第1456号 黄金の道の虚実とは

1、黄金の道

本日はこちらの講座に参加してきたので、その感想と関連するお話をします。

日本遺産認定5周年記念「みちのくGOLD浪漫」シンポジウム2024 石巻、江戸時代の旅と道

登壇されたのはいつもお世話になっている方ばかりです。

宮城県には2件の日本遺産があり、私どもの「伊達な文化」は正直ちょっと手詰まり感がありますが、こちらは盛り上がっている感がありますね。

2、面白すぎる紀行文

はじめにこの日本遺産の説明を簡単にしてみますと、

東大寺大仏を作るときに金が足りなくて困っていたら、

なんと陸奥から金が見つかりました!

というような話は教科書でも出てくるのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

その場所は宮城県の涌谷町というところで、

産金遺跡と黄金山神社から始まっています。

現在ではもう産業ベースで採算がとれる鉱山はないようですが、

気仙沼市の鹿折金山というところでは明治時代に世界でも有数の大きさを誇る「モンスターゴールド」という金塊が見つかったことも知られています。

岩手県の平泉町には金色堂で有名な中尊寺もありますし

宮城県北から岩手県南地域では「金」にまつわる史跡が多いのです。

これに加えて、石巻市には金華山という名所があるのです。

今回のシンポジウムのテーマはこの金華山に参詣する人々。

現在でも「三年連続でお参りするとお金に困ることがない」と言われ信仰を集めています。

実際に江戸時代にここを訪れた人の記録から見えてくるものは。

宮城学院女子大学の髙橋陽一氏が講演で紹介してくれた、

橘南谿の『東遊記』という紀行文によると

この島は黄金に溢れており、砂浜ですら黄金に輝いている。

海鼠もこれを食べているので金海鼠という。

この島を訪れたものは草鞋についた砂金を持ち帰らないように、

船に乗り込む際に履き替えさせられるとか。

こんなこと信じられますか?

ほぼ同じ頃の橘辰年という人が残した『奥羽細遊雑記』という書物には

地元の人から「そんなの嘘ですよ。金華山から石を盗み出した盗賊が売りに出したら、金箔を貼った偽物で買い手が付かなかったんです。」という話を聞いたことが記されています。

どっちも橘さんなのが気になりますが、

南谿さんは文学的誇張、にしても盛りすぎです。

他の部分の記述も疑ってしまいたくなりますね。

松島の部分の記述も後で見直してみます。

東北大学災害科学研究所の佐藤大介氏は片倉小十郎家のご隠居、景貞さんの紀行文『雲容水態』という紀行文を紹介してくれました。

これがまたいいんですよ。

佐藤氏によるといい紀行文というのは

「豊かな情報」「前向きな旅人像」「正確で明快な表現」

という条件を満たしているもののことだそうで、

『雲容水態』がまさにそのような紀行文だということが読み進めていくとよくわかります。

片倉家は寛永年間に現在の石巻市北上町の橋浦大須という地域で新田開発を行い、その地域の人々を足軽として召し抱えていたそうです。

彼らがしきりに勧めるので北上川の船旅に出かけるご隠居様。

確かにあまり知られていない景勝地が多く、序盤は気をよくして和歌を読んでいたのですが、

ある朝風向きが怪しく、地元の人々は天候を気にして船を出すか悩んでいるのですが

血気盛んな家臣たちは気にせず出発しようとせかします。

結果陸路を取るのですが、笠が飛ばされるほどの風雨に見舞われます。

それでも途中から花冠にも船に乗り換えると激しく揺れて船酔いする人が続出。

ご隠居さまは「船乗りさんたちは、こんな海でも恐ろしいとも思わないなんてすごいなぁ(意訳)」と感嘆しています。

この辺り余裕があるのは後から清書したものだからで、実際はもっと慌てていたのが想像できます。

陸に戻ってからも険しい山道と進むわけですが

『万葉集』の「くるしくも、降くる雨か」という歌を思い出した、

という記述は実感がこもってていい感じです。

とある浦の苫屋に宿泊して翌日は朝日が美しいという白銀明神に参拝する予定でしたが、またまたあいにくの雨。

諦めて朝日の出る時間に東の方を拝むことで済ませようとすると

地元の人たちは、ぜひ白銀明神に詣るべきだ、と主張します。

観念して険しい山道を登ると金華山を眺めることのできる絶景が待っていました。

この物語性というか波瀾万丈な旅路も惹きつけられますが、どこまで脚色なのでしょうね。

3、やっぱり簡単にはいかないからこそ

いかがだったでしょうか。

江戸時代の人々が虚構も織り交ぜながら書き残した金華山詣の旅路。

石巻市博物館の泉田氏によると、「金華山道」という道標が多数残っているとのこと。

自分の目で実際の景色を眺めて、確かめてみる、というのは楽しそうですね。

私も一度だけ金華山を訪れたことがあります。

現在島に渡る定期船が出ている鮎川という港までは

牡鹿半島のくねくね道を車でそれなりに進む必要がありました。

もっと手前の石巻港から島に直接いく航路もあるのですが

時期によっては江戸時代の旅人たちのように船酔いとの戦いになるかもしれません。

三年連続通ってお金の心配が要らなくなるのは難しそうです。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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