見出し画像

【詩の森】632 便利の向こう側

便利の向こう側

 

哲学者のベルクソンは

人間の発明は

身体機能の拡張だといった

望遠鏡や顕微鏡は目の

電話は耳の

乗り物は足の

重機は手の

拡張というふうに―――

 

脳の働きが

情報を集め記憶し

分析し判断することだとすれば

パソコンは

その拡張といえるかもしれない

それはやがて

手のひらサイズのスマホになり

僕らの携帯品となった

 

僕らは

それらをひっくるめて

便利と呼んでいる

そして家電やコンビニは

僕らの労力を肩代りしたり

最小化してくれたりする

家電製品はさしずめ

専従の召使だ

 

スーパーと比べて

コンビニの商品が割高なのは

便利代のせいだろう

便利は社会のキーワードなのだ

便利は買うこともできるし

売ることもできる

僕らは便利を買うために

稼いでいるともいえそうだ

 

今では便利屋なる商売もあって

職人の技能ではなく

いわゆる雑事を代行することが

売りなのだという

核家族化して高齢者世帯が増えたことも

需要増の一因かもしれない

便利の向こう側には

いったい何があるのだろう

 

便利に限らず

何でも商品化してしまうのが

資本主義のお家芸だ

相対的にお金の利用価値は高まって

拝金主義が

さらに昂じてゆく

金・金・金

金さえあれば―――

 

便利とは

他人の力を借りることだ

他人の知恵・技能・労力を

賃借りすることなのだ

DIYの喜びを知らないどころか

便利代を支払いながら

僕らはしだいに無能になっていく

だけだともいえるだろう

 

AIが脳の代行をし出したら

僕らの存在価値はどうなるのだろう

考える力まで削がれてしまったら―――

便利とは依存度の高い

麻薬のようなものかもしれない

生きる力を削がれる前に

踏み止まることが

僕らにできるのだろうか

 

2024.4.26

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?