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ジャネット・フレイム『潟湖(ラグーン)』

ジャネット・フレイム『潟湖(ラグーン)』 山崎暁子 訳
Janet Frame “The Lagoon and Other Stories” 1951



何気なく入手し、しばらく置いていた一冊。
ふと読んでみると、鮮烈な印象があり、思わぬ文学的体験を得ることができた。

ジャネット・フレイムはニュージーランドの作家で、著作も多く、自伝が映画化もされている。
ただ邦訳は限られており、今作が久しぶりの二冊目だという。
経歴等は訳者あとがきに詳しいが、10代前半に姉を事故で亡くし、20代はのちに誤診と判明するも精神科にたびたび入院していたらしい。

このデビュー作にも、精神病院に暮らす人々、心に傷を抱えている子どもたちが頻繁に登場する。
それらを作家自身の経験と結びつけるのは容易ではあるが、夢とも幻想ともつかない映像を鮮やかに喚び起こし昇華する筆致にこそ注目したい。

視点の多くが子どもだからか、文体は簡素で、執拗な繰り返しもある。
意識はうつろうようで、地の文と会話、頭の中の言葉がはっきり分けられず折り重なる。
想像内なのか、描写なのか判然としないことも。
生活にふと差し込む影、日常に亀裂が入るような瞬間も現れる。

それぞれかなり短い全24編の中から、特に揺さぶられたものをいくつか挙げてみる。

舞台が精神病院のものだと「キンギョソウ」。
妄想と現実の区別が読み手側もつかない書き方で、振り回される。
人間の本音、心根が透けて見える「ベッドジャケット」も悲しい。
幻視に近い「庭」も比喩として壮絶ですらある。

子どもらしい幻想だと「虎、虎」が抜きん出ている。突拍子もない想像が、現実を飲み込む。
そして、こうあってほしいという根拠のない作り話「ギブソン先生とーーー物置小屋」。

過酷な現実からの逃避としての白昼夢「映画」。
まさに映画に夢を見ているのか。苦しさから一瞬逃れるための装置。
いつも思うのだけど、現実逃避とは現実と向き合うために採る行動なわけで、むしろ現実に対処するための大切な一手段なのだ。
「羊の日」も過酷な現実に屈しそうになっている姿を描く。
どうして私はこの人生を生きているのだろう?という戸惑いにこそ共感してしまう。

姉を亡くした精神的外傷を何とかしようとする、でもできるわけがない「キールとクール」。
許容量を越える哀しさは、自分の中で相対化し言語化するまで、自分でも不可解と思える奇妙な言動となって溢れ出す。

表題作の、隠されていた秘密がこぼれる様はどこかサスペンス風でもある。
すぐ隣の異界に迷い込むような「黒鳥」も近い感触で、死の匂いも漂う。



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