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題目『び』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『び』。

καλόν (カロン)。

これは古典ギリシア語。。
 この言葉の意味するトコロは。。
「美」です。


 「美」って何だろう。
「美」の "正体" って何だろう。。
まあ。
 考えて解るモノでもないか。。

でも、「美」というモノがある事は間違いないよね。
 古今東西、今も昔も。。
それぞれ「美」と言うモノはある。
  ただ。
 その "正体" は解らない。。


「美」は至る処にあるな。
  自然の中にもあるし。。
 宝石などの装飾品にもあるし。
建造物にも、工芸品にも、芸術品にも。。
 肉体にだって。
さらには、精神にだって「美」はある。

時代や文化によって、「美」の姿は違うから。
 一括りに "これが「美」" って言うことは難しい。。

でも、「美」というモノがある事は間違いないんだ。
 ただ。。
その "正体" は解らない。


その "正体" に触れると。
 つまり。。
  見たり、聞いたり、香ったり、触ったり、すると。
 感動する。。
快感を覚える。

入ってくる入口が、そういうモノだから。
 なんとなく「美」ってのは。。
"感情" で捉えているモノなのかな、と考えてしまう。

本当に、そうかな?。


「美」に触れると。
一体、自分は嬉しいのか、怒っているのか。。
 それとも、悲しいのか、楽しいのか。
解らない、何とも言えない不思議な "感情" を覚える。。

 "感情" では分類しきれないけれど。
一瞬、動きが止まってしまう。。



"感情" では捉えきれないからと言って。
 ”思考” で割り切れるモノでもない。。

大昔から、それこそ古代ギリシアの時代から。
 たくさんの賢い人達が「美」について考えていた。。
「美」をそれぞれ分解して観察して。
 哲学的に、芸術的に、説明しようとしてきた。。

だけど。
 それが何の役に立つ?。

"思考" では。
 「美」という代物は消化しきれない。。


きっと。

"感情" でも "思考" でも「美」を捉えきれていない、って事は。
 「美」の "正体" に触れて激しく揺れ動くモノは。。
"意識" の中にある。

 きっと、そうなんだ。

ぼんやりと。
 そんな風に考えて、フワフワと "意識" を浮遊させてみてます。。


『び』は、ある。
  その "正体" は解らない。。

解らなくて、よろしい。
 解らないから、いいのかも。。

   『び』に触れて。

  "意識" を激しく揺れ動かして。
      思わず、動きを止めてみるというのは。。

            最高の瞬間ですぞ(ニヤリ)。。。
 



 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。