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映画『彼女たちの舞台』

ジャック・リヴェット『彼女たちの舞台』(1988、フランス・スイス、162分)
原題:La bande des quatre



リヴェット監督らしさが至るところに満ち溢れた作品。

アンナ、ルシア、ジョイス、クロードの主人公たち4人は、女性だけしかいないパリの演劇学校で稽古を受けながら、郊外の一軒家を借り共同で暮らしている。
そこから入れ替わるように引っ越していったセシルも同じ生徒だが、恋人が非合法な手段で稼いでいるという噂が立つ。
一方で、名前を変えながら4人それぞれに近づいてくる素性不明の男がいる。
だんだんと舞台の練習は進む中、背後に蠢く大きな事件に巻き込まれそうになっていく彼女たちだったが…。


と、おおよその筋書きは以上のようになるだろうか。
冒頭に据えた「リヴェットらしさ」とはすなわち、映画内演劇というメタフィクション構造であり、お互いに影響し合う現実と幻想であり、謎めいた陰謀である。それに何より、女優たちの個を活かした輝きが中心にある。

私自身も学生時代からリヴェット作品に魅了・幻惑され、卒論の題材にも選び、ここ数年の復刻上映で何本か改めて観ることができて、ようやく「リヴェットらしさ」なるものを何となく捉えかけてきた気がする。なので、堅苦しい映画評論でも難解な批評でもなく、ざっくばらんに感じたことを3つ書いてみたい。


まず思ったのは、①謎は解かなくてもいい、ということ。
もちろん解こうとしてもいい。どこまでも深読みしていくのもまた楽しい。
そうではあるものの、必ずしもすっきりとした解決を提示しなくとも映画は成立する。サスペンスとはどこに着地するか分からない宙ぶらりんの状態という意味だが、その不安定さを楽しむ余裕をこちらも持っておきたい。
何か起こるのではないか、一体何が進行中なのか?
その疑いや揺さぶりが物語を動かしていき、映画を起動させる。思い切って書いてしまえば、そういうサスペンス状態を引き起こしさえすればいいので、謎は何でもいいのだ。

例えがおかしいかもしれないが、『ミッション・インポッシブル』の最新作だったか、まず先に派手なアクション・シーンを撮影し、なぜそのような事態に至ったかの説明つまり脚本は後から書かれるらしい。つまり主演トム・クルーズの目を奪う過激な動きがありさえすればいいわけで、そうする理由なり動機は後付けで構わない。
常識的には順序が逆転しているように思えるが、しかし映画を面白くさせる最重要事項は何かを熟知している態度とも言える。


そして演劇、②演じることにこだわり続ける点。
今作では特に、完成された劇ではなくリハーサル場面に焦点が当てられるため、余計に「演技が立ち現れる瞬間」を捉えようとする欲望があるのではと見ている。そのための映画内演劇という装置なのだろうか?
名優ビュル・オジェ扮する演技指導の先生が噛み砕いて教授する中身は、もしかしたら本当に彼女自身が培ってきた演技論なのかもしれない。

突き詰めれば、私たちは誰しも普段から大なり小なり演じながら社会生活を送っているわけで、これは演技でお芝居なのですよ、と始めから提示する演劇(そして映画)こそが正直かつ公明正大と言えるのかも。

主人公たち4人が、特に共同生活を送る場面において、演技とは思えないぐらい打ち解けて砕けた軽妙なやり取りなので、即興の割合も多かったのではないか。きわめて自然体に近い。もしあれが台詞の隅々までかっちり決められていたとしたら、恐るべき演技力ということになる。


言及しないわけにはいかない、③女優たちの躍動
特長が存分に発揮されている配役=キャスティングですでに勝利している。
色使いまで細かく配慮したであろう衣装も相まって、役者たちの資質が映えること。
脇役に至るまでどの女優も素晴らしく、人懐っこくて目立つ存在のナタリー・リシャールも本当に好きだが、激しい性格を持ち性自認も揺れている女性を体現するロランス・コートを今作においては一番肩入れしたいかな。


映画を観すぎている、愛しすぎている人たちが作った種類の映画だし、結末も開かれている点で自由度は高い。
それだけ観客の鑑賞力を信頼しているとも言える。試されているとも言えるかもしれない。
入り込んでみる価値は十分過ぎるほどある。迷宮にも似たリヴェット映画に。



「ジャック・リヴェット傑作選 2024」として劇場公開中。『地に堕ちた愛 完全版』に続いて鑑賞。都内ではヒューマントラストシネマ渋谷でかかっています。



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