ハイライト改訂版⑬

 逆転サヨナラ負けを喫した敗戦投手のように肩を落とし、沈んだ気持ちで大学へとやってきた。さっきまで小雨だった雨は本降りになり始めている。この雨で今日の失策が水に流れてしまえばいいのに、と、しょうもないことを考えながら、講義が始まっている教室の扉に手を掛けた。
 講義を受講している学生と黒板との間に立ちながら、マイクを通して自らが持つ専門知識を伝えていた教授と目が合った。僕は小さく会釈をしてから扉を閉める。スーツ姿の僕を見た教授は、遅刻の理由を把握したようで、目線を再び多くの学生へと戻した。大学にスーツで登校する学生の殆どは四年生であり、理由は就職活動と相場は決まっている。そんな分かりきったことに時間を割く必要はないと言わんばかりの対応は、塩対応とでもいうのだろうか。仮にそうであれば、当分塩対応で構わない。むしろ無駄な詮索は控えて欲しかった。
 教授の中には遅刻を一切認めないタイプもいた。自己顕示欲が強いのか、集合時間を守ることの重要性を伝えたいのか判断に困るような対応だが、潔さすら感じる姿勢を突き通してくれるほうが良い。こちらも遅刻したから欠席するという理由を持って、あっさりと出席を諦められる。
 一番困るのは、興味本位で遅刻や欠席の理由を詮索する中堅クラスの教授だった。体育会系の部活の顧問のような絶対的支配者にでもなったかのように、横柄な態度で尋問されるのは苦痛以外の何物でもない。そのタイプの教授の講義を受けていた二年生の必修科目は苦行だったことは今でも鮮明だ。その手の教授たちは、基本的に遅刻も欠席も少ない学生が遅刻して教室に入っている瞬間を心待ちにしているようなきらいすらある。遅刻してきた学生が教室に入ってきた時は、恰好の玩具を見つけた子供のような目をしている。あれも大人に属するのであれば、大人になどならなくて構わないと思わすほどだった。
 扉の前で数秒立ち止まっていた僕は教室内を見渡した。この講義には誠治とジーターがいるはずで、その姿を探した。教室中央、一番奥の席に座っている二人を見つけた。誠治の横には、しっかりと一人分の空席があり、僕は迷うことなくその席を目指して歩き始めた。
「どうしたその葬式面は。女にでも振られたか?」
 席に座った途端、ジーターは真剣に取り組んでいたアプリのゲームを中断して訊いた。僕は苦笑して、そんな状況ならここには来てないよ、と答えた。
「どうしてもってなら、いい店紹介しようか?」
 ジーターはニヤニヤしながら言うので、ヘタクソな笑顔を作って断りを入れた。
「そっか。残念だな。あの店マジでオススメなのに。じゃあ近いうちにオレのオススメの癒しの映像集を持って来てやろう」
 癒しの映像集が何を意味しているのかを僕は即座に理解する。
「僕は中学生か?」
「近いもんあんだろ。オレよりもさ」
 否定も肯定もできない台詞に、返す言葉が見つからない。
「就活で色々あったんだな」
助け舟を出すかのように誠治は板書していた手を止めて言った。
「まぁ、そんなとこ」
 就職活動用のビジネスバックから、筆箱とルーズリーフを取り出し机に広げた。教授は延々と心理学の知識を話し続けている。スピーカーから聞こえる声は一番後ろでもよく聞こえる。わざわざ前に出て話を聞く必要などないくらいの音量だ。ただ、教室内は教授の声以外にも、ノートに文字を書く音や数名の男女で構成されたグループのひそひそ話などが絶え間なく聞こえているので、前に座る学生の気持ちは分からなくはなかった。
「色々と大変だな」
「誠治みたいに保険なしで何科目の試験を受けるよりかはマシだよ。それに頭が痛くなるくらいのテストを抜けても面接があるんだろ。それを考えたら、SPIを解くだけで済む僕達の方が楽だよ。それに公務員試験は会社みたいに無限に挑戦できるって訳でもないし、今年を逃したら来年だろ?」
「まぁそうだな。でも無限にある会社のどれかに入るなら、多分誰でも内定貰えるんだよ。けれどみんなそうはしない。入りたい企業は自ずと絞られるから。それはオレが目指している国家公務員試験と何の遜色はないよ。ただ面接の回数は、お前ら企業組のが多いけどな」
 誠治は呟くように言葉を並べ終えると、再び板書や教授の声をメモし始めた。その姿は何度も見ても、僕には真似できない芸当だった。小学生の頃くらいから積み重ねていたと感じる授業への姿勢は、授業を受けるコツを熟知している。今だって凄まじいほどの速さで情報を取捨選択しているのだろう。
この取捨選択が絶妙に上手い誠治は、僕の話を聞きながらも要点は漏らすことなく押さえている。要領がいいでは収まらない、一種の才能か努力の賜物を発揮する誠治を一瞥し、ノートに板書を始めた。ジーターはゲームに飽きたのか、机に突っ伏して睡眠に入っていた。
そんな大学生らしく時間をやり過ごしていると、誠治は突然、ペンを動かしながら静かに言った。
「今日、飲むか?」
 その誘いに僕は迷わず了承の意を示すように左手でピースサインを作った。今日の飲み会は居酒屋ではなく僕の部屋でしようと思った。そのことを口に出した時、忙しさにかまけて部屋の掃除を怠っていたことを思い出した。この瞬間は面接での醜態について忘れていた。

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