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連載小説 | 週末はサーフィンする #6


▼前回の話


「基本はこちらのマニュアルを見てもらえば大丈夫ですが、もし困りごとがあればいつでもご連絡ください」
「了解しました。すみません、こんなに遅くなってしまって」
 木元さんは申し訳無さそうに、ちらと壁の時計を見ると、針はもう夜の10時を指そうとしていた。
「いえいえ! 今日でもう最後ですし、構いませんよ」

 月曜日、株式会社サンビームにて。
 おれの担当したセキュリティシステムの最終確認を今終えたところだ。メガネの若手社員、木元さんとは3ヶ月の割と長い付き合いだったのだが、最後までニコリとも笑わなかった。

「木本さんっておいくつなんですか?」
「28ですけど」
「え! 同い年……。もっとお若いのかと」
「なんでだか、よく言われます」
「へぇ、長くこちらの会社に在籍されてるんですか?」
「そうですね、渋谷にあるときからなので」
「渋谷?」
「聞いてませんか? 社長から」
「え? なにをですか?」
「1回この会社潰れてるんですよ、渋谷にあった時ですね。……社長と仲良いから聞いているかと思いました」

 潰れた……? そんな話は聞いていない。

 その時、ちょうど部屋の扉が開いた。
「鹿島くん! おつかれさま! 今日で最後だってね〜遅くまでありがとうね!」
「あ、南田さん。おつかれさまです!」
「打ち上げしたいけど、鹿島くん今からだと電車なくなっちゃうよね」
「あ、それもそうですね……」
「週末サーフィン後に打ち上げしようよ、ね、木本くんも一緒に」
「いや、僕はいいです。家でゲームしたいんで」
「そっけないな〜! まぁ木本くんらしいけど」
「あ、ありがとうございます。週末楽しみにしてます」

 外に出ると辺りは真っ暗で、江ノ電の踏切の赤いネオンと踏切音が「カンカンカン」と夜の海に吸い込まれていく。

 南田さんの会社、いろいろあったのだな……。南田さんはいつも緩やかに笑っているから、いつでも順風満帆なのだと思っていた。
 でも、なんでまた湘南で会社を作ろうと思ったんだろう。

 「七里ヶ浜〜七里ヶ浜でございます」

 夜、人もまばらな駅のホームに江ノ電が滑り込んできた。
 なんにせよ、最後の出張が終わった。


「おはよう」
「おはようございます、……あ、鹿島さん。部長が昨日探してましたよ」

 水曜の朝、廊下ですれ違いざまに後輩が話しかけてきた。

「部長が? おれ、昨日は出張で七里ガ浜にいたんだ。用件はなんだった?」
「いや、僕もわかんなくて。あとで聞いてみてください」

 なんだろう?
 なんかやらかしたか……?
 まさか南田さんのところでミスしててクレーム入ったとか……?
 いや、南田さんだったら直接おれに連絡くれそうだけど……。

 そんな心配がよぎりながらも、おれは部長室へ向かった。

「鹿島くん、管理職って興味ある?」
「あ、え……? なんですって?」
 部長室へ入った途端、思ってもないことを言われ、思わず聞き返してしまった。

「管理職。つまり、主任にならないかってこと」
「へぇ……、主任……」
「現場の戦力として、いてほしい気持ちもあるんだけどね。課長から聞くには、鹿島くん、後輩の面倒みがいいそうじゃないか。周りをよく見ているし、現場の士気を上げられるんじゃないかって。そう言ってたよ」

 課長、そんなこと言ってたんだ。
 ちゃんと評価されるって嬉しいものである。

「ありがとうございます! 光栄です!」
「それで、どう? お願いしていいかな?」

 7年間、おれの今までの頑張りが認められたのだ。
 それに給料も上がる。断りたいわけがない。

「……えっと」
「ん?」
「あ、……ぜひお願いします!」
「うん、よろしく頼むよ」
「はい!」

 部屋を出ようとドアノブにかけた手は、汗でじっとりと濡れていた。

 あれ……? これで、いいんだよな……?

 一瞬そんな思いがよぎったが、部屋の扉を閉める頃にはもう忘れることにした。


 週末の朝。すっかり晴れた夏の青空の下、湘南の海沿いではたくさんのサーファーたちがボードをくくりつけた自転車を走らせている。おれもその中で、新しいボードを持って、海へ走り出す……予定だった。

 前日の夜、後輩からの電話。
 なんだか悪い予感だなと思っていたら、案の定。
 先日引き継いだ仕事がわからないらしく「助けて!」と泣きつかれ、週末だというのに急遽出勤することになってしまった。
 仕方なくスーツを着て、満員電車に乗り込む。今頃、海だったと思うと、いつも耐えられる満員電車が10倍増しでしんどく感じる……。

 ああ……。これが現実……。

 「ピロン」とスマホにメッセージが届く。

「今日は残念だったね! 来週、七里ヶ浜で待ってるよ〜!」

 南田さんだ。
 ドタキャンしてしまったのに、なんてありがたい言葉……。

 満員電車に押されながらも、おれは返信メッセージを打ち込んだ。
「来週は必ず!!」

 一筋の希望を見出し、おれは会社へ行く気力を取り戻した。

 まぁ、結局来週も行けなかったのだけれど……。

 おれはそこから2ヶ月、七里ヶ浜に行けなかった。
 その期間、おれは主任という仕事の大変さを知る。

 今までは自分の仕事に集中していればよかったのが、今はチームメンバー全員分の仕事へ常に気を遣っていなければならない。
 メンバーの大半はまだ1、2年目の若い子で、経験のあるメンバーはプロジェクトごとに派遣会社へ人材を依頼するので、勝手がわからない派遣の人たちに毎度最初から説明しなければならない。
 つまり、頼りになる人がいないのだ。
 みんなは自分に割り振られた分の仕事が終われば上がれるが、おれは全員の仕事が終わるまで上がれない。自分だけが頑張っても意味がないのである。遅かろうがミスを連発されようが、文句を言うこともできない。メンバーの士気を上げるのもおれの仕事だからだ。
 全体を見るだけでなく、もちろん自分に割り振られた仕事もあるのだが、メンバーからの質問で一日が終わり、まるで進まない。

 苦しい……。

 夜の22時。
 仕事が終わり、会社の外に出ると、街灯や看板のネオンでまだ辺りは明るい。まるで社会から「まだ寝るな」、と言われている気分になった。


「ピピピ……! ピピピ……!」

 A.M.6時。目覚ましが鳴り、俺は飛び起きた。
「あ! ……今日土曜か」
 最近は週末出勤が多かったので、間違えて目覚ましを設定してしまったようだ。

 ひさしぶりの何もない週末だ。
 カーテンを開けると窓の外は青空が広がり、セミがまだ鳴いている。

 『来れそうな時にいつでも顔出しなよ』

 一ヶ月前、忙しくて全然サーフィンに行けないおれに、南田さんがくれたメッセージだ。

 今から、行くか……? せっかく早起きしたし……。
 でも、遠いし、南田さん今日いるかわかんないしな……。
 それに月曜までに資料作んなきゃだし……。

 考えれば考えるほど、億劫な気持ちになってきて、おれは再びタオルケットに潜り込んだ。

 とりあえず寝よ。

 おれのボードはまだ手付かずのまま、南田さんの会社に保管してもらっている。
 なんだか罪悪感が溜まっていく。

 来週は……、来週こそは行こう……。

 〜1週間後〜 

「ピンポーン!」
 ベルが鳴り、パジャマ姿で玄関を開ける。
「ピザーヤお届けに上がりました!」
 赤いハットの配達員が元気に出前ピザを差し出した。
 若さがなんだか眩しかった。

 今週のおれは布団から出ないで一日中ゲームをしていた。
 Lサイズのピザとコーラを今日一日の食料に。

 結局、残業続きで疲れ切ったおれは、家から出る気力が出ないのだ。

 ああ、目がしぱしぱしてきた。
 なんだかだめだ……。このままじゃ良くない気がする……。
 少し散歩でもしよう。

 陽が沈む前、服を着替え、買い物がてら外に出てみた。
 近くは団地になっており、大きな欅の木がコンクリート道路に木陰を作っている。
 プール帰りなのか、頭にタオルを巻いた子供達がきゃっきゃとはしゃぎながら通り過ぎた。

 ふと思った。
 今まで夏という季節は、子供だけのもののように感じていた。
 大人にとって夏とは、通勤時間はスーツが汗だくになって不快だわ、短い夏休みは実家への帰省で終わるわ、自由で楽しい時間はほぼ無いに等しい。
 そもそも週末は暑くて外に出る気にもなれない。

 だけど、今年の夏は違った。
 夏の季節に、子供のようにワクワクしている自分がいた。

 コツンと、足元でセミの亡骸が転がった。
 もう夏が終わる。終わってしまう。

 その時、電話が鳴った。

《つづく》

◇第七話◇


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