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Nikky 2024/05/08~14

2024/05/08

明日の朝は絶対心ゆくまで寝るんだと意気込んで昨夜アラームを消したはずなのに、アップルウォッチが起こしてきた。なぜだ。半目でSpotifyを開き、緩やかそうな曲をかける。30分くらいゴロゴロして起きる。

地域の図書館に行って取り寄せしていた本を借りる。
清水えす子・山内尚『シミズくんとヤマウチくん われら非実在の恋人たち』
高島鈴『布団の中から蜂起せよ』の二冊。
『シミズくん〜』の方は予約本になったらしい。この本を読もうと思う人が身近にいることに嬉しくなった。

noteでNikkyの記事を作る。自転車に乗りながら「やっぱり日記だ。」と思ったので記事作りに踏み切る。思い出し日記も楽しかったけれど時間はかかる。

夜に、高井ゆと里編『トランスジェンダーと性別変更』を読み終える。難しい言葉や文体を一切使わずに、必要な情報を得ることができる。安価なところも優しいと思う。
私はアライになろうとしていたんだ、と気づいてからとにかくいろんな本やサイトを調べて片っ端から読んでいる。どこから正しい情報を得られるのか/迷子にならないだろうか、と心配な時に、反ヘイトの本屋は頼りになるし安心できる。まだまだ入り口に立ったばかりだから、これから知らなければいけないことや考えなければいけないことがたくさんある。全く関心がなかった自分を恥じながら、今まで意図せず傷つけてしまった人がたくさんいるのだろうと悔やみながら、それでも知ろうとして言葉にしようとしてもがく。
このことか、抵抗って。



2024/05/09

電車に乗りいつも通りワイヤレスイヤホンを接続すると、急に04 Limited Sazabysの「swim」が再生される。しかもかなりの音量で。再生ボタン押してないのに…
何回か接続し直してやっとBYE CHOOSE片山さんのプレイリストを再生できた。あとで確認するとiPadの方に接続してしまっていたようで、iPadのミュージックアプリが開いていた。朝からびっくりだ、と思いながら相変わらずの曇り空を見る。
いつも通り色々やらかしながら(人様に迷惑をかけない程度に)、授業を終え帰途に着く。

どこに出かけたとしても、道端にいる「疲労」と名の付くものに声をかけてしまうらしい。今日はごめんだ、と思っていてもそれは潤んだ瞳で「今日はおうちに連れてってくれないの」と見つめてくるものだから、立ち止まってどうしたの、と話を聞いてしまう。じゃあ、と言って手を引いて連れて帰ってきてしまう。今日に至っては肩車までしてあげたらしい。「この前もやってあげたでしょ!?」と思いながら、半ば諦めの気持ちも込めながら肩をグルグルと動かす。
荷物を減らさなければいけない。


2024/05/10

ライブでの踊り方を教えてくれた(私が勝手にその姿から学んだ)のは誰だったかを思い出す。というか、ライブをどんな風に楽しんできたかを思い出す。
初めてライブに行ったのは小学5年生の頃だったけれど、その前に好きなバンドのライブDVDを擦り切れるほど見ていたから「お客さんたちがどんな風に音楽を聴いているのか」は何となくわかっていた。それに倣って、人生初ライブでも手を上げて楽しんでいた。典型的なライブの楽しみ方のそれである。
ライブに行く回数がまだ少なかった頃は「憧れのミュージシャンが目の前にいて演奏している」というその事実に圧倒されている部分が大きかった。だから「自分がその音楽をどう楽しむか」というよりは「一瞬も見逃さないように聴き逃さないように全神経を集中させる」ことに意識を向けていたような気がする。手を上げるか上げないかにはあまり考えていなかった、その余裕がなかった。
ライブというイベントを以前よりは身近に感じるようになってからも、「手を上げて楽しむ」その方法は確かに自分の中に刷り込まれていた。他の人が手を上げていない時に自分だけフワッとあげた時には「あ、しまった。今じゃなかった。」と恥ずかしくなってスッと下ろす。それが中学・高校生くらい。当時の私に「ライブで踊る」と言ってもピンと来なかったと思う。
あるきっかけで音楽を聴けなくなって、そしてまた戻ってきたのが去年の秋ごろ。そのあたりから小さなライブハウスにも足を運ぶようになった。その時はまだ小さいライブハウスでライブを見ること自体に怖さを感じていたから、入口へ一歩踏み出すにも相当な勇気が要ったし会場に入った後も緊張していた。でもそのライブで見たのはありったけの笑顔を浮かべて、時に涙を流して、自由に踊って音楽を楽しむ大人だった。初めて私に「自由にライブを楽しむ姿」を見せてくれたのは彼らだった。
私自身が自由に踊れるようになるまではまだ少し時間と機会が必要だった気がする。初めてDJタイムがあるライブに行ったのは今年の2月終わり。その時はもう緊張して緊張して、壁とお友達だった。3月のホールライブでは、たまたま左側通路・右側空席をいいことに「myオリジナルリズムの取り方」をしながら3人分くらいのエネルギーで歌って踊っていた。その時に「あ、前と変わったな」と思ったのを覚えている。3月〜4月は大きめの会場で見ることが多かったから「ここでは私は大勢の中の1人にすぎない、誰も私のこと知らないし!」というある種の安心があっての踊り、解放だった。
だから、お互いを認識できるような狭い空間で踊って楽しむことを自分に許せたのは5月5日が初めてだったのかもしれない。本当に、心から何も気にせず自由になった時間。
それでそれで。私のライブでの踊り方を教えてくれたのは誰かというと、the chef cooks me でコーラスをしていたnoni さん。去年の暮れからFeelingのBDを何回も見ていた。音に合わせて手をひらひらさせること、キメや楽器隊のリズムに合わせて頭を傾げること。Feelingではシャイで控えめな方という印象もあったけれど、どこか彼女の舞に惹かれて知らず知らずのうちにnoni さんのことを観察していたんだと思う。よくよく見ると彼女も確実に自分の方法で自由に音楽を楽しんでいることがわかる。大きい動きでなくとも全身で音楽を感じ取って呼応させている、美しい舞。

どこかで今も彼女が音楽に身を委ねて幸せを感じながら踊っていたらいいなと願いながら。
私に「ダンス」を教えてくれて、解放と自由の方角へ手を引いてくれてありがとう。


2024/05/11

ナイキのコルテッツを身につけ、自分の機嫌をとる。バイトに行く。
慣れていないものだからやはり迷惑ばかりかけてしまう。わぁぁぁ本当にすみませんごめんなさい、と叫びたい気持ちを抑えて「すみません!気をつけます!」とできる限りはきはきと返事をする。落ち込みすぎてさらなる迷惑をかける人間だと自覚しているので、どうにか「使えるやつ」になろうと頑張る。
バイトからギャラリーに行く。幸せな夢と悪夢の間くらいの、ただただ不思議な現象が起き続ける夢をたまに見るけれど、その空間を表現したかのような作品があってドキッとした。他にも「これってそこらへん歩いてる時の私じゃない?」と思うような絵もあって、自分の頭の中を覗かれているような気分だった。ギャラリースタッフの方と御神輿担ぎ帰りの方(!)と、とっても美味しいジンジャーエールを飲みながら、しばらくお話する。
やっぱり知らないことばかりで、でもそれはとても楽しそうで、緩やかなつながりと無数の形を持って目の前に現れてくる。だからこそその瞬間を逃さないように大切に抱える。
新鮮で濁りのない好奇心はこの身をどこへでも連れていってくれる。


2024/05/12

「着たい服を着よう」ムーブメントが絶大な効果を発揮している。今日は奇抜すぎてオサラバしようと思っていたサテン生地のワンピースを着た。必殺技”スカートの下にパンツ”を繰り出したおかげでカジュアルに着られた!成功!捨てなくてよかった…
それを着て向かうはBIGMAMAの母の日ライブ。去年の秋にライブを観た瞬間、衝動的に「今私に必要なロック!」と感じて、思いを募らせ募らせ半年ぶり。

その足で地面を踏み締めて、着々と歩みを進めていく様子はベテランバンドならでの凛々しい立ち姿であり、その魅力が前面に出ていた素敵なライブだった。小学生の私のアンテナが感知した「MUTOPIA」という曲を初めて生で聴いた。10年ほどの時を越えて、耳に入ってきたその音は想像をゆうに超える輝きと鮮やかさを伴っていて不思議な気持ちになった。同時に、私とBIGMAMAが交じり合うことは少なかったとしても、共に生きて走り続けてきたことの証明でもあった。音も空気も温度も光も感覚も全て、味わい切りたいという気持ちにさせられた。
人の熱が確かにあるその記憶を。また会えるのは少し先になってしまいそうだから。大切に眺めていたい、大事にしたい。


数年前に会った人。かなりの期間、日記を書き続けているらしいのだけれど「小学校の担任の先生に話すように書いている」と言っていたことをふと思い出す。その話を聞いた時はあまりその感覚が分からなかったけれど、今となっては彼女の言っていることをとてもよく理解できる。実際に見せるわけではなくても、誰かに伝えようとすると書ける。私の場合は、手紙を書く気持ちで筆をとる(パソコンに打つ)と難なく書ける。なんなら想定より長くなってしまう。そうそう、私は手紙が好き。
手紙の不思議なところは、相手のことを考えながら書いているはずなのに自分自身のこともだんだん明るみに出てくるところ。矢印の向きがグルリと私の方向へ変わる瞬間がある。だから、相手のことを思う時間でもあり自分の気持ちをいたわる時間でもある。
手紙の内容を考える時間も、書く時間も幸せ。渡した時に喜んでもらえると嬉しくなる。雑貨屋さんに行って便箋や封筒を選びながら「次は誰に直接渡せるだろうか」と考えるのもワクワクする。
「手紙を書くこと」にはたくさんの幸せがつまっている。


とか考えていたら、最寄り駅についた。


2024/05/13

昨日の名残&とんでもない荒天に対抗したい気持ちから、エモロックを聴こうと思い立つ。
Instagramに音楽日記 in Englishをつけているのだけど、"Emo sounds"と打ったら「エモい音」と翻訳が出てきた。
エモい音…違う、そうじゃない。
ジャンルとしてのEmoを指したはずなのに、emotinalの意味で訳されてしまった。そこは日本語に寄らなくていいのよ、インスタ翻訳ちゃん。Eも大文字にしたのに…soundsにつけちゃったからかな…とか、他人から見ればどうでもいいかもしれないことを気にしている。

目の前のことにいっぱいいっぱいになって、ふと顔を上げた時に周りに遅れをとっているように感じられて焦ることもしばしば。そして、私のように呑気にパソコンを打つ生活ができない人が世界中にいることも感じる。こうなると自分は果たして何をしているのか、誰の役にも立っていなければそれどころか自分のこともしっかり考えられていないやつだ、となよなよ思いを巡らせてしまう。
それでも私に「ありがとう」と言ってくれる人もいるし、「まだまだできるようになることがたくさんあるよ、大丈夫」と励ましてくれる人もいる。
だからとりあえず必死に「私はここにいる」を守る日々。



2024/05/14

昨夜泣きながら寝たら、触れただけで分かる顔のむくみ。そして、アップルウォッチは外れている。もう訳がわからない。うわーぁ。

私は自分が今の生活をこの上なく愛しているということ。行く場所・会う人・手に取るもの、その全てを好きだということ。
もちろん楽しいことばかりではないし、不安に襲われたり無気力になったり怒りが込み上げる時もある。だけど、私は今が好きだということ。
そのことに気づいて「あぁ私は今幸せだ」と思って泣く。好きが溢れたこの生活がずっと続けばいいと願う。
でもやっぱりそうはいかなくて、この素敵な「今」は永遠には続かない。今が好きすぎてここから離れたくないんだけど、どうしても「未来」を考えないといけない。それが怖くてまた泣いた。泣きながら、もう寄りかかってはいられないと心に決める。

そんなことを考えて泣いてたという昨夜の記憶。

とは裏腹に、極めて穏やかな一日。ジーンズリメイクと思われるジャンパースカートに、ネオンピンクのソックス。気分はおフランス。(フランスで合ってる?)

去年の5月14日は、私の人生が変わった日であり節目の日でもある。
…という話はまたいつかどこかで。長くなりそうだしゆっくり話したい。その日の景色の一部だけ置いておく。

そういえば今日大学の授業で、「ドイツ語で『歩く』を意味する"laufen"は、"tanzen"(=ドイツ語で『踊る』)を語源とする」と教えてもらって、ニッコニコ。自由と解放だ!と嬉しくなった。
今日イチのハイライト。


私がここに日記を書く一番大きな理由は「この大好きな日々をどうしても形に残したいから」であり、同時に「記憶として形に残して前に進むため」でもあるのだと分かりました。私の周りにある素敵な場所や優しい人や素晴らしいもののことを、書いて遺したい。それだけ。

という今週のまとめでしたー!またね!

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