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ワクチン忌避から医療相談サービスを作った話

これを読むに当たって1つ注意して欲しい。誤情報は大元の発信者、故意に風説を流布する人が絶対的に悪い。不安につけ込まれ、振り回されてしまう人は被害者だ。


誤情報は環境の変化に忍び寄る

今から5年程前、僕は医療やヘルスケアとは遠い世界にいた。コロナウイルスもまだ存在しなかった時代だ。僕自身、医療従事者という訳でもない。ごく普通の一般企業で働き、結婚をし、家族が増え、ありふれた生活を送っていた。当時は下の子が生まれたばかりで、年子育児での環境の変化に戸惑う日々を過ごしていた。

僕は育児休暇を取得したが、4ヶ月の休暇はあっという間に過ぎ、仕事に復帰した。それからパートナーは日中1人で幼い我が子2人と向き合うことになった。

誤った医療情報、陰謀論などに詳しい人はよく知っているが、誤情報はこういった環境の変化のタイミングを狙ってやってくる。我が家もその隙を突かれた形だった。

「自然派ママ」

これが我が家に寄生した誤情報だった。今思えば僕のパートナーもスマホを見る時間が増えていた。よくInstagramを開いていたと思う。

自然派がどのようなものか簡単に説明すると、「人の手で作られたものは危険であり、自然に存在する、ありのままのものが健康に良い」という考え方だ。最近でも無添加マフィンが炎上したことは記憶に新しいが、それを更に過激にしたものと考えればわかりやすいかもしれない。

#自然派ママ のハッシュタグは今でも健在

今でこそInstagramは、ワクチンに関する投稿が規制されるようになったが、当時は無法地帯、なんでもありの世界だった。

「ワクチンを打たせたくない」

ある日パートナーからそんな言葉を聞いた。SNSもほとんどやっていなかった自分はピンとこず、最初は問題の大きさを理解できなかった。しかしすぐにそれを否が応でも日常生活で実感することになる。

SNSで「自然派」を好む人たちを見るとよくわかると思う。彼らにとってはワクチンだけが忌避対象ではない。その対象は食べ物から日用品、医療機関のかかり方まで多岐に渡る。

  • 紙おむつは身体が冷える

  • 医薬品は石油製品であり使用すべきではない

  • 食品添加物は健康被害を引き起こす可能性がある

  • 自然な食べ物が免疫(力)となり、強い身体を作る

当然、生活は180°様変わりした。布おむつを使うことになり、料理も好きに食材を使えることは無くなった。この期間はすごく、すごく辛い時期だったのを今でもよく覚えている。

溝を深める「論破」

僕が悪手だったのは、パートナーと対立してしまったことだ。何度も何度も口論になった。

「順を追って、ロジカルに説明すればきっとわかってくれるはず」

そんな思いから、時には厚労省の資料を読み漁り、ワクチンに関する情報を集め、論理的にパートナーを「説得」しようとしていた。しかしそうすればするほど、互いの溝は深まっていった。

今ならよくわかるが、誤情報にのめり込んでしまう人の心情を大きく占めるのは「不安」だ。その沼に引きずり込まれそうになった時、必要なのはエビデンスなんかではない。真摯にその不安を受け止め、耳を傾け、気持ちを理解してあげることだ。冷たいエビデンスでぶった斬ることなど、「知ったこっちゃあない」と断じ、相手を突き放してしまうことになんら変わりはない。

今思うと、僕は配偶者として大いに恥ずべきことをしていた。悪いのは決してパートナーではないのに。

実生活では殆ど誰にも相談できなかった。事が事なだけに、自分がそれを周囲に漏らせば、パートナーの人間関係も変えてしまう。そんな状況から、僕はSNSでワクチンの情報を追うようになった。そこには同じ境遇の人や、陰謀論から立ち直った人たちがいた。パートナーを自然派に引きずり込んだのもSNSだが、折れそうな僕の心の拠り所となったのもまたSNSだった。

抜け出すきっかけとなった専門家の発信・対話

そしてSNSで、ある医師がこの誤情報問題について情報発信していることを知る。それが峰宗太郎先生だ。峰先生は、TwitterやInstagramでワクチンに関する誤解を1つずつ丁寧に解説する活動をしていた。

家庭での問題になかなか解決の糸口を見つけられず、諦めかけていたある日、峰先生の投稿に対する一つの質問コメントを見つけた。なんとパートナーのものだった。峰先生は丁寧にコメントを返し、時には解説のポストまでしてくれていた。

僕がどんなに「説得」しても届かなかったワクチンの安全性は、峰先生のもの柔らかな言葉では届いていた。その時の安堵感は今でも忘れない。誇張なしで人生を救われた気分だった。人目も憚らず、コンビニの駐車場で涙を流した。

それからは、峰先生が投稿するごとにやり取りが生まれた。

その頃には僕もようやく、正論は何も意味を成さないことを理解していた。一度誤情報にハマってしまった人が簡単に戻ってこれないのは、それまでの自分の過去を否定する、学んだものが無に帰すという、ある意味での自己矛盾を抱えるからだ。

自分が出来ることは、焦らずにゆっくりと、パートナーが戻って来れる場所を用意すること。そう考えた。

基本的には自分からワクチンの話題は出さず、考えが変わることを待った。話題にあがった際には、理屈よりも「どう感じるか」問いかけ、決して否定せず受け止めるように努めた。

沼から抜け出すには3歩進んで2歩下がるような状況の繰り返しだったが、少しずつ我が家を覆った自然派の呪いは解けていった。そして最終的には、パートナーも納得の上で子どもにワクチンを接種することができた。

変わった自身の人生観

この経験は僕の人生観を大きく変えた。それまで僕自身、あまり何かに打ち込むような人間では無かった。仕事だって単にお金を稼ぐ手段でしかないと考えていた。

ネットを介して、見ず知らずの人に人生を救われるという経験は、そんな思考を大きく変えるには十分だった。

「同じような問題に悩む人の力になりたい」
「これは僕の人生を懸けて取り組むべき課題だ」

そう考えるようになった。

Twitterで医療クラスタを見ると、相変わらず誰かが誰かをエビデンスで「論破」している。しかしそれだけでは何一つ変わらない。それどころか、かつての自分のように、本当に届いて欲しい人を遠ざけてしまうことすらある。必要なのは不安を解消してあげることであり、その為に自分が何が出来るか必死で考えた。

「小児科の診察室では聞けなかったことが、なぜネットの峰先生には聞けたのだろうか」

「人柄の見えるSNSの方が聞きやすいのかも」

「実際、診察室では顔を合わせても僅か数分であり、日々の暮らしからは専門家と距離がある」

そんなことを考えながら、Twitter上の医師アカウントを見ているうちに、あることに気がついた。

「個別の医療相談お断り」

多くの医師がこの文言をbioに記載していた。「ひょっとして、医師アカウントには医療相談のDMが相次いでいるのではないだろうか?」

当時から相互フォローであったとみー先生に話を聞いてみると、「自分のところにもそういったDMはよく来る」とのことだった。更にマシュマロや質問箱を開設している方には、医療相談が多く届いていることを目にした。そこから仮説を立て、必要な要素を整理する。

  • 遠隔健康医療相談(日本における医療相談事業の行政区分)として責任の所在を明確にすること

  • Twitterアカウントでそのまま使え、TLに回答を投稿できるようにすること

  • 相談者は匿名で利用できること

  • しっかりと回答側にもメリットが生まれるようにすること

これらを実現すれば、不安を解消できる場が作れるのではないだろうか。これがサービスの着想点だった。

すぐに峰先生に連絡を取ることにした。当時、峰先生はアメリカで研究に従事されていたので、先般のお礼も兼ねて、国際郵便を送った。

到着して間も無くメッセージが届いた。Twitter上でのやりとりは多少あったが、見ず知らずの相手からの突然のリクエストにも関わらず、峰先生は協力を快諾してくれた。

プロダクト開発

それからはすぐにアプリケーション開発に取り掛かった。開発費には僕個人の貯金を充てるため、なるべくコストを抑えるべく、とみー先生にジュニアエンジニアを数名紹介してもらった。僕自身、マーケティングや、PJマネジメントの経験は多少あったが、webアプリの世界は初めてであったため、手探りで進めた。

リリースまでの開発は全て働きながら行なった。勤務中の待機時間(当時は外勤中心だったので、アポの合間等は比較的融通が効いた)、寝かしつけ後の夜間、隙間時間は全て注ぎ込んだ。必要な行政手続きや開発マネジメントは勿論、慣れないRubyコードも書いた。※今ではツイキュアのソースコードの多くは僕が書いたコードになった。人間その気になればなんでもやれるものだ。

また、開発と並行して、協力頂ける先生を探した。DMで1人1人説明して協力をお願いして回った。結果、5名の先生に協力頂けることになった。峰先生、とみー先生に加え、萩野先生HAL先生こば先生が快諾してくれた。それぞれフォロワーが数万といる先生たちだ。開発で資金が尽きかけており、雀の涙でしかお返しができないと伝えたにも関わらず、サービスの趣旨に賛同してくれた。こんなどこぞの馬の骨かもわからない怪しい人物に、協力すると言ってくれた先生方には感謝しかない。

サービスの名前は、Twitter上の先生が医療の相談に乗ってくれることから、安直だが「ツイキュア」にした。(よくユーザーの方からはプリキュアみたいとなじられるが)

そうして紆余曲折ありながら、プロトタイプが完成した。

スタートアップとしての挑戦

そのタイミングで僕は自分が務める会社に退職届を出した。そして「誰もが正しい医療にたどり着ける社会を作る」という理念を掲げた法人を作った。それが今ツイキュアを運営しているメディー株式会社だ。

今考えると、「よくもまぁ家族がいる身でこんな大それたことをしたもんだ」と我ながら思う。ランウェイ(会社の運転資金)は創業から数ヶ月しか見えない状況だった。

余談だが、起業時に多くの人が使う日本政策金融公庫の創業融資は、全く真っさらなweb新規事業に与信を通す程、甘いものではない。基本的に初年度決算を越えておらず売上が不明瞭な場合は、同じ事業ドメインで独立した際(デザイナーの独立等)や、士業による新規開業等に融資は限られる。当然だが、売上計画が絵に書いた餅の状態 のC向けwebサービスでは、稟議の土台にすら乗らない。必然的に株式で出資者を探すことになる。

そんな逆境とは裏腹に、自分にはなぜか「サービスをユーザーに使ってもらい、投資家から資金調達する」という根拠のない自信があった。自信があったというよりも、この社会課題を解決したいという気持ちの方が強かったのかもしれない。ポジショントークだが、起業というものはどこか頭のネジが飛んだ部分も必要だ。家族にはすごく申し訳なく思う。

変な緊張感で、胃が痛くなったリリース日のことは今でも忘れない。2021年の8月23日にサービスはスタートした。

広がっていったツイキュアの輪

リリース後は、先生方の名前の力もあり、共感してくれた方達がサービスを拡散してくれた。

そのおかげもあって、幸い出資者もすんなりと見つけることが出来た。彼らの意思決定は早く、初の面談から投資契約まで2週間もかからなかったと思う。 East Venturesという投資家は、プロダクトはもちろんだが、創業者の熱意や根源を最も重要視してくれるVCだ。素直にそういった投資家と出会えた巡り合わせに感謝したい。

僕は調達した資金を使って、協力してくれる医師の方を増やすとともに、サービスを1年間一般ユーザーに無料開放した。こうしたユーザー投稿型のサービスは、まずは投稿数を増やすことが非常に重要だ。理想を追い求めるのはいいが、サービスが軌道に乗らなければ、社会課題を解決することもできない。

そして昨年、非常にゆっくりではあったが、サービスのUnique Userはようやく5万人を超えた。協力してくれる医師の方も40名近くなった。この取り組みが徐々に社会に広がっていくのを実感している。

さいごに

今回、この記事を書いたのには理由があります。僕はこのツイキュアの輪をもっともっと大きく広げたい。もっと多くの人に使ってもらい、医療にまつわる不安を解消できるようにしたい。最終的には「誰もが正しい情報にたどり着ける社会」を実現したい。

そんな想いから、ツイキュアはクラウドファンディングを立ち上げました。ファンドの立ち上げにあたり、まずこの取り組みを知ってもらうことが重要と考え、ペンを取った次第です。是非、ご支援頂けると嬉しいです。(追記:2024-02-02)

拙い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

えいとまーく

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