癒しの悲しみ時間。
今日の悲しみはいつもの痛い痛い!!っ、ていう辛辣な自分殺してくるやつじゃなくて、(なぜかこの痛みに触れさせているときは死のうというよりどう生きるか?に必死でしんどくなってるやつ)
今はぼんやりとずっと泣きたいような気持ちで沈んで思考が狭くなって、でも浸っていたくなるという不思議な悲しみ。
ずっと死んでみようかな死にたいとかまったり、ぼんやり人ごとのように思ったり。
死ぬことが唯一の救いのように思う。
涙が出そうだから、今の悲しみは好き。
マスターベーションみたいな悲しみ。悲劇のヒロインになれるから好き。主人公。
彼氏仲良くできてる感覚がなくて、実家にいた時の感覚を何年かぶりに体感してる。
そとで心の中で
ひさびさに自分のことをちゃん付けで読んでさみしく1人なぐさめてた。自分を甘やかして優しくしようと思って。孤独すぎる。寂しさが原因なのね。
親にもちゃん付けで呼ばれたことないのに。
私は小学生の時から
自分のことをちゃん付けて心の中で呼びかけて
なんとか励まして自分を守ろうとしてきた。
そういう習慣を思い出した。
家に何かあるわけではないのに
外でひたすら帰りたい永遠頭の中ループしてて
何か言われたすぐ泣き出しそうな気持ちで過ごしてた。
そういう悲しみの時は死ぬことが味方になって優しくしてくれる。ホッとするやさしさ。
謎のムードに浸ってるから就職についても調べられた。
いつもの悲しみの時は、強がってというかこわくて現実見れなくて、それでひたすらもうどうしようもないとか、同じ場所で焦りまくって不安になってるんだけど。
それが、今の悲しみだと、膜のようなベールに覆われてて、向き合いづらいことにも自由に動けるな。
実家いる時毎晩毎日こんな感じだったな。
毎日寂しかったんだね。だから本や芸能人が友達だったんだなあ。
深いベールに包まれるような悲しみってこのこと。
この悲しみは嫌いじゃなくて。
自分に優しくできる。
涙につながる悲しみは好きだ。
むしろ悲しみは全部涙があればいいのに。
静かに浄化されてゆく。
そうだな、夜はそういう時間だったなあ。
今日は外にいる時からそんな悲しみをずっとまとっていたから、いつもより刺激を受ける量が減ったし、視野も狭くすることができた。
もちろん、嫌なことを思い出すことも。
憂鬱のベールの中で
頭全然回転しなくて、膜の中に閉じこもってた、、
ぼうっとだいぶボケているけどそれはそれでメリットも大きかったな。
鬱ってこういうことだな。
なにも特定の原因がなくても涙が出るのだよな。
それが寂しさからくるものだと実感した日。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?