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史上最高の投手サチェル・ペイジ「2000勝投手はこうして誕生した」佐山和夫著ブックレビュー・令和6年3月22日「日高新報」掲載

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野球において最も偉大なピッチャーは誰かと問われて、サチェル・ペイジと答えることができる人はかなりの大リーグ通である。2000勝もの勝ち星を上げノーヒット・ノーランも100回を超えている。この数字は大リーグだけのものではないが、戦前に存在した黒人リーグとオフシーズンに諸外国を回ったその合計数である。この勝ち星の理由は、黒人リーグでは、ほぼ毎日投げていたからである。しかも1日1試合とかではなく2試合の日もあれば3試合の日もあった。オフシーズンにはメキシコ、キューバ、ハイチ、ドミニカ、プエルトリコ、ベネゼエラまで遠征をして勝ち星を上げていたのである。
 黒人の大リーガー第1号はジャッキー・ロビンソンである。しかしこれには訳がある。誰よりも凄い投球を見せるサッチェル・ペイジにも大リーグからの誘いはあった。しかし、彼はそれを断った。理由は給料が安いからだった。ジャッキー・ロビンソンは5000ドルで契約をしたが、サチェル・ペイジは当時3万ドルの報酬であった。もし3万ドル支払う球団があれば彼は黒人大リーガー第1号になっていたはずである。

 後にサッチェル・ペイジは、大リーグのクリーブランド・インディアンスに入団した。彼は42歳になっていた。ファンはこう嘆いた。最初の「肌が白ければなあ」から、「もうちょっと若ければなあ」へと。その年彼は7勝(7月入団のため)を上げインディアンスをワールドシリーズに導いた。しかしワールドシリーズでは僅か3分の2イニングしか投げなかった。それは監督が白人だけでワールドシリーズに勝ちたかったからである。

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