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今日は予想通り音楽を聴くこともできず、昼に大竹まことのラジオを部分的に聞き少し溜飲を下げたのみ。最近のより昔聴いた曲の方が思い出されることが多い。14〜17歳ぐらいのときに触れたものを強烈に覚えているのは、何か理由があるのだろうか?それは解明されているのか。それとも人によるのか?
燃え尽きそうだけどそこに至るまでにはまだだいぶ距離がある状態のことを何と呼ぶ?
今日はややこしいことを書く時間がない。
何とも不躾になってきているこのアカウントも、もっと向こう側へ突っ切りたいところだが小休止。高校生の頃、The Doors "Break on Through"を爆音で聴いて頭をガンガン振っていたと言ったら、勤めていたレコード屋の社員に「ヤバイ奴」だと褒められた。
1ヶ月以上経っても読み終えることができないカミュ『シーシュポスの神話』で読書も暗礁に乗り上げてお
掘り下げ切った先の、分かりやすさ
自分の番組では、できるだけ専門用語を使わないようにしてきたつもり。固有名詞すら、最小限に。そもそも、情報は少ければ少ないほど良いと考えてきた。音楽番組は曲ありきなのだから。その曲にほんの少し興味を持ってもらえるような、そっと背中を押して送り出すような簡潔な喋りが理想だ。あとは曲自体が雄弁に語ってくれる。
だから構成や喋りの台本を考えるのではなく、その分を選曲に集中してきた。もちろん、これは前者まで
収録して、ゲストさん回も続けて完了。ささやかに打ち上げまでしてもらった。いつまでも続けられる音楽談義。まぁ積み上げてきた歳月もあるので。少し日数的に時間できたはずなので、気分転換も含めて違うことにも目を向けたい。というか、気の向くままに取り組む時間を自分に与えてあげたい。
期せずして始まった都内暮らしだけど、ここでなければならない理由もだいぶ前から特にないのだよね。強いて言えばラジオぐらいだけどこれヴォランティアだからね。いつ辞めたとしても、よく頑張ったよと言ってもらえるだろう。生まれ故郷の京都に戻ってまたゼロからやり直そうかと思うこともよくある。
書いては直し消してまたやり直し。その繰り返しで今日も書き終わらず。睡眠時間を削ってまですることではない。当たり障りのない話はもう尽きている。音楽の話なら永遠にできる。だから音楽の話しかできない。それ以外は本質を突いた話になってしまうから。理解しているからこそ、できないこともある。
確かに半ば無理矢理にでも書き続けていると、常に頭の片隅で考え続けるようになるし、まとまらないままだけど発想は増えてくる。自分の場合、書けないというより書くと憚られること、書くと自分が不利になるだろうことが多いから、ということも見えてきた。そこを書くのが本当の意味での執筆なのかも。
ずっと好きであり続けるより、一旦その対象から離れたとしても再度好きになる方が、もっとエネルギーも必要だし冷静な観察期間も経ているので、より気持ちとしては強いのではないか?というようなことを考えていた。慣性の法則に楽に乗るのではない、主体的で一段深い魅力の再発見。違うだろうか?
KEFというイギリスのオーディオ・ブランドが今月から始めるポッドキャストの公開収録を見学させてもらった。私的には第一回のゲストであるピーター・バラカンさんがお目当て。来週金曜から公開と言っていたかな。ほぼ英語でしたが。また改めてもう少し詳しくレポートできればと思います。
小さな支持集団を全国に
ぼーっと考えていたのだけど、例えば自分が制作している音楽ラジオ番組なんかも、どう広げていけばいいのか漫然としていた。
考え方として、何となく漠然と広がっていくというより、比較的きっちりと支持してくれる2〜4人ぐらいの小さい集団が全国に複数できていく、その方がよりイメージしやすい。もちろん、たった1人でも構わない。どこか遠くだけど、ポツンとかもしれないけど、確実に存在するファン。
薄めに関心を持って