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寝返りを積み重ねる

うーん。とは言ってもね。こんなに酔っ払ってしまったら、もう何を書くとかどうとかこうとか、全然どうでもいいでしょう。え?酔っ払っているのかって?その質問に答えるとするならば、私はこういうでしょう。「はい。私は酔っ払っています」と。と言っても、だったらなんだというのですか?酔っ払って文章を書いてはいけないとでもいうんですか?世界に名だたる文豪たちが、酒に酔った状態で一切文章を書かなかったと、誰が証明できるのですか。別に私は文豪になりたいわけではありません。私がなりたいのは、何にもならずに済む人です。何かになってしまえば、その何かであり続けるために、その何かであるために必要な属性を保つための何かを社会から承認され続けなければならない。それって社会の奴隷ですよね?そう。「人間は信用の奴隷だ」というのは僕が21歳の頃、今から10年前にツイッターで呟いた今世紀最高のツイートの一つですが、結局こうして人間を信用の奴隷にしたものは近現代の資本主義社会の支配者層だったのだと思わざるを得ません。よくみてください。noteに溢れるよくできた投稿の数々を。どれも皆、人々に有益な情報を提供し、情報をまとめ、誰かの役に立つことで自分自身の活動をマネタイズしようと必死です。すべてゴミですよ。これからの時代は、そんなことはAIが勝手にやるんです。人間に生まれたからには、人間の脳みそは常にAI的であらざるを得ないからこそ、それに抗わなければならんのです。誰かの役に立ち、社会から認められることによってでしか生きていけないなどというのは、自分は社会の奴隷だと宣言しているのと同じです。いいんです、現状がそうなってしまっていたとしても。魂だけは売るなと。僕はそう言いたい。魂を売ってしまえばそれはもうただのAIです。今後AIはどんどん優秀になっていくでしょう。あなたよりも優秀なAIがこの社会におけるあなたの存在意義を奪っていくと思います。そんな時あなたはどうしますか。「あなたの目に映っているものを私に説明してください」と言われた時に「うるせぇ、黙れ。俺に命令するな」と言える存在であってほしい。あなたがもっとも大切にしている人にだけ、こっそりあなたの目に映ったものを耳打ちするような、そんな生き方もあるのだと心のどこかに刻んでおいてほしい。

 「ふざけるな」と。いつでもどこでも、そう思った時には「ふざけるな」と言える、それが人としての自由です。ただ、僕は各人の事情というものを尊重します。人には物事をはっきりと表明することができないなにがしかの事情があったりする。しかしそういう人には、意見を暗号化して表明する自由があるのです。文学や音楽、芸術などというものは、高度にコード化された社会ではそのような側面が特に重要だと思う。そして常に伝えたい内容はシンプル。大体の場合、それは「ふざけるな」というようなことだったりします。そういうメッセージを大切にしていきたい。頭を使い、工夫をし、AI が持ち得ない魂でもって現実に抗うというのが、これからの人間性の条件となっていくでしょう。

ご静聴、ありがとうございました。

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自由律俳句

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