ハイライト改訂版㉜

 夜の寒さに耐えながら街を歩けば、神の誕生を祝うイルミネーションが、それこそ神々しく輝いている風景と出会うことが増えた。それは世間一般的に浮き足立つイベントが近づいていることを意味しているが、例年の僕にはあまり関係がなかった。ただ今年は少しだけ心境が違っていた。
「なぁ、和樹。お前、クリスマスどうすんの?」
 僕の隣を歩いていた眉間にしわを寄せ仏頂面のジーターは訊いた。
「何も決めてない。ジーターは?」
 ウソだった。でも今は誰にも言うつもりはなかった。
「オレも決めてない。今年も集まらないなら、大学生最後のクリスマスだから奮発して、お気に入りの娘と遊ぼうと思ってる」
「それさ、なんか悲しくない?」
「悲しくはないよ。虚しさはあるけどな。でも家族に彼女がいない奴だという確定事項を伝えてまで、家でチキンは食べたくない」
「バイトは?」
「大学四年間、クリスマスにバイトし続けるのはなぁ」
 今年最後の講義を終えた僕とジーターは示し合わせた訳でもなく、大学から最寄りの駅までの道のりを一緒に歩いていた。四年もの間続けている習慣は健在だった。
年が明ければ本格的に卒業の足音が近づく。それはモラトリアムの時間も残り僅かという疑いの余地のない事実であり、改めて終わりが近いことを突きつけられる。
 僕達と同じように駅へと向かう目の前のお仲間たちの足取りは、どことなく軽い。最後の講義が終わるチャイムは、冬休みに入ることを意味しており、何はどうあれ大学に通わずに自由に時間を過ごせることに歓喜しているのだろう。本来であれば、歓喜したい気持ちに陥るはずなのに、今はあまりそんな気にはなれない。終わりが怖いのだろうか。
「もうさ、大学に来るのも数えるくらいしかないんだよな……」
 ジーターは歩きながら、感慨深い表情をしておもむろに呟いた。横でその言葉を聞いた僕は、思わず動きが止まってしまった。
「どうした?」
 ジーターは立ち止まった僕の姿を見て不思議そうな表情をしている。
「いや、ちょうどそんなことを考えていたからさ」
「やっぱり卒業ってことを考えないようにしてもさ、それを無視するように土足で入り込んでくんだよな。この前だって、卒業アルバムの写真撮ったしさ」
「僕はどちらかというと撮っていた側だからな。あの時は、自分が卒業するってことよりも被写体の事で頭がいっぱいだった」
 繁忙期を過ぎても尚マスターは貪欲に仕事に取り組んでいた。大学の卒業アルバムに載せる写真撮影だって、大学側の依頼ではなく、大学から依頼された写真館の店主とマスターが知り合いで手伝い程度に頼まれた仕事だった。自分が通う大学、しかも卒業を控えているのにカメラマンとしてシャッターを切ることに抵抗があったが「何事も経験だ」と言い包めようとするマスターに対して、瞬時に言い訳が出せずに手伝うことになった。
 結局二週間と定められた写真撮影期間のほぼ全日、アシスタントとして働いた。自分の学部ではない、全く交流のない学部の写真撮影がメインだったことだけが、唯一の救いだった。
「確かに撮られる側じゃなくて撮る側だったら、印象は変わるか」
「うん。これでもかってくらいの同級生の決め顔を見せられて辟易したよ」
「経済・経営だもんな。それはシンドイ」
 僕達が通っている大学は、ある意味二つの色に分かれる。僕やジーターたちが所属している心理・文学部は、比較的大人しい種類の大学生が多い。翔平みたいなのも多少は在籍しているけれど。一方の経済・経営は、派手で賑やかなうるさいと思ってしまう種類の大学生が多く在籍していた。
 全く別種類の人間が共存する空間に足を踏み入れると、些か共存していること自体が違和感という単語で説明ができそうな雰囲気が漂っていた。その雰囲気に知らぬ間に肩肘張っていて、必要以上に疲れてしまった。
「なんか全く別の空気なのに共存できるんだなって思ったよ」
 僕達は前を歩く、黒髪が誰一人いない集団を抜いてから、そんなありきたりな感想を口にした。
「なんか不思議だよな。交わることは少ないけど、同じ時間を同じ場所で共有してたんだもんな、一応」
「そうだね」
「で、お前も行かない?」
「どこに?」
「決まってんだろ?」
「行かないよ」
 ジーターが思い浮かべている大人の社交場への誘いを即座に断り、別の話を振った。こういう時間もあと僅かだと思うと幾分の切なさは隠せない。
「――で、お前はどうすんの?」
 急に口調が変わったジーターは、僕が隠していること察知した質問だった。
「どうにかするよ。あし……」
 僕の声は開かずの踏切が鳴らす警告音で消された。でも僕の明日の予定はしっかりと決まっており、それは最後の決戦になることが予想された。
自分でも墓穴を掘った気がしないでもない。明日――恋人たちの日であるクリスマス・イブ――に僕は彼女と会う約束を取り付けていた。
「そうか。なら適度に頑張れ」
 その言葉を最後に、ジーターの口調は元に戻り、普段通りの下ネタ全開のどうでもいい話を聞く時間へと戻っていった。
ジーターには話してもいい気がした。でも僕は口に出さないという選択をする。言葉に出せば、不安で怯えている僕の背中を押してくれるかもしれない。その優しさに甘えないために。そして今抱える不安を全身で受け入れるために。
 僕は不安があると行動できないことを最近理解できるようになった。不安とは自分のエゴを受け入れられない都合の悪い未来を想像すること。要は、わがままの延長線上に待ち構えている感情だ。わがままが通らないから最初から自分の意思を殺してしまえばいい。何もなかったように振る舞えば傷つくことはない。そのことを知ってから、臆病者の仮面を被り続けて生きてきた。
 言葉にすれば悪い印象を抱くが、これまでの人生では必要なスキルだった。わがままを通していいのは、翔平のように無邪気に自分の意見を言える日向の奴だけだと思い込んでいた。
 でも違う。それをマスターや誠治たちが教えてくれた。ここぞ、という場面でわがままを通せない奴は、後悔という消えない記憶と共に生きることになることを。
それでもいい、手の届く場所にあれば、と今までの僕は考えていた。それは届かなかった想いを体裁よく自分勝手に編集した自分自身を安心させる呪いの言葉だということに今の僕は気付いている。
 呪いの言葉に染まってしまうのは、どこか僕らしいけれども、それでは何も変わらない。別に変えなくていいのかもしれないが、心に抱く感情を腐敗させてまで持ち続けるのはいけない。腐らせた想いは、口にしなければいつまでも鮮明な記憶を残し続けてくれる反面で、何年か経ったとき相手を卑下したり、それこそ忘れてしまう可能性を含んでいた。
 僕に初めて恋を教えてくれた彼女を悪く言うような自分にはなりたくなかった。もしかしたら、それは自分本位と揶揄されるかもしれない。それでも構わない。そもそも恋は、自分本位でわがままで、溢れ出したら止まらない病の感情なのだからと言える程度に決戦を待つ僕は開き直っていた。
「ジーター」
 遮断機が上がり、道が開く。反射的に僕らは歩き出す。
「なんだ? 行く気になったか?」
「病気に当たんなよ」
 感謝の意を伝えようとして止めた。この言葉を言うのは今ではない。僕は用意していた言葉ではない冗談と本音が混ざり合ったワードを口にした。ジーターは笑いながら、大丈夫だよ、と答えた。
 卑怯者の僕はジーターの言葉を脳内で都合よく解釈する。人間はすぐには変われないけれど、少しは変わることができる。ちっぽけな自信を感じた帰り道は、今にも雨が降りそうな曇天だった。

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