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無駄な努力か? 2020年の振り返り。

 2020年もあと僅か。
 世間が東京オリンピックに染まって、街を歩けば例年以上に外国人とすれ違う。メダルの数に一喜一憂して、スターが生まれるはずの一年だった。でも気付けば、全世界が別の、得体のしれないウィルスと戦う羽目になった一年。きっと世界史には確実に掲載されるだろう。一年前に想像していた景色とは、明らかに異なっていたし、初めて触れる肌触りに戸惑い、真偽不明の情報に踊らされるなんて夢にも思っていなかった。そんな世界で、僕も漠然と存在していた。そう、端役にも端役なりの物語があった。
 
 冬休みすらまともに取れないてんやわんやだった年始。ご褒美だと言わんばかりに詰め込んだ予定の殆どが白紙になった。野球観戦も高橋優や下種の極み乙女。のライブも軒並み中止になったからだ。辛うじて残った2月のイベント山里亮太の1024とCreepyNutsのラジオイベントのライブビューイング、そして友人のワンマンライブに行けたことが数少ない救いだった。
 2月後半、夜の下北沢を歩いた記憶は今も鮮明だ。
 3月は未曾有の社会情勢を眺めながら、仕事に従事していた。そんな中、新たに告げられる人事によって、今までとは異なる仕事に従事することになってしまった。もはや自分の意思ではコントロールできないような流れが存在しているのかもしれないと感じるしかできなかった。背中を向ける選択肢は持っていた。でも行使しなかった。きっと何かが変わると思ったから。今ではないと思ったから。
 予想通り4月は初体験の連発で心身ともに疲弊した。街から消えたマスクは恐ろしい高値になったし、すれ違う誰も顔を隠すようになった。報道では毎日のように感染者の数を公表し、専門家や有識者、その他多くの人が不安を煽っていた。世界全体が出口の無い迷路に迷い込んだようだった。
 地に足のついていない中、僕自身は仕事において、できないことの多さを痛感していた。積み上げてきたはずの武器があっさりと壊れていく。もう弱さをこれでもかと突き付けられた。精神衛生が極めて危なくなった時期でもあったけれど、それでも歩みを止めなかった。愚か者の意地だった。
 そんな中、緊急事態宣言が発令された。国から家から出るなよというお達しだ。その頃には、テレワークやらZOOM、新しい生活様式など聞き覚えの無い単語が飛び出すようになった。街から人が消えた異様な映像が画面には映し出される。おうち時間なる過ごし方を提唱され、誰もが家で生活をすることを余儀なくされ、ストレスが溜まっているようだった。こんなことになるずっと前から、ある意味自粛生活のような休日を過ごしていた僕には、ストレスが蓄積されていく人が少し羨ましく思えた。きっと、家以外の場所に楽しいことがあったのだろう。羨望と呼べばいいのかな、ちょっと眩しく見えたんだ。
 年休処理が根元にありそうな不意にやってきた休日を過ごしている時、ふと思った。何かしよう。今だからできる痕跡を残そうと思い立った。真っ先に浮かんだのは、小説だった。自分のホームページに掲載していたショート・ショートを軒並みnoteに移植して、そして新たな小説を書き始めた。もう何年もピリオドの打てる作品を書くことができていなかったから、ちょっと不安だった。でも書かないと嘘だと思って、駄作だろうがなんだろうが、書き続けた。
 続けることが美徳。解釈が変わりつつあるかつての国民性が僕の中に残っていたかのようだった。今の時代、同じことを続けることは評価の対象にならない風潮があるように思える。変わりゆく時代の波にうまく乗ることのほうが、きっと人生を謳歌できるのだろう。分かっている。時代錯誤だと嗤われても構わなかった。続けることが美徳だと自分が証明すればよいと開き直った。
 余談になるが、僕は4年前からTwitterで140字小説を書いている。140字小説というのは、Twitterの文字数制限である140文字の中で、物語を綴るというハードルの低い創作活動の一つだ。これを考え付いた時には名案だと思ったけれど、当たり前のように先人は存在していた。140字小説に見合ったタグも存在していた。別にそれでもよかった。書くことができる環境があれば、それでよかった。のめり込んだ結果、去年からは、ほぼ毎日更新している。4年間という時間を元に単純計算すれば、1000作品以上の物語を作っていたことになる。我ながら狂っていると思う。そして、その4年間で、色々な気付き、そして出会いと別れがあった。顔も本名も知らない中で、繋がっていく。想像できないような世界観で物語を編む人がいた。横に寄り添ってくれる物語を描く人がいた。単純に凄い場所に足を踏み込んだなと危機感を抱いたこともあった。それを証明するかのように、誰にも見られない作品がタイムラインに載っては消えていく。それを繰り返すようになった。同時に書き手が増えては消えていくサイクルも見るようになった。今でこそ書けば読んでくれる人、反応してくれる人は増えたけれど、僕の初期の作品を知っている人はごく僅かになった。
 有名人の引退宣言のように言葉を残してアカウントが消した人。
 飽きてしまったのか、更新が止まってしまった人。
 書くことを止めて、本来のTwitterの使い方をする人。
 色々なものが溢れている昨今を踏まえれば、140字小説よりも面白いものを見つけたのだろう。感傷に浸るほど、人間はできていないから、勿体ないなと思うくらいだった。でもその出会いと別れを繰り返すと気付くことがあった。
 誰かから評価されることは嬉しいこと。
 あれ、もしかして続けることって案外難しいのかな? ってこと。
 そして今、読んでくれている方がいる。本当に感謝です。

 こんな経験があったからこそ、書き始めるなら続けなければ。単純で隙間を探すことが得意な高校皆勤賞の僕は続けることを軸に少し長め、掌編小説の世界に足を踏み込んだ。掌編小説とは400字~1200字、原稿用紙4枚くらいに収まる小説の種類で、ショート・ショートとも呼ばれていたりもする。中長編用に書いた未完の文章というストックもあったけれど、なるべく新作を書くように心がけた。これはよく書けたと思える作品もあったし、これはひどいなと思う作品もあったけれど、書き上げた作品は目に触れる場所に出した。そんなことを繰り返しているうちに週に1度、土日のどちらかに投稿する習慣が身に付いた。最新作を投稿した際にはnoteの機能が反応して、画面には38週連続投稿と表示された。38週、1ヵ月を4週とすると10か月。10か月連続で何かを繰り返すことが今まであっただろうか。思わず、問い掛けてしまった。色々なことを三日坊主で終えてしまう僕にとっては、その記録はインパクトが強かった。
 もう年の瀬。4月から街は今も未曾有の出来事にてんやわんやしている。ニュースでは感染人数を発表するのが使命だと言わんばかりに伝えている。色々ない弁が中止になり、開催しても人数を減らしたり、アクリル板を設置したり、手指消毒や体温計測、マスクの義務化と変わっていた。堪えることばかりが溢れているのに、心身が疲弊していたのに、できることが一つ成果になって目視できるようになった。気付けば、投稿作品は80作に迫る勢い、不思議な感覚だ。
 誰かは無駄な努力と呼ぶかもしれない。
 誰かは続けることなんて簡単だよと笑うかもしれない。
 誰かは気が狂ったと蔑みの目で見るかもしれない。
 実際そうなのかもしれない。でもそれでも構わないと思う自分がいる。
 世間が変容を遂げようとしている中、新しい生き方を探し出せと訴えかける中で、ホコリを被った過去の自分が残した置き土産が最終的に背中を支えてくれているなんて嘘みたいだった。背を向けたはずなのに。でも振り返ると、確かに残っていた。それが少しだけ嬉しかった。でも課題は山積み。ため息が出てしまう程、見えている。ある文字数を越えるとダレること、単純な実力不足。そして認知度が低いこと。現段階で自分の作品に絶対的な力があるとは思っていない。絶対的な力があれば、きっと今は有名作家の仲間入りをしているだろう。そうなっていない時点でたりないことが多い。面白くないのかもしれない。組み立てがヘタなのかもしれない。考えるだけで止めたくなる程度だ。ただ、魅力はあると信じている。自分が面白いと思えることを誰かにとっても面白いと思ってもらえるように腕を磨かなければ。
 振り返れば最低な1年だったし、やりたかったことはほとんどできなかった。行きたい場所にもほとんど行けなかったし、会いたい人にも会えなかった。悲しいこともあった。最低だ、思い出したくない思春期に肩を並べるくらいに。
 悲観的に物事を見つめることはできるし、それが僕の視点でもあった。だけど、生粋の天邪鬼が顔を出す。こんな悲観的な世の中だからこそ、いつもの視点で見てしまったら、つまらない。それは量産型でしかないし、個性が死んでいる。
 かつて手放そうとしたことをしっかりと握り直すことができた。
 できなかったことができるようになった。
 結果的に、なんだか前向きに物事を捉える自分がいる。今年から地続きなのが来年だ。年が明けて何かが劇的に変わることはないだろう。きっと春先、いやもっと先までは息の詰まる日々が続くだろう。出口の見えない迷路から抜け出すのは遠い未来かもしれない。仮に今が最低だとしたら、あとは上がるしかない。
まだまだ底まで遠いかもしれないけれど、きっと未来は良くなる。それに自分の視点次第で良くすることはできる。延々、綴ったこの文章の僕みたいに。
 できなかったことに目を向けて悲観するのは簡単だ。厄介ごとは決まって重なってやってくる。悲しみの底なし沼に嵌って悲劇のヒロインを演じれば、誰かがやってくるかもしれない。実際は助けてと叫んでも助けてくれない。人との関わりが試されている時期だからこそ、できることを数えてもよいのではないかと思うんだ。前とは違う自分で、会いたい誰かに会いに行く。なんか王道ジャンプマンガみたいでワクワクしませんか。
 きっと未来は良くなるよ。だからそれまで社会や人の歩幅に合わせている自分を振り返ってみよう。思わぬ発見があるかもしれないからさ。

来年は、久し振りに賞レースに向けて書こうと思います。

文責 朝比奈ケイスケ

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