ハイライト改訂版⑫

「私が、御社を志望した理由は御社のカメラを長年愛用し続けており、その性能の良さを日々実感しているからです。新製品として、次々に発表されるカメラはどれも素晴らしいものでありながら、数年、数十年前に発表された御社のカメラ使っている私のようなユーザーにも誠意を忘れない姿勢が魅力的に映りました。カメラに限らず、御社のユーザーを大事にする姿勢をもっと広い年代、世界に発信する力になりたいと思い志望しました」
 二十四階建てビルの窓は雨粒で濡れ、無数の水滴が滴っている。晴れた時には爽快な東京の街が映っているであろう窓には、室内の光に反射してスーツ姿の僕が映し出されていた。
 気が付けば梅雨の季節を示すように、連日雨が続く憂鬱な時期に突入していた。雨の憂鬱さを投影するような時間の中で僕は独りもがいていた。
「そうですか。まず、我社のカメラを使って頂いてくれている一人のユーザーであるあなたに感謝いたします」
 僕の目の前にいる黒のスーツに青いネクタイをしている中年の男が言った。中年の男は、僕が一週間考え抜いた志望理由を話している間、何度か頷いていたので、てっきり好印象を与えられたと思った。しかし、中年の男は面接官ではなく一人の会社員として聞いているようなだとも感じていた。表情は柔和ではあったが、目は笑っていない。まるで良い人材に成りうるか否かを判別している機械のような冷酷さを含んでいる。僕の目にはそう映った。
「先ほど広い世代や世界に発信していきたいとおっしゃいましたが、具体的にどんなことをお考えでしょうか?」
 柔和な表情をした中年男性の隣に座っている同じくスーツ姿で、頭部が特徴的でいかにも神経質そうな男から質問を投げかけられた。見た目から推測するに中年の男よりも歳も地位も上だと感じる禿げ頭は、どこか退屈そうだった。
「私が考えているのは、カメラを実際に使うイベントです。景色の良い撮影スポットやあまり知られていない隠れスポットに人を集めて、実際にカメラを使った撮影会を行うことを考えています」
 一拍おいてから再び口を動かす。
「綺麗な場所で綺麗に映るカメラを使うことで、カメラの魅力に気が付く方もいると思いますし、あまり知られていない隠れスポットを紹介することで既存のカメラユーザーや新規にあたるスマートフォンのカメラを使用している方も引き込めると思っています。また、御社のカメラを使い、上手な写真の撮り方をレクチャーしていきます。その撮影会で撮った写真データを差し上げると同時に撮って頂いた参加された方に選択してもらったデータを写真にしてご自宅まで送付します。写真データを差し上げるだけでもSNSなどの投稿で宣伝ができると考えています。更に写真にして見ることで御社のカメラの素晴らしさを自分の目で確認ができると思います」
 面接官の表情を伺い、一旦用意した志望理由から派生する自作アピールを切った。深い意味はなかったが、そうすることで緊張によって早口になってしまっていたペースを整えた。
「そのイベントには、スタッフやカメラマンが写真を判断し、表彰する機会を設けることでカメラマンの腕試しをする機会も作りたいと考えています。そうしたイベントを通すことで今よりも御社のことを知って頂けるのでないかと思います。世界に向けての発信としては、現在世界各国から多くの方が旅行として日本を選んでいる状況があります。旅行に行くと写真に残したいと思うのがカメラや写真の特徴であり魅力だと思います。そこで、日本の素晴らしい景色を撮影できるということを外国人向けにアナウンスしていき、御社のカメラの素晴らしさを世界にも発信できると考えています」
 僕の本心だった。そうした機会があれば今よりももっとカメラや写真に触れる機会が増える。一度、触れればカメラの魅力に惹かれる人も多いはずだ。何も知らない子供の頃の僕が、カメラに触れたことで見えている世界が劇的に変わったように。
「なるほど。よく考えていらっしゃいますね。少し話が脱線してしまいますが、貴方が最近写真を撮りに行った場所はどこでしょうか?」
 僕は先月行った場所を口にした。桜が散ってしまった代わりに生き生きとした新緑が広がる並木が美しかった都心の穴場的スポットだ。
 予想通り、二人の面接官はその場所を知らなかった。心の中でガッツポーズをする。大それたプレゼンみたいなことを言ったからには、二人が知っているような場所ではなく穴場スポットを伝えるべきだと考えていたことが見事にハマった。相反する個性を演じる二人の面接官は、僕の話を聞いてくれている。これならなんとかなるかもしれない。
 その後、その場所には何があるのかという話から学生時代の話まで色々なことを聞かれ、滞ることなく真実を伝えていった。今までの面接で一番の出来だった。面接官二人の表情から察するに、一緒に受けていた就活生よりも好意的に聞いてくれている気がした。
「それでは、最後に皆さんにお伺いします。五年後の話、どんな大人になっていたいですか? それでは右端の方からどうぞ」
 五年後にどんな大人になっていたいか、なんてことを僕は考えたことはなかった。五年経とうが十年経とうが、本質的な部分は何も変わっていないと思っている一面があった。年齢を重ねてもカメラは続けているだろうし、誠治たちと定期的に会っているだろう。勉強の代わりに何らかの仕事を生業にして、日々を生きていく。結婚や出産、それに昇進などのイベントが入り込んでくるだろうけれど、それは学校で行なうテストの結果や単位に一喜一憂するイベントと同じ。その時期を越えてしまえば、何事もなかったように普遍的な日々に戻っていく。
 そんな繰り返しを今までと同じように行なうだけの話。それを大人というのであれば、僕は充分過ぎるほど大人だったが、もしかしたら大人という物差しについての価値観が抜け落ちていただけなのかもしれない。ただ、気付いたら年齢的に大人になっていた、という感覚の方が腑に落ちてしまう時点で、面接会場にいるどの同年代よりも子供なのかもしれないという得体のしれない恐怖が芽生え始めた。
「それでは次の方、どうぞ」
 上手く転がっていたはずの質疑応答をぶち壊すくらいに、空っぽな解答を噛みながら答えることしかできなかった。そんな情けない現実を僕は恥じた。
 大人って一体なんですか。その設問は、頭を悩ます質問に成りえそうだった。

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