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25 でべそとボタン

[編集部からの連載ご案内]
白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定)


子どものころ、でべそだった。
 
母は、わたしを病院に連れていった。
医者は、「成長につれて自然に治りますよ」と言った。
でも、母にはそう思えなかったのだろう。
母は自分で考え、まずボタン屋で一番大きい凸ボタンを買った。
そして、化学繊維の肌色の帯の内側真ん中にそのボタンを、端にマジックテープを縫い付け、特製でべそ矯正ベルトを作った。
それを装着し続ければ、ボタンの硬い突起が柔らかいでべそを押し込み、でべそが負けるだろうという算段である。
 
母は毎朝、それをわたしのお腹に巻きつけてくれた。
そして、お風呂に入るときに外してくれた。
わたしはその儀式が好きだった。
特に、マジックテープをはがすときのぺりりという音が好きだった。
 
母はベルトをつけるたびに、「早く治りますように」と言った。
それは、神様に言っているらしかった。
でも、その目はわたしのでべそを見ていた。
でべそには意思があり、とりわけ反抗精神が強いらしい。
母がそう唱えると、でべそはますます張り出し、ぱんぱんのお饅頭のようになった。
「治らないわねぇ」と母が顔をしかめると、でべそは母に向かってグーンと飛び出すようだった。
夢の中で、わたしのでべそは『ジャックと豆の木』の豆の木のように雲を突き抜けた。
でもわたしは、そのでべその木に自分では登れないのだった。
 
小学生になっても、わたしのでべそは治らなかった。
「体育の授業で水泳が始まったらどうしよう」と母はまた心配する。
夏になっても、でべそはそのままだった。
母はでべそが目立たないよう、きつい水着を選んで買ってくれた。
その紺色の水着を着ても、でべそはくっきり分かった。
でも、わたし以外の生徒も先生も、わたしのでべそに気づかなかった。
 
わたしは次第に、でべそが可愛くなった。
毎朝起きると、今日もでべそは元気かと気遣うようになった。
ある日学校に行くと、「お前のかーちゃんでーべそ!」と誰かが言った。
それを聞いたでべそは、身を縮めたようだった。
「お前のかーちゃんでーべそ!」とまた誰かが言った。
でべそは身の危険を感じたのか、急にしゅんと引っ込んだようだった。
 
ある夜、母と一緒にお風呂に入ると、「でべそが治った!」と母が言った。
え!?とわたしは湯の中のお腹を見下ろした。
すると本当に、でべその姿はなかった。
待っても待っても、でべそは出て来なかった。
 
翌日の授業中、わたしはでべそのことを考え続けた。
こっちで引っ込んだということは、あっちに出っ張ったのだろうか。
だったらあっちで楽しくやってほしい、とわたしは思った。
そういう気分が「祈る」ということなのだと、わたしは悟った。
 
「お前のかーちゃんでーべそ!」とまた誰かが言う。
お腹の中心がびくっとなる。
(もう大丈夫だよ)
わたしはお腹の赤ちゃんを安心させるように、でべそに心で話しかけた。


絵:九螺ささら

九螺ささら(くら・ささら)
神奈川県生まれ。独学で作り始めた短歌を新聞歌壇へ投稿し、2018年、短歌と散文で構成された初の著書『神様の住所』(朝日出版社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著作は他に『きえもの』(新潮社)、歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)、絵本に『ひみつのえんそく きんいろのさばく』『ひゃくえんだまどこへゆく?』『ジッタとゼンスケふたりたび』『クックククックレストラン』『ステッドのホテル』(いずれも福音館書店「こどものとも」)。九螺ささらのブログはこちら

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