自分で自分の背中を押す
前回の続きなので、こちらを読んでからが良いかも!⇩
モーニングページを始めて今日で三日目。
三日目にして気づいたのは、「自分は臆病だ」ということ。
私は昔から誰かに背中を押されないと自分の意見が言えないタイプだった。
大学時代の話。
映画ゼミにいたのだけど、最初の授業で「脚本を書いてきて」と宿題を出された。その時に先生が言った一言が「自分の言いたいことを書きなさい」だった。その一言がなければ、私は同性愛の脚本を書けなかった。なんども描き直したし悩んだ。同性愛のこと、バレたくない。バレたくないのに、いま自分が一番言いたいことは「同性愛者はしんどい」ということだった。毎晩のように「誰か助けて」と心で叫びながら、眠れずに朝を迎える、そんなとても苦しい学生時代を過ごしていた。でもバレたくないから助けを求められない。
そんな中で「言いたいことを書きなさい」という言葉が私の心に突き刺さった。
バレたくないけど、嘘をつきたくない。
もういいや、と半ばヤケクソで同性愛の物語を書いて提出した。
提出日、2、30人いるゼミ生の中で脚本を書いてきたのはまさかの3、4人だった。そして、その3、4人の書いた脚本は全員に読まれた。
読まれている間、生きた心地がしなかった。不特定多数の人間に自分が同性愛者とバレる恐怖を味わった。
「映画化したいと思った脚本の人のもとに集まってください」
先生がそう言うと、びっくりすることに私のもとに5人ほどの生徒が集まった。
「面白かった!」「すごく感動した」「映画化いっしょにしよう」
集まったみんなはそんな温かい言葉を口々にかけてくれた。
呆気に取られつつも、こんなにたくさんの人が私の物語に偏見なく、面白いと集まってくれたことが嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。
あれ?なんの話がしたかったんだっけ?
そうそう、つまり私は臆病で、誰かが背中を押してくれないと何も発言ができないような人間なのだ。でもその誰かの一言はトリガーとなって、私の心に強く響き、自分の閉じた心を「解放」してくれた。
この「解放」というものが大事なのだ、とモーニングノートを書いていて気づいたのだ。
「解放」するには第三者が背中を押してくれるのが一番良いが、いまそんな人がいない場合は自分で自分の背中を押してあげる意識が必要だ。モーニングページはそれをするのにうってつけな気がしている。(別にモーニングページの回し者ではない)
自分の中の「臆病な自分」を抑えて、「解放」してあげることで、こんなことが話したい、こんなことが言いたい、と頭の中の自分がめちゃめちゃ話してくれるようになった。
おまけに面白かったのがもう一つ。
今朝三日目のモーニングノートを書いている時に、「自動書記」のような状態になったこと。
え、なんだこれ、手が止まらん……!
おそらく思考が早すぎて、それを文字化する手が追いつかないのだ。制御できぬ早さで手は動き続け、勝手に文字を綴っていく。(追いつかないので、字がみみずのようになって読めない……)
これはいわゆる「ゾーン」といった状態なのでは?と思った。
思考の解放🟰ゾーン
になるのか?
これについてはもう少しやってみないとわからないけど、とても試す価値があるなと思った。
たった三日で面白い変化があった。
大事なのは、もっと解放していくこと。人目を気にしにせず書くこと。
それが私のいまの課題である。
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