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7月12日(日)の戯言。

ジーンズの股部分が破れた。
そのことに気付いたのは一昨日の会議中で
その姿で仕事していたのかと思ったら溢れ出す羞恥心。
(まぁ誰も見ちゃいないから、自意識過剰なのですが)
このジーンズを履き始めたのは確か高校時代で
ざっくりと計算して15年間の付き合いになる。
高価なものではない、ユニクロで買ったやつだ。
過去への執着でも思い出のあるものでもなかった。
だた、そこにあったから履いていたのが本音。
ファッションに頭を悩ませていたのは
大学生の頃で、もはや青春時代の産物だ。
今では職場で着る速乾性の高いポロシャツと
青春の産物を擦っている状態で関心も薄れている。
必要に応じて買うことはあるけれども
本当に稀であり、一度も服を買わない年もある。
サイズ的には高校時代の服を着ることもできるし
流行に対してのアンテナも弱まっていることも
理由に挙がるのだろうけれども
一番は外出することが減ったことが強い。
週5日は働いているから外出しても1日。
オシャレに気を遣うにしても
1日ないしは2日分の服が揃っていれば
耐久できることに気付いてしまっている。
靴も同じで、靴底がすり減って平らになっていても
別に気にせず履き続けている。
もはや履き潰したスニーカーの酷使だ。
そこで浮上してくる問題がある。
面倒なのは捨てられないという元来の気質だ。
そして捨てられないのは過去への執着なんだと知る。
ミニマニストの対極に立っているのだと自覚して
そろそろ捨てる時期なのかなとも思い始めている。
そんなことを考えるのには理由は幾つかあって。

まず部屋が狭くなっていることが挙げられる。
6畳の部屋と3畳のキッチンというシンプルな部屋に
住んでいると、モノの循環を行なわないと狭くなっていく。
現在、6畳の部屋の中にthe本棚が2つあり
3段ボックスが4つ、2段ボックスが1つある。
その殆どを小説やマンガ、専門書や新書、DVDで埋まっている。
本を捨てる気持ちは1ミリもないので、これは仕方がない。
ただ、マンガについてはスラムダンクと野球漫画があれば
正直、売りに出しても良いのかなと思う節もある。
服に関しては、殆ど捨てても問題ない気がしている。

次が過去への執着というものに蝕まれている感覚があるから。
多分、これが大きな要因なんだろうな。
頭の中には過去に処理しないといけなかった不純物が
呆れるほど溢れていて、時に暴走したり
時に足を止める要因になっている。
過去の良い部分、悪い部分に目が行ってしまって
必要以上に疲れている感覚は、最近強い。
新しいことをやるにはそれなりに体力がいるし
相応のストレスが掛かることは理解している。
疲弊状態では動きが極めて鈍くなってしまう。
毎日、同じような景色を見ていると
楽ではあるし、最低限の労力を用いれば
それなりに日々を生き抜くことはできる。
結果的に休日、死んだように動かないけれど。
それが今のボクで、それなりに低い満足値はある。
でも物足りない感覚も持ち合わせていて
その理由を求めてしまって、また動かない。
なんだか繋がらないWi-Fiみたいだな。
過去の捨て方というか片付け方を探していると
一旦すべての物を失ってみるという
ひどく極端な結論にたどり着く。
恐らく無くなっても問題ないことで溢れていて
それらを実感することで少しは解決できるのかも。
なんて夢見心地の希望を描いてしまう。

今年の夏休みは、社会事情と従事している仕事を
踏まえると一人旅に出ることは難しい。
改めて命を扱う仕事に関与していると思い知る。
だからこそ、今年の夏は断捨離でもしてみようかな。

文責 朝比奈ケイスケ

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