていたのですが、本当ですか?」と聞いたところ、こちらも「いいえ」と答え、「私はリワークセンター日本橋に対して、『相談があった』『施設として、しっかり対応してください』ということを電話で連絡しただけです」と説明していました。

Oの「虚言」の裏付けが取れたところで、私はOにメールで痛烈に批判しました。以下がメールの中身です。
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株式会社Rodina管理本部
O様

Iです。こんにちは。
昨日はメール、お電話で対応いただき、ありがとうございました。
この度は事実確認、正確に言えば、O様が私に対して、虚偽の報告をしているのではと疑わざるをえない事実が判明したので、連絡致しました。

私は23日、センター日本橋の管理責任者・Y様から受けた
ハラスメント、侮辱、吊るし上げ行為に関する相談のために、
東京都福祉保健局「障害者支援施設担当」(中央区担当・M様)
東京都社会福祉協議会「福祉サービス運営適正化委員会事務局」(M様)
の2か所に電話をかけました。

この件を受け、O様は「ロディーナ本社も東京都からの対応に追われています」とおっしゃていました。
さらには、リワーク事業部統括者のK様とY様が、上記団体に呼び出され、一昨日から昨日にかけて団体を直接訪れ、経緯説明と謝罪を行ったことを報告してくれました。

これを電話で聞かされた時、私は疑問を持ちました。
なぜなら「障害者支援施設担当」のM様は、「施設にはIさんから、こちらに相談があったこと。適切な対応をしてください、ということは伝えます」とおっしゃっていましたから。担当者を東京都に呼び出す旨は一切、言っていなかったです。

また、「福祉サービス運営適正化委員会事務局」担当のM様は、23日の相談当日にセンター日本橋に電話したところ、Y様が不在で、24、25日の両日は出張のため、本日26日にY様に直接「Iさんから相談があったこと。とても辛い思いをしていること。他の利用者も迷惑していること。法的措置も視野に入れていること」を伝えると言っていました。
そして、本日午前にM様から「先ほど、Yさんにお電話で伝えました」
という報告を受けたので、その流れでお聞きしました。
「YさんとKというリワーク事業部統括者の2人が、施設に来たんですか?」
M様は「いいえ」とはっきり答えました。

そして、次は「障害者支援施設担当」のM様に電話をかけ、確認しました。
「YさんとKというリワーク事業部統括者の2人が、都庁に来たんですか?」
M様も「いいえ」と断言しておりました。

都と事務局が私に嘘を付いているなんて、到底考えられません。
そんな必要は全くないわけですから。
となると、O様が私に対して、K様とY様の行動の報告は、「虚偽」「虚言」であると、疑わざるをえません。

一体全体、何様なんですか?
K様、Y様と口裏合わせでもしたんですか?
対面ではない電話をいいことに、口先だけで私を納得させるためのパフォーマンスですか?
「メンタルを病んでる精神疾患者なら、騙すのなんて簡単だろ」そんな意図もあるのですか?

こうなると、色んな疑念が次々と湧いてきます。
「Y社長が東京に行って、Yに直接説教をしました」
先日、お電話で言っていた上記のコメント、これも「ウソ」ですか?
また、一連の虚偽と疑われる発言は、Y社長の指示なのですか?
もう、何が真実で、誰を信じたらいいのか分かりません。
リワークセンターとは、ロディーナとは「詐欺集団」でもあるのですか?
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メールの文末には「弁明及び私の認識違いがあれば、メール及び文書でお願い致します。私の感情が穏やかではない今、電話での対応は難しいので」と記しました。Oからは電話での着信がありましたが、私は無視しました。

以上が経過です。長々と書いてしまい、読み辛い面もあるかと思いますが、ご了承ください。下手に経過をまとめるよりは、口説いぐらいの方が、より真実が伝えられるではないかと判断しました。

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