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5カ月でやめた職場のこと 入社~パートになるまで

教員を2019年3月にやめて、4月に初の転職を体験した。
※長いし愚痴だらけだよ

宗次郎の趣味 座布団を折って上に乗ること

アルバイトに応募したのに

2018年末は多少就職活動の準備?めいたことをしたが、希望の出版社にはお断りされ、まあそんなすぐフルに働けなくても、と英語系ライターのアルバイトに応募したのが2019年1月。数日で面接の連絡が来た。
 
渋谷の奥のほう、雑居ビル内。主に英語試験対策の教材制作をする会社だった。
狭ーい、ギリギリ4人しか座れない部屋。まずは英語の試験。そして社長との面接、約1時間。私よりむしろ社長(50代?の女性)が話していて、編集者も募集していると熱心に説明された。編集のトライアルも受けてみないかって。
 
日記によると、
「でも、社風がな~。皆仲良しで、飲みにもよく行って、土日でも何やかや会社に集まって話すとか、うーんプライベートどうなん? ライフワークバランス大切って人には向かないっておっしゃったねー」
私はこのときの「不安」をもっと重視すべきだったのだ。
 
ライターと編集のトライアル原稿を一週間ほどで出し、さらに一週間後に「4月1日から来てください」って返事が来た。
この早さ、そして「ライターのアルバイトに応募したはずだったのに」という違和感。
これも、無視すべきじゃなかったのだ。

初の転職、4月1日の渋谷

卒業式も教職員送別会も終わったあとの、3月25日。
渋谷駅から出るのにすごい時間かかって5分ほど遅刻するという悪夢を見た。
「なんか、スロープの筒状の、白い布がモコモコ膨らんで、通り抜けられないの。体を押し込んで、苦労して通った。で、皆もう来てて。一人ずつ呼ばれて社長と話すの。『あなたは初日に遅刻ですね』みたいに言われて。横を見るとしっかりめの、いいホテルにありそうなベッドが2つ。『ああ、アレで仮眠を』とか考えてた(汗)」(日記より)
渋谷と転職がよほど怖かったらしい。
 
4月1日。入社した日の夜書いた日記。
「何もできなくてあせった。心拍数」
「歓迎会が長くて7時過ぎ~9:40とか」
「私PC使えない人なんだ! 窓2つ並べるとかマジ知らんかったし」
で、一睡もしないで翌朝を迎えてしまった。
慣れないPC仕事(教員もするけどたかが知れたもの)で右手・右腕が筋肉痛。心拍数も上がってしまって。
 
新入社員は新卒5人と、私含め2人の30代半ばの契約社員(正社員前提)。
で、先輩社員は20代前半の男女1人ずつ、あとは50前後の社長と補佐?そんなんだった。
新入社員の方が多いうえ、中堅社員が一人もいなかった。
(20年の歴史がある会社なのに……)
世間知らずの私もさすがに、これはヤバいのでは? と思った。
ほか、パートのおばさまが数人、週に何日かいらしてた。
 
新卒5人は地方からの上京。後から思えば、家族や友人と切り離して、その会社のスタンダードに疑いを持たせないためでは……恐怖を感じる。

茶ぶどうと不思議な狭いオフィス

職場は狭かった。普通の教室の3分の1の面積に、10人くらいが座る。仕切りはない。完全オープンオフィス。
試験・面接のときの狭い部屋が応接室で、ドア1枚で隣り合っている。
トイレは台所の隣に男女共用が1つ。トイレ近くの席とは1メートルちょっとしか離れてなかった。聞こえそうで嫌だった。
 
朝来たらそうじ。チェックリストあり。(月イチ大掃除もあり)
あと、お米を炊く。これほんと。会社で米買ってた。毎日ごはん炊いて、お昼はみんなで近所におかずを買いに行って、そろって一つのテーブルで食べる。
私は高校時代くらいから、一人でお昼を食べるのが一番楽で、自分のペースで自席でランチしていたので、辛かった。
なんでこんなにみんないっしょなの。
 
朝と夕方には同じテーブルに集まって進捗報告と反省会があり、社長がいるときは訓話もあった。めんどくせ。
 
毎日、日報を提出させられた。作業それぞれに何分くらいかかったか、その日の目標と達成度などを記入せねばならなかった。出版系だったから、「昨日本屋に行ったかどうか」欄まであった。
1つの作業にかかった時間を把握しようなどと思ったこともない私には謎だったし、毎日目標と反省を書かされるなんて小中学生みたい、と思った。

厳しい「社会人」生活

仕事そのものは興味深いこともあった。私は転職前に校正スクールに通って資格も取っていたので、新卒の子たちよりは知識あったし、校正は得意だった。本と英語が好きなので、英語教育系の出版に関われるのはうれしかった。
 
でも、仕事の全体像がわからなくて、ゴールが見えないままとりあえず走っている感じなのは初めての辛さだった。
教員時代は、自分がすべきことの範囲は見えていて、自分なりのやり方ですすめられた。何にどれだけ時間をかけるもかけないも、自由だった。(やや言い過ぎか)
この会社でも、全体像と細部の進め方が把握できたらもっとやりがいが出てくるだろう……と最初のうちは思っていた。
 
私は新卒で教員になったから、(←言い訳)社会人らしいことは何もできなかった。
お茶出し、名刺交換、電話をまわす……
電話は受話器を手渡したら驚かれた。(今でも電話はまわせないで直接呼びに行く人)
深刻な常識の欠如がバレ、4月末にはビジネスマナー研修に行かされた。悲しい。研修そのものはともかく、報告書を出すのが憂鬱だった。
「マジで私にはハードル高いです。こういうこと、やってもいいけど(←何様!?)、うまくできなくても許してほしいです。できるだけ、避けたいです」
と当日の日記に書いてある(報告書にはさすがに書かなかった)。
情けないことこの上ない。ポンコツすぎる。
 
学校で先生たちが始終愚痴っていたのが懐かしかった。
「自転車操業だよ~」「疲れた」「採点する気しない」「明日から授業とかムリ」……
基本ネガティブで文句ばっかしだったけど、みんながんばってやれることやってた。
新しく入った会社では、「前向き」なことしか言っちゃダメな雰囲気があった。
私は基本、正直でいたいタイプなので、ウソの前向きさを装わなければならないのはしんどいと思った。
 
職場では「勉強会」が毎週開かれていた。英語試験業界の勉強とか編集の勉強とか。
「勉強会断れた! 20時よりあとまで残って皆と何か一緒にやるって、考えただけで胸がふさがる」
日記を見るとしっかり断っていて笑える。面の皮が分厚い。
でも土曜日に3時間もの勉強会に出ていたこともあった。
 
TOEICは毎回受験することがほぼ義務づけられていた。自腹で、である。
 
4月の半ばにはもうすっかりうんざりしていた。
「社長のTOEIC話、耳を疑った……親の葬式があっても受験した人いるとか言ってなかった? ドン引き。9月に社員旅行あるって。そのころに私がこの会社にいるとは思えないな」

茶ぶどうはお仕事ができない

仕事はうまくできなかった。
毎日、「この作業をしてください」って指示される。朝行ってみて初めて、その日やることがわかる。先の見通しがないのは不安だった。ストレスだった。
やりやすい仕事や得意な仕事もなくはなかった。でも、PCで長時間作業するのは初めてで、学校では作業時間なんか気にしないで自分のペースでやれてたのに、いきなり「効率をあげろ」と言われて困った。businessって本当にbusyなんだ、と感じた。教員時代とは別種の忙しさがあった。
 
ワードとエクセルは学校で使っていたけど用途は限られていたし、自己流でやっていた。それで十分、間に合った。でも会社では、私の効率の悪いPC操作なんかお話しにならないレベルだった。(deleteキーを使う習慣すらなかった。文字消すのはbackspaceオンリー)(※今は使ってるよ!)
 
私は淡々としていた、表面上は。それは学校にいたときと同じだった。
でも、内心では「自分が役に立ってなくて、ひたすらトロいし鈍いしがんばってないのはわかってる、呆れられてるなって」「申し訳ないし、いたたまれない」と思っていた。このころの日記を見ると自己憐憫の思いがあふれてきちゃうな。

契約社員から晴れてパートに

4月下旬に社長と面談して5月からパートにしてもらえることになった。めちゃくちゃホッとした。
「皆が同じことをできるべきだとは思わない。茶ぶどうさんのペースがあるのもわかるし」「おおらかにやっていただいていいですよ」と言ってもらえた。そういういいことも時々は言われるのだった。
 
パートになって、昼ご飯をみんなで一緒に食べるとかしなくてよくなって、本当に心が軽くなった。私は大人数で何かをするのが苦手なのだ。団体行動は嫌いだ。
お昼はデパートの屋上でお弁当を食べるようになった。食後は本屋をうろうろして現実逃避した。
 
18時過ぎに退勤できるようになった。それでも勉強会はちょこちょこ出ていて(出なきゃいけない感じで)21時まで会社にいたりして、考えられないな今では。

ももちゃん スーパーニャン


(トップ画像は在りし日のすずちゃん)
(もう3500字を超えてしまったので2つに分けてお届けします)
(まだ愚痴につきあいたい方は続きをお楽しみに……)
 
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