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構造デザインの講義【トピック2:古代の建物と構造】第3講:巨石による建造物、モアイとストーンヘンジの謎

東京理科大学・工学部建築学科、講義「建築構造デザイン」の教材(一部)です



巨石像、イースター島のモアイ像

太平洋に浮かぶ絶海の孤島・イースター島には、かつて1万人規模の島民が住んでいました。
陶器や鉄器などの日曜品が生産され、文明が発展しました。
しかし、島の木材資源が枯渇し、造船ができずに漁業も衰退し、環境破壊や部族間抗争よる人口減少により、終焉に向かったとされています。

イースター島には、巨大なモアイ像がおよそ900体あります。
モアイは、モ=未来、アイ=生きる、の意味です。
7世紀ごろから作り始められ、その後1000年ほど続いたとされています。

(写真、Pixabay, https://pixabay.com/ja/)

モアイ像は、平均高さ4~5m、平均重量20ton。最大のものは、高さ20m、重量90ton。
(参考:車1台は約1~2ton、象1頭は約3ton、一般的なクレーンによる吊り上げ能力は5~100tonです)
今日では、祭祀や慰霊などの目的で建造されたとの説があります。
当時、このような巨石像が、どのように作られたのかは不明でした。
嘘か本当か、宇宙人説などもありました。

現在では、その建造方法に、いくつかの有力な説が示され、実験で検証もされています。
島内の石材は、石器でも加工が可能な凝灰岩です。
コロで運搬され、木と石を使って建て起こして設置するといった、建造方法が有力視されています。
また、遠方の地から船で運ばれてきたとする説もあり、実験で検証もされているようです。


巨石による環状列石、ストーンヘンジ

イングランド南西部、のどかな田園風景の平原に、高さ4mを超える巨石群があります。
中世の人々は、巨人の墓と信じていた、とも言われています。
その後も、太陽崇拝、宗教建築物、天体観測所、暦などとも言われていました。
しかし、巨石群の建造の目的などの真相は、現在でもわかっていません。

(写真、Pixabay, https://pixabay.com/ja/)

ストーンヘンジは、3つの時期に分けて、建造や改築が続けられていたことが明らかとなっています。
・第1期:紀元前2800-2250年頃、直径100m弱の円形溝と、内側に56個の穴が設けられました。
・第2期:紀元前2100-2000年頃、1本4トンのブルー・ストーン(青石)が建造されました。現在は、穴のみが残っています。
・第3期:紀元前2000-1100年頃、いわゆる新石器時代の末期に建造され、直径30m、40個の石が環状に配置され、上部の楣石(まぐさいし)が円環状に設けられました。

ストーンヘンジは、最大のもので高さ6.6m、重さ45トン、使用された砂岩は総重量2400トンとされています。
これらの石材は、27km北方の地より採掘され、運ばれました。
さらに、青石の400トンは、200km西北の地で採掘されたものです。
これほどの巨石の採掘も相当のものですが、現地への運搬技術と建造は、さらに大変なものだったと想像されます。

今日考えられている説では、コロとテコによって運搬し、ロープを使って直立させたと考えられています。
しかし、7トンの楣石を上部に載せて、水平に設置する吊り上げ技術は、どのようなものであったのかは未確定です。
今日の道具や技術をもってしても、決して楽ではない建設であったと、容易に想像されます。

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