ハイライト改訂版⑮

 石畳の道は、ヨーロッパの方が印象的で外国の文化だと思っていた。だけど、初めて見た神楽坂の石畳は、テレビで見てきた外国の石畳とは異なる日本らしさを含んでいると思った。高校二年の冬にマスターに撮影の手伝いでここに来てから、いつの間にか神楽坂の石畳の道、急な坂、細い抜け道に活気あふれた商店街に魅了された。その頃から足しげく通っている僕にとっての憩いの場所だった。
 雨ばかりが続く中で、久し振りに太陽が顔を出したその日、僕はカメラを首にぶら下げて、賑わう坂道を進んでいた。
「ねぇ、水野君は神楽坂によく来るの?」
 彼女が隣で歩いている以外、僕の中では何も変わったことは無かった。いつも見ている街並み、僕達よりも年上の人とすれ違う割合が多い坂道、大人びた落ち着いた雰囲気が漂う不思議な居心地の良さは変わらない。それなのに彼女が隣で歩いているだけで、街の印象が少しずつ変わっていくのを感じていた。
陳腐な言葉だけど、目に映る全ての物が、きらきら光っている。そんな感じだ。
「結構来るかな。この場所、なんか東京なんだけど原宿とか渋谷みたいな東京ぽさは薄くて、でもどこか東京らしさが見える感じが好きなんだ」
 感情の方が理性よりも優位に立っており、何を言っているのか理解に困ることを口にしていた。
「なんか水野君らしいね」
 彼女の中でどんな人物像として記録されているのか、全く掴めない。差し当たって女の子と二人きりでどこかに行くという事実に浮かれている状態でも悪い印象は抱かれていないようだった。

こんなことが起こった転機は四日前だった。
『水野君って、東京詳しい?』
 突然彼女から届いたメッセージに僕は高揚し、浮かれた。生まれて始めて自分の撮った写真が家族やマスターに褒められた時と同じくらいに。
『それなりには』
『じゃあ、今度どっか案内してよ』
 文字の後に可愛らしいキャラクターのスタンプが届いた。
 それだけの短いやり取りに心躍らせ、まだ住み慣れない部屋の布団の上で何度か飛び跳ねた。今が夜じゃなかったら、大声で叫んでいたと思う。
男子校に通って三年間を過ごし、まだ十八歳になったばかりの僕は、女の子から誘われるだけで有頂天になってしまう純朴さが残っていた。喜びの感情表現が、ホテルの大きなベッドに飛び込んでしまう無邪気な少年と類似してしまうのも仕方がなかった。これまでの人生に色恋が絡む出来事は乏しかったし、何より無知で疎かった。だからこそ、純粋に感情が爆発したのかもしれない。
 彼女とはクラスの親睦会で連絡先を交換した。女の子と話す機会なんて中学校以来だったが、初めて飲んだアルコールと誠治のアシスト、翔平が僕の背中を叩いたことで大胆な行動に移せた。親睦会ではあまり話せなかった分、LINEでの短い言葉のやり取りは時間を経過するに比例して積み重なった。その結果が今だと思うと、悪くない。それどころか最高という形容詞を付けたくなる素晴らしい大学生活の始まりだった。
 坂道を進み、弁天様が祀られた神社の前に辿り着いた時に心の中に潜んでいた不安を言葉に変えた。
「神楽坂でよかったかなぁ? もっと違うところが良かった?」
 もし、うん、とでも言われるものならすぐさま駅まで行き、渋谷でも原宿でも行ってやろうという考えは、それとなく持て合わせていた。
「そんなに卑屈にならなくていいのに。今ね、水野君に案内をお願いして良かったって、思ってたんだから」
 彼女は笑った。平和には笑顔が一番必要なものだと思わせるほど弾けた笑顔に、心を打ち抜かれた気がした。
「そうなの?」
「うん。東京に引っ越してきてから、憧れだった原宿とか渋谷とか行ってみたんだけどね、なんか圧倒されちゃって。それでね、水野君とLINEしてた時にちょっと思ったんだよね。水野君なら私が見てきた東京じゃない場所を知ってる気がして。それで誘ったんだ。そしたら本当に私が知らない、それも私が好きな雰囲気の場所に連れて来てくれた。私の勘、やっぱり冴えてる」
 彼女の語尾は上がっていた。僕が居心地の良さを感じる場所を好きな雰囲気と言ってくれたことに胸の中で歓喜し、それを悟られぬようにすました顔で言った。
「それならよかったよ」
「うん、ありがとう。水野君」
 それから僕達は、お互いの今までの話をしながら、ゆっくりとアスファルトで舗装された道を真っ直ぐ歩いた。
 まだ出会って二か月くらいしか経っていない。それに同じ学部だが互いに別のグループだったこともあり、未だに顔見知り程度の関係性のおかげで会話も弾んだ。大学の講義の話、一人暮らしの話、高校まで住んでいた街の話や子供の頃の話と、互いの情報をほとんど知らないからこそ話のきっかけは、無限にすら感じてしまうほど豊富だった。


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