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音声プラットフォームの炎上を見て思うこと

みなさんはじめまして。SNS医療相談サービスのツイキュアです。普段はあまり運営がSNSで発信することは多くないのですが、今回どうしても伝えたいことがありここに記事を書きます。どうかこの記事が全てのプラットフォーマー、ユーザー、メディアに届いて欲しいと願っています。


見慣れてしまった炎上

先日、音声プラットフォームのVoicyがTwitter上で炎上しておりました。ことの経緯は、Voicy上のある配信者の方が医学的に問題のある配信をされていたようで、それに対して適切な対応をしようとしない運営の姿勢が問題視された次第です。※Voicyはその後文書を出されてます

正直、ツイキュアをご存じの方には見慣れた光景かと思います。本当に、本当に、数多く目にしてきた光景です。それは時にウイルスに効くという紅茶を宣伝するブログであったり、血液クレンジングを勧めるインスタグラマーであったり。それらはまるでだるま落としのように次から次にやってきます。その図式はこうです。

  1. インフルエンサーが健康を害しかねないコンテンツを発信する

  2. 専門家がそれを問題視する

  3. 発信者やプラットフォームがその責任を負おうとしない

  4. 炎上する

毎度ネタだけが変わるのですが起きていることはいつもこの繰り返しです。


気持ちはすごくわかるんです。配信者にとっては何時間もかけて練り上げたコンテンツ、またプラットフォーマーにとっては手塩にかけて世に出したサービス。そのようなコンテンツ、サービスを通して誰かを楽しませたい、喜ばせたい。社会の役に立ちたい。その気持ちは素晴らしいことです。特にVoicyなんかはリスナーを楽しませること、配信者が配信者たる新たな手段となること、そこにすごい注力していたかと思います。


でももうやめにしませんか?それと健康を引き換えにしちゃダメなんです。


少しでもこの問題に明るい人は、かつてWELQというサービスがあったのをご存知かと思います。サービス拡大に注力するあまり、非科学的な内容で暴走してしまったヘルスケアキュレーションメディアです。医療の知識に乏しいライターが記事を量産し、SEOで集客を稼いでいく。倫理をないがしろにしたコンテンツファーストのサービスの行き着く先はあの姿です。


誤情報が人間関係に与える悪影響

少し昔話をします。今から3-4年ほど前、まだコロナウイルスも存在しなかった時代です(識者の方はSARS-CoV-2というツッコミはご勘弁を…)。

当時のSNSでは今ほどワクチン等の誤情報に対する規制がされておりませんでした。特にユーザー層が若く、またセンセーショナルな画像が目を引くインスタグラムではその傾向が強く、「ワクチン」と検索するとそれはもうパンドラの箱を開けたかのような世界が広がっていました。(現在ではある程度対策がされており、各SNS共に誤情報を発信する人は隠語を使用して規制を避けていますね。)

ツイキュアの運営者には、その間違ったインスタグラムの投稿をきっかけに、ごく近しい人が誤情報の沼へ陥ってしまった過去があります。何度も何度も話し合い、訴えかけるも、大切な人と幾度となくぶつかってしまう、今でも思い出したくない嫌な思い出です。私の人生の中でもその期間はダントツで辛く、そして苦しいモノでした。

今回のVoicy騒動など、こういった問題が起こるたびSNSでの反応を見ていると、

「人の命に関わることだから誤情報は許せない」
「実際にその尻拭いをするのは医療機関だ」

そう考えている方が多い様子がうかがい知れます。このコロナ情勢におけるワクチンの誤情報、またがん患者さんにとっての抗がん剤の誤情報などはまさに生死に関わることであり、多大な悪影響を及ぼすことでしょう。そして実際にその問題を目の前にするのは各医療機関の医療従事者です。

しかしながらツイキュア運営者の考える間違った医療情報の本当の怖いところは別のところにあります。それは、


「人間関係を壊す」のです。


幸運にも感染症やがんなどには罹らなかった場合、当然ですがワクチンや抗がん剤を使わないと決めていても「自身への」直接的な影響はありません(ワクチンの場合は間接的に他者に影響を及ぼす可能性があります)。

しかし一方で人間関係はそうはいきません。罹らずともそういった考え、思想自体が家族、友人など多くの大切な人との関係に亀裂を生んでしまうことでしょう。少しでもSNS上でそう主張する方々の様子を覗けば、それを想像することはそう難しくありません。

医療分野での誤情報というものは人の心の隙間を見つけ、すり寄り、そこから抜け出させなくする一種の麻薬のような力があります。一旦そのラインを超えてしまえば、そこにはもう科学が入り込む余地はなく、外から連れ戻すことは非常に困難です。


(ちなみに運営者がその状況から抜け出せたのは、ツイキュアに協力いただいている峰宗太郎先生のインスタグラムへの投稿でした。インスタ医療団、懐かしい…。それはまた別の機会にでも…。)


プラットフォーマーが持つべき矜持

今の世の中には自らをコンテンツとできるプラットフォームが多数あります。それはYouTubeしかり、Twitterしかり、Voicyしかり。もっと言えばツイキュアだってそうです。そしてきっとどのプラットフォーマーも各々が掲げたビジョンを志しているはずです。

でもそれを追いかけるあまり、大切なものはものを忘れてはいませんか?

全てのユーザーが正しいプラットフォームの使い方、正しい情報を発信できるわけではありません。それは正直、医師であっても同じです(書店に行くと、そこには首を傾げたくなる医師がたくさんいると思います)。

だからこそプラットフォーマーがその抑止とならなければいけません。矜持を持ってその責任を負うべきなのです。

医療・健康情報を扱うということは、時に道を誤ると他人の人生を壊すことになってしまいます。これは誇張でもなんでもなく私自身の身に起こったことです(幸い、運営者は軌道修正することができましたが…)。プラットフォーマーはそのことを常に意識して運営にあたってほしいと思っています。そしてそれは願わくばプラットフォーマーだけでなくユーザー、はたまたマスメディア、どの立場でも同じ意識を持って欲しいと切に願います。