ハイライト改訂版㉔

「ここ、禁煙」
 タイミングよく誠治が帰ってきた。もはや狙っているのかと勘ぐってしまうくらいにタイミングがよかった。
「沈黙に耐えられなくて。まぁ誰も見てないからいいだろ?」
 誠治が差し出した缶コーヒーを右手で受け取る。
「まだ最後まで言ってないんだな?」
 疑問符を言葉の最後につける誠治であったが、こうなることを予期していた態度だった。まるで美沙が言葉に詰まり、耐えきれず僕がタバコに火を灯したことを知っているような口調だった。美沙が誠治を呼んだ理由も分かる気がした。
「どこまで聞いたんだ?」
 誠治は僕と美沙が腰かけるベンチの前にしゃがみ込み、ベンチに置いてあった僕のタバコの箱とライターを手に取り、慣れた手つきで火を灯す。あのグループの中では女性陣とジーター以外は喫煙歴があったが、就職活動をきっかけに誠治も翔平も禁煙していた。こうして誠治がタバコを吸うのを見たのは、久し振りで新鮮だった。
「茜ちゃんに彼氏がいるってとこまで」
 僕はタバコの煙を吐き出してから答える。誠治は静かに頷き、じゃあ相手の名前は聞いてないんだな、と訊いた。僕は頷く。そしてその名前を聞く前に、美沙が口を閉ざしたことを無言で伝える。
「この先の話、正直良い話じゃない。――それでも聞くか?」
 最終確認に対して僕は、ここまできたら聞かないでどうする、と言った。次に誠治が口に出す名前は、どう考えたって僕の知り合いであることは間違えなく、聞かないまま話を終わらせたら誰に対しても疑心暗鬼になるのは明白だった。
「まぁ、和樹ならそう答えると思ったよ。……相手は葛西さんだ」
 想定内の名前だった。その名前が出て欲しくはなかったが、不思議と受け入れている自分自身に驚いていた。まるでどこかで感づいていたと言わんばかりの落ち着き方だった。そして、バーベーキューを誘った時に聞こえた気がした声は空耳ではなく、葛西さんだったことで無意識に真実を閉じ込めたのだと自覚した。
「随分、落ち着いてんな」
 誠治は幾分驚いた表情で僕を見る。美沙は俯いたままだった。
「消去法。それにどこかで感づいてた気がする」
「どういうこと?」
 不思議そうに誠治は僕に問う。脳内にある人物関係図を広げ、拙い言葉でその根拠を言葉にしていく。
「まず美沙ちゃんが僕を呼び出す時点で、その話は茜ちゃん関連になることは分かってた。それでわざわざ呼び出すなら、僕にとって悲しい話であることはおおよそ予想できてた。それで可能性を考えれば、茜ちゃんに特定の相手がいるってのが一番可能性が高い。そうなると相手も分かっているって考えるのが妥当だろ。そしたら僕の知り合いか、もしくは危うい橋を渡っている、その二択だろうなって。さっきの美沙ちゃんの苦しそうな表情を見れば、知り合いだなって。僕の周りにいる人は限りなく少ないから、登場人物は大体想像できる。仮に誠治なら、ここにお前はいないし。翔平とジーターの性格を考えれば、直接会って僕に言う。そう考えると、多分葛西さんだろうなって。まさか知り合いで危うい橋を渡っているダブルパンチだとは思ってもみなかったけど……」
 プログラミングされたロボットのように無感情で推論を披露した。第三者的な視点で、まるで僕は無関係であると言わんばかりの口調だった。そうでもしないと自我を維持できないような恐怖が僕の中にあった。もう一つの仮説―あの日の暴挙――は敢えて口にしなかった。こういう話に、別の話題の枝は適さない。
「そうか……」
「悪いけど、僕は大学に入学してからずっと彼女を見てきた。気持ち悪いけど、彼女の変化に気付かない程、鈍感じゃないよ。むしろ敏感なくらいだ」
「で、和樹はどうするんだ?」
「どうするって?」
「二股してる葛西さんの相手が茜ちゃんだった。その茜ちゃんにキスをしたお前は、どうするんだ?」
 バーベーキューの帰りに誰もそのことに触れていなかったから、てっきり誰にも見られていないと思っていたが、全員に見られていたのだろう。そうなると、美沙が彼女から聞いたって話も、少し創作掛かっている疑いが見え隠れし始める。
「僕は……」
 彼女に想いを伝える。その言葉が出てこなかった。あくまで僕の過剰な想像だが、彼女は葛西さんの浮気相手だということを承知している。それを飲み込んだ上で、いわゆるセカンド彼女として一緒にいる。その事実は複雑な心境へと僕を誘った。大学一年の秋、僕が振られた理由は、葛西さんだから。誰にも言っていない彼女と二人の秘密が、三年もの期間を空けて役立つとは皮肉なもんだ、と僕は誰にも聞こえない心の声で毒づいた。
「……何もせずに、ただ見守るよ」
 その言葉が夏の夜に虚しく響いた。この状況を察したかのようにジーンズのポケットで静かにスマートフォンが震え始めた。ディスプレイを見なくても震える理由が分かった。


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