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5カ月でやめた職場のこと 退社までの日々

2019年。渋谷の小さい編集会社にて。
パートとして緩めにやっていって、仕事が面白くなれば……と思っていたが、厳しいままだった。
「頭の中でヘンな化学反応が起こって、望まれるやり方でできない。忘却と不注意と誤解と思い込みが渾然一体となって大小さまざまなミスをうんでる。」
「ずっと、自分の手元で管理できる仕事しかしてこなかった。人と協同で一つの物を作っていったりしたことがない。だから、ピンとこないの。仕事の進め方が。」
 
パートになって楽になったが、今後ずっとこの会社でがんばっていきたいとは思えなかった。言い訳が多かったのは確かだが、決定的にこの会社とは合わなかった。
何が嫌だったか、以下列挙する。

 (↓前編↓)


独裁的な先輩の存在

先輩社員・Uさん。
仕事中すごくキツイことを甲高い声でまくしたてる女性の先輩、24歳だったか。この人が実質オフィスを仕切っていた。(3年目の人が実質トップとか本当におかしい)
仕事の割り振り、作業の進め方、日報、勉強会などはもっぱら彼女が管理していた。彼女がいいと思うやり方にみんなが従わなければならなかった。
 
Uさんの思考回路と私のそれとは違っているようで、私には彼女のやり方や理屈がよく飲み込めなかった。
私の方が10歳以上年上だったからさすがにそこまでキツい言い方はされなかったけど、あれこれ文句は言われた。
指示された作業が終わるのが怖かった。これを提出して、Uさんになんと言われるのか。そして次は何の仕事が与えられるのか。それは私にもわかる仕事なのか。
 
Uさんはランチ中は皆と楽しげにおしゃべりしていた。それはいかにも「和気あいあい」の図だった。(パート社員は正社員たちがおしゃべりしまくるテーブルのすぐそばで仕事をしているのでまあ集中しづらかった)
どの俳優が好きとか、そんな他愛ない話をして笑っていた。
そのような休憩中の「和気あいあい」と仕事中の神経質で強権的な態度のギャップが凄まじく、私には余計に恐ろしく思えた。

新入社員はみんないい子たちだったけど、うち一人ミスが多くて(Uさんの指示の仕方にも問題あったと思う)、Uさんにきつくあたられていた。ぞっとするほどひどいことを言われているときもあった。それは脅迫では……? 人間性の否定では……?とたしなめたくなるほどのときも。黙っていた私も悪い。
 
Uさんは叱る時間も長く、1回5分以上きーきーわめいた。一日総合で十数分以上に渡ることもよくあった。オフィスは教室の3分の1という狭さだったから、彼女ががなりだしたら全員の耳に入るのだ。「もっと効率をあげて」と言いながら、みんなの効率を下げるようなことをしているのには気づいていないようだった。
 
Uさんの1年後輩のAさんはいい人で、彼がくれる仕事にはだいぶ楽な気持ちで取り組めた。穏やかで、きついこと言わない。普通か。で、UさんはAさんに対してきつかった。明らかに下に見ていた。
ある日、Aさんを貶めるようなことを彼が不在のときに言っていたことがあった。こんなオープンオフィスで、皆の前でそんなこと言いはなっちゃうの!?とショックを受け、私はその後1分くらい作業がまともにできなかった。
そのときよな、絶対ここで正社員になりたくない、って決定的に思ったのは。こんなところに来るために学校をやめたんじゃない、って思ったのは。

納得がいかない時給

パートの時給が1000円だったのも「はぁ?」だった。(途中から校正能力を認められて1100円にアップしたが)
私がやっていたのは英検やTOEICの問題作成・校正で、正直かなりの英語の読み書き能力が必要だった。TOEIC950点以上、英検1級レベルでないと厳しい仕事だった。
そんな英語力が必要な仕事をやらせておいて時給1000円とか、「はぁ?」じゃないですか?
それもさ、英語試験対策の教材つくってる会社がだよ? 試験対策テキスト作ってさ、「あなたも英語ができたら素敵な未来が~」みたいな感じでしょ? そういう会社が、英検1級かつ英語科教員経験のある人間に、1時間1000円しか払わないとか、矛盾してない?
そんなんだったら誰もTOEICも英検も受けねえよ!!
 
(なお、私より会社に長時間いて休日もがっつり勉強会に出席させられていた新入社員の給料ももちろん最低限だった 時給に換算したらいけない感じ)

渋谷という立地条件

渋谷も嫌いだった。元々好印象なかったけど、はっきり嫌いになった。

朝の電車めちゃくちゃ混む。途中から乗車率300%じゃね?くらいになって、肋骨が危ないくらいぎゅうぎゅうになる。
少しでもマシな環境を求めて始発に乗る。それでも座れない。少しマシなポジション(端っこ)に立てるってだけ。
家から1本で行けない。遠い。時間かかる。
唯一よかった?ことは、通勤時間が長い分この年たくさん本が読めたことくらいか(154冊)。
 
街もごみごみしていて、なんか嫌だった。いかにも「遊びに来たぜ!」って感じの人でごった返していた。帰りはそういうのを避けながら早歩きで駅に向かった。
やめたのが8月末だったので、悪名高き渋谷ハロウィンにぶつからなくて本当によかった。

まあ、あなたもなのね

……まあ、そんなこんなで。
5月末には、秋ごろの退職を考えはじめた。
6月、毎日のように、家を出るのが嫌だと日記に書いてある。
嫌すぎて、出かける直前まで一穂ミチなど読んでいた……BLが癒しになるって実感した……

そのころ、同時期に入った契約社員Kさんとデパート屋上でランチした。めちゃくちゃ盛り上がった。Kさんは6月いっぱいでやめるという。
「うっうらやましい!!」
さらに、パートのWさんももうすぐやめるらしい。
「私より早くぬける人もいるし私だけが適応できないわけじゃなかったんだー、とホッとした」(日記より)

ここでのパートが長いFさんと帰りの電車で一緒になったときも、この会社が特殊であること、一部社員がひどい扱いを受けていることなど共感しあった。やっぱ私だけじゃなかった、みんな同じこと思ってたのかも。オフィスで言えないだけで。

退職までの日々~夏休みを待つ子どもの如く~

6月中旬、やめたいとお伝えした。で、毎週水曜休みの週4にしてもらった。そうでもなきゃあと少しだってムリって感じだった。
8月末の退職が決まった。そこからは最終日までの出社日数を指折り数えて過ごした。
 
7月。
「金輪際仕事に行きたくねえ」
「朝は『行ったら18時には何あっても帰れる』ってとなえてる」
などと日記にある。

Fさんから会社の凄まじい歴史を聞く。10年つとめてたパートさんが帰りがけエレベーターホールで社長からたった一言で退職を告げられた話。4月入社以来がんばってた新入社員が年末に帰省したっきり二度と出社しなくて、机の荷物をダンボールに入れて送付した話(昨年度のこと!)。最終日に「訴えてやる」と叫んで飛び出していった人の話。ヤバいなこれ。
 
8月、「あと〇回!」と会社に行く回数を数える日々。
6月末に退職したKさんと休日ランチで会社の悪口を4時間しゃべり倒した。ランチだけで済まなくてカフェになだれこむほど、会合は白熱した。
「人間の脳は自分でなくても人がそばで怒られてるだけで同じダメージを受けるんだって」「うわーわかる!」
「やっぱりおかしいのねあそこは。もうやめるってことに一片の悔いも迷いもないもんね。最終日、ドアをしめて出ていくのがめっちゃ楽しみになってるよー」

さよなら渋谷、さよなら会社 もう会わないね

ラスト1週間は一人で渋谷を楽しんだ。
ランチでカレーの有名店に入ってみたり、ハットグ食べてみたり、デパ地下で焼き鳥5本買ったり、フルーツタピオカティー飲んだりした。食い倒れか。
 
待望の最終日。お菓子配って18時ぴったりにさよならー!!
オフィスのドア開けるのも、もうこれっきり! すごい解放感だった。
「終わった……!」「もう二度と、来なくていいんだ」
夕食にケバブを食べて、松濤美術館に行った。最高に素敵だった。
 
その後、9月~10月上旬は旅行などしてのんびりしていた。喜びの日々。
でも、やること全然ないのは1か月で十分という感じだったね。

そのころなんとなく登録した派遣会社が紹介してくれた職場に、今います。
校正の実務経験が(数ヶ月ではあっても)ものを言った可能性があるし、春だったらその仕事に空きがなかったかもしれないので、この転職1社目の悲惨な失敗にも意味があった、と思ったりする。Soli Deo Gloria. 神に感謝。

かつて茶ぶどう家を闊歩していたミーヤとみるきぃ(トップ画像はみるきぃのごめん寝)


(↓↓ 今の職場はみんなバラバラでよいので助かる ↓↓)

 

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