ハイライト改訂版㉝

 彼女と久し振りに会う日、これからの行く末を示しているような雨が降り落ちている。気持ちが萎えそうになるのはある意味必然だった。気を保つ為に雨降って地固まるという諺を呟くも、最終的に雨天ノーゲームにでもならないか、とあり得ない期待をしていた。
 その時の僕は、傘を広げ足早に駅から街へと消えていく人達や雨を眺めながら、彼女がやってくる時を静かに待つことしかできないでいた。
ベンチ入りしていた選手を使い切って、迎える一点ビハインドの延長最終回ツーアウト満塁、試合がどっちに転ぶかを何もできずに見守る監督の心境と今の僕の心境は類似している。しかも打席に立つのは打撃より守備が突出する職人タイプ。逆転を期待するほうがおこがましいと思ってしまう劣悪な状況。それでも僕は彼女に伝える言葉を入念に考え続けた。
 やってこない、という展開は性格上考えにくい。今日、何かが変わるのは明白であり、その事実が心の中で騒ぎ立てた。
 雨が傘や屋根に当たりリズムを刻む。無邪気な子供が勢いよく道にできた水溜りを踏み込んで、バシャン、と不規則な音が入り込でいる。そんな音が、電信柱に備え付けられたスピーカーから流れる明るめのクリスマスソングメドレーに心ばかりのアレンジを加え、聞き慣れた音楽も新鮮に聞こえた。
 頭の中は冷静なのに、心は乱れている。一人で不協和に陥る状態にやってくる救いの手など存在せず、意味もなくひたすらスマートフォンを操作することで不協和を意識しないようにした。
「ゴメン、待ったよね」
 後方から彼女の声が聞こえた。僕は振り返り、彼女の姿を見て息を飲んだ。彼女のトレードマックであった長い髪がバッサリ切られ、おまけに薄らと茶色に染まっていた。
「大丈夫だよ……」
 僕は答えるも次の言葉が出てこなかった。初めて見た彼女の茶色に染まったショートカットに意識が行ってしまっていたからだ。
「ん? あっ、これね。気持ちを新たにってね」
 僕の目線で何を考えているのか見抜いた彼女は、右手で髪を触り、ハニかんだ。彼女の顔はどこか晴れやかだ。葛西さんとの関係が上手く終焉したことが影響しているのだろう。そのことには一切触れずに、本音を吐露する。
「びっくりしたけど、似合ってるよ」
「ホント? 嬉しいな」
 いつもより二倍増しの笑顔に心が奪われる。
「うん、似合ってるよ」
「ありがとう……。それで、どこに行こうか?」
「行きたいとこある?」
「雨だけど……イルミネーションが見たいな」
「じゃあ、見に行こう」
 イルミネーションが綺麗な場所なんて心当たりがなかったけれど、雨が降り落ちる街へと踏み出した。一歩遅れて、彼女も踏み出す。気付けば、真横には彼女が居る。雨が降っていなければ、もっと近い距離を歩くことになったと考えれば歯がゆく、雨に対して持っているワードで用いて、暴言の嵐を喰らわせたくなった。
 恋人たちの夜。そう謳われる今日の街は、普段以上に男女の二人組が目立つ。仲睦ましく傘を差しながら歩く姿を見ながら、特殊な賑わいで色めき立つ街の雰囲気を感じながら記憶の片隅にあったイルミネーションの綺麗な場所へと向かい歩を進めていた。
 傍から見れば、僕達もその因子になるという自意識によって会話があまり続かず、どことなくぎこちない。初めて、クラス親睦会で彼女と話した時を彷彿とさせる緊張感に僕は飲まれていた。
「なんか緊張してる?」
「そんなことはないんだけど」
「ちょっといつもと違う感じがするな。カズ君、固いよ」
 彼女はおかしなものを見たかのように笑う。僕もつられて笑った。二人で笑ったことで、少しだけリラックスできて、双肩に乗っかっていたものが軽くなった。
「あの辺、人が集まってるね」
「そうだね」
 目線の先には傘の群れがあり、目指した場所がすぐ近くであることを意味していた。彼女の顔を覗き見ると、子供のように目を輝かせてワクワクしている。右手で小さくガッツポーズを決めて、意味もなく平然と彼女にどうでもいい冗談を言った。彼女は戸惑いの表情になったが、すぐに冗談と分かったようで、何言ってんの? と答えた。
 木々に巻きつけられたLED電灯が様々な色を主張し、非日常的な風景を作り出している。メインの木にだけ装飾されているのではなく、LEDライトのイルミネーションはコードで伸びており、百メートルくらい先まで続いていた。
 そのイルミネーションで華やかになっている景色にスマートフォンを向けている人達が目に映り、多くの人達の笑い声、談笑する声、カメラ機能のシャッター音が混ざった喧騒が鳴り響いている。
「カズ君、カメラ持ってる?」
「持ってるけど、今は出せないかな」
 僕は傘を見つめた。歩き出した時よりは小雨になっているが、カメラを出すには相応しくない。雨が降っていなければ、と思い、雨に対して罵詈雑言を胸の中で言い続けた。本当にタイミングが悪い。
僕の意図を読み取ったのか、彼女はカバンの中からスマートフォンを取り出して言った。
「ならさ、一緒に撮ろうよ。カメラマンは誰かに任せてさ」
 僕が戸惑っているうちに彼女は、隣でイルミネーションを見ていたカップルに声を掛けていた。僕の知っている彼女らしくない行動だった。彼女は彼女で何かを変えようとしているのだろう。妙に積極的な彼女をぼんやり眺めていると、写真撮ってくれるって、と言って僕の腕を引っ張った。
「小雨だからさ、傘畳もう」
 その言葉に即されて傘を畳んだ。途端、髪の毛や顔に雨がぶつかる。冷たさを含んでいたが、そんなことはどうでもよかった。彼女が選んだイルミネーションの前に横並びで立って、彼女のカメラの被写体になる。肩と肩がぶつかってしまう距離、パーソナルスペース圏内に彼女は居たことで関係性についてのご認識をしてしまいそうになる。
 パシャ。
 電子音が鳴り終わると彼女はすぐにカメラマンをしてくれたカップルの女性のところまで行き、画面を確認した。納得できる写真が撮れたようで彼女はカップルに向けて頭を下げていた。僕も彼女に倣って頭を下げた。
「どんな写真になってた?」
 僕の横に戻ってきた彼女に訊いた。するとスマートフォンを横にして僕の目の前に差し出した。写真には笑顔の彼女とぎこちない笑顔を浮かべている僕の姿が、イルミネーションの光の前に並んでいた。
「いい写真でしょ?」
「そうだね」
「カズ君が撮ってくれたらもっといい写真だったのにね」
「僕が撮ったら、茜ちゃんだけになっちゃうけど」
「それは嫌だな」
 小雨が降り落ちていたが、僕達は傘を開かず並んで歩いた。手を近づければ繋げそうな距離。不整脈にでもなってしまいそうな急激な心拍の変化は、落ち着かない僕を示すようだった。
「今の写真見て改めて思ったんだけどね、カズ君あんまり写真慣れしてないよね?」
「撮られるより撮る側だからね」
「それがちょっとおかしかった。凄くいい写真を撮るカメラマンは、意外に写真の被写体になることないんだなぁって」
「褒められてるのか、貶されてるのか、判断に困るんだけど」
「勿論、褒めてるよ。でもね、やっぱりおもしろい」
 笑いながら言う彼女にツッコむ気にはなれず、静かに呟いた。
「カメラを向けられるのに慣れてないんだ」
「じゃあ、これから慣れていけばいいと思うよ」
 彼女は満面の笑みを浮かべながら呟いた。

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