ハイライト改訂版㉑

 湘南にあるキャンプ場は海から近く、潮の香りや時より吹き抜ける海風が印象的だった。べたつくような風に当たりながら、石で造られたバーベキューコンロの上に置かれた網に肉や野菜を焼く為の火を起こしていた。今から暑さと熱さのダブルパンチをもらう戦いを目前にしている分、気分は下降線だ。 
「和樹、まだ火つかねぇーの?」
 まるで師弟関係でも結んでいるかのような翔平の上から目線の声を無視して、手に持っていた缶ビールで喉を潤した。夏の暑さをまぎらわす昼間からのビールは背徳感も加わってか美味い。
「おい、和樹、聞いてんの?」
 僕は翔平たちの居る場所を一瞥する。翔平は持参した水鉄砲で、半裸になっているジーターを狙い撃ちしている無邪気な光景が目に入った。こうして遊んでいる時の翔平は、同じバーベーキュー場で騒いでいる子供と何の遜色もない。精神年齢を五歳児くらいに戻したかのような翔平の姿は、羨ましかった。
「遊んでないで、少しは手伝え」
 声を上げた誠治は、美沙と薫子と共に材料を切ったりしていた。和気藹々という言葉が似合う雰囲気が誠治たちの周りに漂っている。
 こんな風に役割が決まったのは、翔平の行動の結果だった。
 駐車場に車を止め、ドア側に居た薫子さんが外に出ようとした時、翔平が声を出した。一人でカラオケ大会をやっていた音量のままで、その声で僕は目を覚ました。正確には彼女が肩を優しく叩いてくれたタイミングと重なっただけだが、彼女の優しさよりも翔平の勢いのほうがインパクトが強かった。
「外に出る前に、仕事決めよう。オレ、昨日くじ作ってきたからさ」
 翔平は小さめのメッセンジャーバッグから、何重にも折り曲げたA4サイズの紙を取り出した。
「なんだよ、それ」
 ジーターが言う。全員の視線は、翔平の持っている一枚の紙に集中している。しかし僕はまるで傍観者のように、目の前の光景を眺めていた。
「あみだくじだよ、あ、み、だ」
「ったく、こういう時の準備だけは穴が無いな」
 僕は少しだけ毒を盛った言葉を呟く。
「うるせぇー。お前、少し黙ってろよな」
 悪意も怒気も含まない反論は、翔平の優しさみたいなものが垣間見える。
「でもまぁ、向こうで決めるより、ここで決めた方がいいな。エアコンも効いてるし」
 誠治はそう言って、翔平の提案を受け入れる。誠治が肯定すれば自我を通さない限り一同は納得することになる。僕達は仕事を決める案に対して、反論する理由もなければ、別の案もなかったこともあり、翔平の次の一言を待った。
「スタート地点は七か所。ゴール地点には、下ごしらえが三つ、火の準備が二つ、準備不参加特権が二つ。選んだ後にみんなで二本ずつ線を加える。そうしたらオレも分からないし、平等だろう。さぁ、自分の場所を選ぶんだ!」
 ゴールデンタイムのバラエティー番組でも言わなそうな決め台詞を言った翔平は、いち早く右端にしるしをつけた。その後、薫子さん、美沙、誠治、ジーター、彼女、僕の順番で紙が回ってきた。最後の僕は場所を決められない代わりに、三本の線を引く権利を得た。別に無くてもよい権利だった。それでも車内には独特のワクワク感があり、二十歳を少し過ぎても、こんな子供じみた演出で盛り上がれるのは意外だった。
「結果発表」と宣言し、ダララララジャン、とドラムロールを口にしながら翔平はあみだくじの結果を口にしていく。
「うっしゃー、オレサボり特権」
 翔平は自分で作った特権をまんまと手に入れる。
「えっ、うそ。下ごしらえとかやったことないんだけど、どうしよう」
「私が教えてあげるから、大丈夫だよ」
「オレも下ごしらえだった」
 美沙、薫子、誠治は可も不可でもない下ごしらえの担当になった。
「日焼けでもして過ごすか、翔平」
 サボり特権が当たったジーターは上機嫌だ。火の準備が二つ残り、自動的に僕と彼女は火の準備を請け負うことになった。都合が良いのか悪いのか判断し難い結果だった。
「火の準備って一番ハズレだよね?」
 彼女は声を大にして言った。
「残念でした。ちゃんと火起こせよ、お前ら」
 翔平は振り向いて僕達に言った。次の瞬間には、両隣に座っている薫子さんとジーターに速く外に出るようにと即している。両隣の薫子とジーターは呆れていた。もう翔平の頭には、冷えたビールを飲みながら悠々自適に過ごすことしか頭に無いようだった。
「やっぱり夏に火を使うのは暑いね」
 彼女はレモン味のチューハイを両手に持って、隣で呟いた。
「そうだね。ちょっとシンドイ」
 僕の中にある本音がこぼれるもこの役目を彼女に変わってもらうつもりは一切なかった。ただ、今の気持ちを少しでも共有したいという欲求があって、それが僕の口を滑らせた。
「代わろうか?」
「大丈夫だよ」
「じゃあ、本当に代わってもらいたくなったら遠慮なく言ってね」
「うん、その時は言うよ」
「翔平君やジーター君に代わってもらうのはなしだからね。あみだくじの意味が無くなっちゃう」
 意味があってないようなあみだくじで決まったことでも彼女は守りたいようだった。融通が利かない頑固さは、彼女の本質を写し出しているようだった。
「アレ、バレた?」
「それはねぇ、分かるよ。こういう時のカズ君って案外分かりやすいもん」
 彼女は頬を緩め、面白い物を見つけたような表情で、僕のことを真っ直ぐ見据えた。誠治が提案したことが頭の中をかすめる。僕は首を小さく左右に振り、邪念を振り払おうとする。僕の動作を見た彼女は、今度は不思議な物を見るような表情になる。マンガの世界観で言えば、頭の上にクエッションマークが幾つも浮いているような感じだ。
「そんなに分かりやすい?」
「こういう時はね。翔平君もそうだけど、こういう時のカズ君って、なんか子供ぽいんだよね」
 網の下に詰まれた薪や炭に、新聞紙を燃やして生み出した火が少しずつ引火していく。パチパチ、火の音だけがやけに大きく聞こえ、聴覚を刺激する。
「着火剤!」
 水鉄砲で遊んでいる翔平とジーターに向けて大声を出した。急に大声を出したことで、彼女を筆頭に下ごしらえ組の三人の視線が僕に向いた気がした。視線が集まるのは、今も苦手だった。
「知らねぇーし。ってか火の準備組、しっかり仕事しろよ」
 僕の声に対して翔平が好意的な返事をするなんて淡い期待はしていなかったが、実際に無関心に近い返事が返ってくると怒りを通り越して呆れた。
すると隣で小さくしゃがんでいた彼女は急に立ち上がり、翔平たちのいる方向へと歩き出した。その後姿を一瞬だけ見つめてから、バーベキューコンロに視線を戻した。まだまだ火が燃え移るには時間が掛かりそうだ、と思うくらいに薪も炭も開封した時の色をしている。さっきの音は、空耳だったのだろうか。
 ため息がこぼれ、胸ポケットに入れたタバコを手に取った。一本取り出し、何百何千と繰り返してきた動作を行う。タバコの先端は簡単に燃え、煙が立ち昇る。タバコのように簡単に火が付けばいいのに。僕はそんなどうしょうもないことを思った。
「翔平君から貰ってきたよ。着火剤」
 隣に戻ってきた彼女の手には翔平が事前に購入していた包装された着火剤があった。ありがとう、と僕は伝え、小さな煉瓦みたいな着火剤を受け取る。着火剤を覆っていたビニールを力任せに破き、中身を薪の上に無造作に置いた。
「こんな適当に置いても大丈夫なのかなぁ?」
「多分、大丈夫だよ」
 吸っていたタバコの火で足元に置いてあったスポーツ新聞を燃やして、コンロの中に投げ込んだ。スポーツ紙の一面には『久保田監督、采配的中』という文字と、バッターの写真が載っていた。しかし、あっという間に灰になっていく。その上に彼女が拾ってきた木の枝や足元の新聞紙を重ねた。もはや投げやりの火付けだった。
 急に今を切り取りたいという衝動が芽生えた。衝動に任せ、静かに立ち上がった僕は、下ごしらえをしているテーブルの上に置かれたカメラを手に取る。そしてファインダーを覗いた。コンロの中で少しだけ火が上がり始め、ゆっくりと燃え始めた。

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