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エッセンス

あらいかずこさんの
お絵描きのセッションを
受けました。

まず、私のエッセンス探し。
それらを5枚の絵に表現し
エンプティチェアをして頂きました。

【強さと愛の絵】
私の憧れの3人の女性。芯が強く、優しい。必死でも無理している感じもないのにいつもちゃんとすごい。そして、人に劣等感や不快感を感じさせない。色に例えると、水色や黄緑などのパステルカラー。
私の夫は、それらの要素に加えパワーがある人。力強く赤色の丸を描いた。

【悲しみの絵】
愛情を欲しているのに、それに気付けず体調や素行に出る欲しいのたった3文字が言えない すごく共感する欲しいと言うのは依存だしわがままだしもらう価値もないから生きていくことに途方に暮れるけど死ぬこともできない。(死んだのに消えることさえできない)仕方なく生きている。じゃあ最初から生まれてこなければ良かったんじゃないか。ぐちゃぐちゃに締め付けられる気持ちグレー、青、茶色、なんとなく、そこに傘の絵もつけた。

【のどか】 
明るく、風が心地よく、潮の香りがする。
人がいなくて、静かで、何も考えなくて良い場所。
時間の概念もない。
ただ安心して、ここにいることを許している。
祖母との海辺での散歩を思い出し描いた。

 
【ズルイ絵】
いい加減 誤魔化す 適当 ずるい
自分にあるけど、ないことにしたいものが
他人になり現れる。

私には、若さがない かわいさがない 普通の顔(悪目立ちしない顔)を持っていない 艶っぽい、色っぽいなどの女性性がない 着飾るセンスも技術もない→それらを持っていて、男性にもてはやされている人はずるい、むかつく…!でも、本来の自分を愛されていないはずだ。

一方で私は男性に対し闇の部分を売る、陰をつけて引き寄せる。不幸話、苦労話で同情を買う。憂いを見せる。
結果、「俺がいてやらないと」と寄ってくる。またはセックスからのはじまり。これもまた本当の私を愛されているわけじゃない。
私もずるい人間だ。

本当の私は依存的、重い、寂しがり、怖がりそして性的なことに思いふけることが好き。
セックスそのものは好きではない。すればするほどすり減るような気がする。セックスができない私に価値があるのかないのか試したくなる。そして私は「からっぽ」だ。

ずるい私とは?
性虐待を受けたのに、トラウマより興味がある→それはおかしい、恥ずかしいことだ→それを見せずにかわいそうで傷ついている私を演じておく→不幸売りして実はずるい!

昔から、ついやってしまうこと
生産的でない脅迫的にやる整理整頓
並べる、揃える。
今付け加えるとすると、
洗い流すというものもあるかも
集中するため?または達成感、浄化 
それを感じたいのかもしれない

【色の解釈】
汚い象徴=茶色、黄土色
怒り、脅威の象徴=赤
闇の象徴=焦げ茶、藍、黒
悲しみ、失望=青、グレー
女性性、優しさ=ピンク 
活力、芯の強さ=オレンジ、赤 
平和、可愛さ=パステルカラー 
失望の中にあるわずかな希望=深緑

【マネキンの絵】
どの感覚もちゃんと私のものなのに
ダメと言われたから
ダメっぽい空気だったから
怒られたくないから と
良いものとだめなものに分けた
だめなものは抑えてないものにして誤魔化した
本当は誤魔化すことはやりたくない
本当の私でも大丈夫だと言ってもらいたい
自分でそう思ってあげられないから
自分の嫌な部分はやっぱり嫌だから

だけど誤魔化すほうが生きていくのに都合が良かったから…
役割をかぶって、演じるほうが簡単だから。

私の想像と感覚でしかないが、父がご先祖様から引き継いでいるであろう「悲しみを見せてはいけない」手となり圧となり私にも受け継がれていた。私は悲しみを見せてはいけないといううえに、従わないといけない、その存在があることで生かされている感じがしていた。私には力がないから。

手で抑えつけられている「ただ存在しているだけの私」は、自分の顔も、足も、色もなく、冷たいマネキンのよう。
役割をかぶることで生きていられる。
人にも役割にも依存していた。


一方で私はお腹の中にいる命を「ただいるだけで素晴らしい」と現在進行系で感じられている。でもそれは私自身ではなく、赤ちゃんだから。(自分もかつて赤ちゃんだったのに、今はただいるだけで素晴らしいと思えないのはなぜだろう)私のものではないけど私のなかにあるパワー。ここにあるから描いておこうと、真っ白なマネキンのお腹の部分に赤い丸を描いた。他にもいろんな色を描いて、マネキンに色を付けた。

カラフルになったマネキンを見ていると
役割ってただの色なんだなぁと思った。
そして私はこんなにたくさんのエッセンスをもっている。

茶色も黄土色も汚くない
青や灰色は闇じゃない
パステルカラーだけが格上じゃない
赤は怒りにもなるけど生命の原動力でもある
赤ちゃんが生まれて外の世界に出ていってしまっても、
私の中に赤色(生命力)は残っている。
緑の調和の傘を実はちゃんと持っている。
まだ来ぬ未来への恐れを「きっと私にはできないだろう」と思い込んでいるだけ。

生きなきゃいけない。死んだらダメ。
ここも息苦しさを生んでいる。

先祖の圧として浮かんだ正体は
事実としては分からないが
いちばんそばにいた父の悲しみを
受け取るように一緒に苦しむことを選択し
やってきただけなんだなぁ、と
その悲しみは私のものじゃなかったから
もう返すね、と
頭の上にある手を切り離すことができた。
ただ、父も
私のように「寂しい」「苦しい」「怖い」「悲しい」と言えたらいいなと思う。

ひっくるめて、結局全部
「私」だった。
これまでの道のりで
人を傷つけてしまったことも裏切ってしまったこともある。

だからといって
今私が幸せになってはいけないとか
自由に生きたらいけないとか
依存してはいけないとか
生きる力を持ってはいけないとか
そういうことにはならなくていいんだ と

傷つけられたら、傷つかないといけない
ということはない。

すべてが私のエッセンス。



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